事務次官
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事務次官(じむじかん、英:Administrative Vice-Minister)とは、日本においては、政府の各府省において、府省の長である大臣を助け、府務・省務を整理し、各部局及び機関の事務を統括する職員。
大臣、副大臣等の特別職の下にあって、各省において職業公務員(官僚)が就く一般職の職員のうち最高の地位で、事務方の長といわれる。
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[編集] 概説
事務次官は、各省においてキャリアと呼ばれる高級官僚の中でも最高位にあり、職業公務員によって構成される官僚機構のトップである。その実力は各省の中で非常に大きく、官僚主導とされる日本の行政において実質的な最終決定権を有するともいわれる。
各省事務次官の調整機関としては、事務次官等会議がある。同会議が「等」の字を付して呼ばれるのは、内閣官房の内閣官房副長官(事務担当)が主宰し、また金融庁長官と警察庁長官も同会議の正規のメンバーであるためである。なお、金融庁長官と警察庁長官は、内閣府の外局等の長ではあるが、庁の上に担当の国務大臣(内閣府特命担当大臣(金融)、国家公安委員会委員長)が置かれており、給与・待遇も事務次官と同等とされている職である。
[編集] 歴史
事務次官の設置は、明治に内閣制度のもとで各省に置かれた次官に遡る。当時から次官は、大臣の下で事務方を統括する高等文官試験出身の官僚のトップであった。これが1949年(昭和24年)6月1日の国家行政組織法施行により、事務次官に改称[1]されて、現在に至っている。なお、国家行政組織法のもとでは長く国務大臣を長とする庁(大臣庁)が置かれており、これらの庁においても事務方の長として事務次官が置かれ、各省事務次官と同等の待遇を受けていた。しかし、2001年(平成13年)の中央省庁再編と2007年(平成19年)の防衛庁の省昇格に伴い大臣庁が消滅したため、現在はこのような事務次官は存在しない。
また、以前は、事務次官と同格の大臣補佐役として国会議員から政務次官が就任していたが、一般に当選2~3回の若手議員が政策勉強と人脈作りの目的で就任していたに過ぎず、お飾り以上のものではないと言われていた。これが2001年の省庁再編に伴って大臣に準ずるポストの副大臣と従来の政務次官と同待遇ながら役割を改められた大臣政務官に改められ、現在の事務次官は、これら政治任用の政治家のポストの下で事務を統括する役職に位置付けられた。しかし現時点においては、前者は中央省庁再編による大臣ポスト削減の補償であり、後者については、従前の政務次官の役割以上のものではないと評価されるように、事務次官を頂点とする官僚機構を政治が統制するという本来の目的は十分はたされていないという見方もされている。
[編集] 地位・身分
事務次官の身分は一般職の国家公務員である(防衛事務次官を除く[2])。一般職は、一般職の職員の給与に関する法律(一般職給与法)に基づいて俸給月額が決定される(検察官は除く)が、事務次官は同法による俸給月額のうち最高額の指定職8号俸を支給される[3]。
なお、一般職の職員のうち、事務次官以外で同法に基づく指定職8号俸を支給される官職には、会計検査院事務総長、人事院事務総長、内閣法制次長、宮内庁次長、警察庁長官、金融庁長官がある。これらの内、すでに触れたように警察庁長官と金融庁長官は、事務次官等会議の構成員でもある。一方、これらと異なって事務次官等会議の主宰者である内閣官房副長官は、事務次官よりも数段高い副大臣相当の待遇の特別職国家公務員である。
また、特別職及び検察官で事務次官と俸給等の待遇が同等の官職には、内閣官房副長官補、内閣広報官、内閣情報官、常勤の内閣総理大臣補佐官[4]、国家公務員倫理審査会の常勤の委員、公正取引委員会委員、国家公安委員会委員、式部官長、大使・公使の一部、統合幕僚長、検事の一部がある。国会においては、各議院事務局の事務次長、衆議院調査局長、各議院法制局の法制次長、国立国会図書館副館長が、裁判所においては、判事の一部、最高裁判所事務総長がこれらに相当する。
[編集] 事務次官等会議
事務次官等会議は、事務担当の内閣官房副長官の主宰により原則全ての省庁の事務方トップが出席し、月曜日と木曜日に首相官邸で開かれる会議である。既に触れたように、各省の事務次官のほか、警察庁長官及び金融庁長官も正規メンバーとして出席する。
事務次官等会議では、会議の翌日に開かれる閣議に備えて、各省庁から提出が予定されている案件を事前に調整する。
この場で調整がつかなかったりした場合は、翌日の閣議案件として上らないことになっている。このため、与野党を問わず官僚主導を嫌う政治家やマスコミから、事実上の政府の意思決定機関といわれている。しかし実際は、この会議の俎上にあがる段階では省庁間の調整は完了しており、この会議で議論が紛糾することは皆無といってよい。日本の行政機関の調整においては、事前の担当者レベルの折衝(根回し)によって合意形成がはかられることが常例であり、事務次官レベルでの会議は実際に是非を議論する場というよりも、閣議上程への合意形成が完了したことを確認する一種の儀式として行われているのが実態である。
国家行政組織法施行前には、前述のとおり事務次官の役職名は単に次官であったため、会議名称は「次官会議」であった。これが、国家行政組織法により、次官は事務次官と改められたため、会議名称も「事務次官会議」と改められた。さらに、1957年(昭和32年)7月30日、閣議決定により総理府総務副長官も構成員となった機会に、会議名称に「等」が挿入されて「事務次官等会議」となったものである。なお、総理府総務副長官の参加以前にも事務次官以外の構成員は存在したが、その時点では「等」は挿入されていなかった。
[編集] 事務次官の経歴
事務次官等は、キャリア官僚の出世レースのゴールであり、一般に同期入省又は後年入省の事務次官が誕生するまでに、同年次のキャリア組は退官し、省内に唯一残った最古参のキャリア官僚が事務次官となる。ただし、法務省および外務省は例外である(後述)。
おおむね、行政職、法律職又は経済職の国家公務員採用Ⅰ種試験を通過して省に採用された事務官のキャリアが就任する。例外には、事務官と技官が交互に事務次官となる慣行が存在した旧建設省、旧科学技術庁などがあり、省庁再編後も文部科学省に実績(結城章夫文部科学事務次官)がある。
任期は存在しないが、慣例的に1年から2年とされており、それまでに勇退(依願退職)して後身に譲る慣行である。従来、任期の慣例を大きく越えることは稀であったが、防衛省の守屋武昌防衛事務次官が4年目に入るなど、近年は長期化の傾向にある。
外務省では、外務事務次官経験者がその後大国又は国連等の重要な国際機関の駐在大使を務めることが慣例で、多くの場合は最終的に在アメリカ合衆国大使を務めてきた。しかし近年、外務省の不祥事を受けた改革において、次官経験者の自動的な大使任用慣行は改められた。ただし、政府は大使の任用は「適材適所の観点に立って」判断するとしており、今後も次官経験者大使が誕生する可能性はなくなっていない[5]。
法務省においては、事務次官は検察官の就任するポストであり、検事総長を頂点とする検察庁のキャリアピラミッドの中腹に位置する一過程に過ぎない。検察の中では法務事務次官よりも最高検察庁の検事総長(国務大臣級待遇)・次長検事(大臣政務官級待遇)や各高等検察庁の検事長(準副大臣・大臣政務官級待遇[6])のほうが上位にあり、法務事務次官経験者は事務次官を最後に勇退することはなく、さらにこれらのポストへと昇進を重ねることになる。
[編集] 現在の事務次官等会議構成員
府省等 | 官職 | 氏名 | ふりがな | 就任日 | 出身大学・学部等 | 年次 | 入省官庁 | 前職 |
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内閣官房 | 内閣官房副長官 | 的場順三 | まとば じゅんぞう | 2006年9月26日 | 京都大学経済学部 | 1957年 | 大蔵省 | 大和総研社外研究員 |
内閣府 | 内閣府事務次官 | 内田俊一 | うちだ しゅんいち | 2006年7月28日 | 東京大学法学部 | 1972年 | 建設省 | 内閣広報官 |
警察庁 | 警察庁長官 | 漆間巌 | うるま いわお | 2004年8月13日 | 東京大学法学部 | 1969年 | 警察庁 | 警察庁次長 |
金融庁 | 金融庁長官 | 五味廣文 | ごみ ひろふみ | 2004年7月2日 | 東京大学法学部 | 1972年 | 大蔵省 | 金融庁監督局長 |
総務省 | 総務事務次官 | 松田隆利 | まつだ たかとし | 2006年7月21日 | 京都大学法学部 | 1971年 | 行政管理庁 | 内閣官房行政改革推進本部事務局長 |
法務省 | 法務事務次官 | 大林宏 | おおばやし ひろし | 2006年6月30日 | 一橋大学法学部 | 1970年 | (司法修習) | 法務省刑事局長 |
外務省 | 外務事務次官 | 谷内正太郎 | やち しょうたろう | 2005年1月4日 | 東大院(法・政) | 1969年 | 外務省 | 内閣官房副長官補 |
財務省 | 財務事務次官 | 藤井秀人 | ふじい ひでと | 2006年7月28日 | 京都大学法学部 | 1971年 | 大蔵省 | 財務省主計局長 |
文部科学省 | 文部科学事務次官 | 結城章夫 | ゆうき あきお | 2005年1月11日 | 東京大学工学部 | 1971年 | 科学技術庁 | 文部科学審議官 |
厚生労働省 | 厚生労働事務次官 | 辻哲夫 | つじ てつお | 2006年9月1日 | 東京大学法学部 | 1971年 | 厚生省 | 厚生労働審議官 |
農林水産省 | 農林水産事務次官 | 小林芳雄 | こばやし よしお | 2006年8月1日 | 東京大学法学部 | 1973年 | 農林水産省 | 水産庁長官 |
経済産業省 | 経済産業事務次官 | 北畑隆生 | きたばた たかお | 2006年7月10日 | 東京大学法学部 | 1972年 | 通商産業省 | 経済産業省経済産業政策局長 |
国土交通省 | 国土交通事務次官 | 安富正文 | やすとみ まさふみ | 2006年7月11日 | 東京大学法学部 | 1970年 | 運輸省 | 国土交通審議官 |
環境省 | 環境事務次官 | 田村義雄 | たむら よしお | 2006年7月11日 | 東京大学法学部 | 1971年 | 大蔵省 | 環境省総合環境政策局長 |
防衛省 | 防衛事務次官 | 守屋武昌 | もりや たけまさ | 2003年8月1日 | 東北大学法学部 | 1971年 | 防衛庁 | 防衛庁防衛局長 |
※なお、各府省の歴代の事務次官等については、事務次官等の一覧を参照。
[編集] 参考文献
- 大森彌『官のシステム』(行政学叢書4)東京大学出版会、2006年
- 秦郁彦(編)『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年
- 村川一郎『日本の官僚 役人解体新書』(丸善ライブラリー)丸善、1994年
[編集] 注
- ^ 従って、国家行政組織法施行前に廃止された官庁については、内務事務次官、逓信事務次官、鉄道事務次官などの役職名は存在せず、このような表記は誤りである。単に内務次官、逓信次官、鉄道次官という表記が正しい。また、国家行政組織法施行後も存在した官庁であっても、それ以前に次官ポストに在任した人物の経歴を表記する場合においては、外務次官、商工次官などと表記するのが正しい。
- ^ 防衛事務次官は特別職であるが、その地位・待遇等は他府省の事務次官と同等である。
- ^ 検察官の俸給等に関する法律に基づく検察官の俸給月額には指定職8号俸よりも高額(検事総長・次長検事・検事長)のものがある。また、2004年の国立大学の法人化以前は、現行の指定職8号俸にあたる指定職11号俸の上に、東京大学と京都大学の学長(総長)に適用される12号俸があった。
- ^ 常勤の内閣総理大臣補佐官は特別の事情により事務次官より高額の大臣政務官と同額の俸給を支給されることがある。
- ^ 「衆議院議員鈴木宗男君提出外務事務次官経験者の大使任用に関する質問に対する答弁書」(内閣衆質164第226号)
- ^ 俸給額等について言えば東京高等検察庁検事長のみ大臣政務官よりも高く副大臣よりも低い待遇であり、その他の高等検察庁の検事長は大臣政務官に相当する待遇である。