長尾顕景
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長尾 顕景(ながお あきかげ、生没年不詳)は、戦国時代の総社長尾氏の当主。庶流(高津長尾氏)の長尾定明の子。子に長尾憲景・景孝(後の直江信綱)・景房がいる。
関東管領上杉顕定(山内上杉家)に仕えて一字を拝領する。永正7年(1510年)に越後国の長尾為景との戦いに加わった父が顕定とともに討たれたため、その後を継ぐ。
大永4年(1524年)総社長尾氏当主の長尾顕方が山内上杉家の家宰職を足利長尾氏の長尾景長に奪われた事を恨んで北条氏綱と内応した。これを知った関東管領上杉憲寛によって顕方は廃され、代わりに顕景が当主となった。
だが、顕景も白井長尾氏の長尾景誠とともに長尾為景と通じたため、大永7年(1527年)に憲寛の命を受けた長野信業に攻められて降伏、出家して知龍斎元昶(ちりゅうさいげんえい)と名乗って家督を景孝に譲った。
その後の動向は不明だが、武田信玄の侵攻で総社長尾氏が所領を失った時に老齢の顕景も一族とともに越後の上杉謙信を頼ったとも言われている。