長坂の戦い
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長坂の戦い(ちょうはんのたたかい)は、中国三国時代 (中国)の208年に、荊州南郡当陽県において曹操が劉備を十万の兵で攻めて起きた戦い。
劉備が民の脱出を優先させるため、遠くににげようとした。しかし、劉備の妻や、息子 阿斗(後の劉禅)は置き去りにされた。その時、趙雲は、自ら曹操十万軍の中に駆け込み、阿斗の救出を試みる。なんとかたどり着けたが、妻は足手まといになると、自殺してしまう。趙雲は阿斗を抱いて劉備の元に帰って行き、曹操軍十万の中に駆け込み、帰還する。趙雲が長坂橋を渡った後、劉備義弟張飛は、長坂橋に来る兵を次々に倒し、長坂橋を焼き払う。劉備の脱出は成功し、曹操を後に討つと心に決めた。趙雲はこのことで有名になり、蜀の忠臣として後にも活躍する。