鎌田要人
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鎌田 要人(かまた かなめ、1921年(大正10年)10月2日 - 2005年(平成17年)12月3日)は、鹿児島県知事を務めた日本の政治家、官僚。
[編集] 来歴
鹿児島県出身。鹿児島二中(現甲南高校)、七高造士館を経て東京帝国大学卒業後の1943年(昭和18年)、旧内務省入省。朝鮮総督府への出向、静岡県副知事、消防庁長官、自治事務次官などを歴任した後、1977年(昭和52年)に鹿児島県知事選に立候補し初当選。1989年(平成元年)まで3期12年務めた。在任中は、「官僚出身」を感じさせないざっくばらんな人柄で県民に親しまれた。 退任後の1989年(平成元年)、参議院議員選挙に鹿児島選挙区から自民党公認で出馬し初当選。2001年(平成13年)まで2期12年務めた。
2005年(平成17年)12月3日、心不全のため都内の病院で死去。享年84。
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