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長勝院(ちょうしょういん、天文17年(1548年) - 元和5年12月6日(1620年1月10日))は、徳川家康の側室。父は永見吉英とも、田村意斎とも言われる。名はお万、小督局(おごうのつぼね)。
小督局は家康の正妻築山殿の侍女だったが、家康の子を妊娠した為、側室となる。天正2年(1574年)3月1日に、家康との間に秀康(越前国北ノ庄藩(福井藩)初代藩主)を出産。永見貞愛との双子で誕生したとの説もある。
また、家康の子を宿した当初、築山殿の嫉妬を買って折檻を受けた説もある。
元和5年(1619年)12月6日、72歳で没する。法名は長勝院殿松室妙載大姉。墓所は福井の永平寺と高野山の長勝院。