長期信用銀行
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長期信用銀行 (ちょうき-しんよう-ぎんこう) とは、預金の受入れに代え債券を発行して設備資金又は長期運転資金に関する貸付けをすることを主たる業務(長期信用銀行法第四条)とする金融機関である。
根拠法は長期信用銀行法であり、同法第十八条に於いて長期信用銀行は、銀行法にいう銀行ではないと規定されている。
[編集] 長期信用銀行制度誕生の経緯と沿革
太平洋戦争前、設備資金や長期運転資金の融資は特殊銀行の業務であった。戦後、GHQは占領政策の一環として、これら特殊銀行を解散させるか普通銀行へ転換(債券の発行は認められた)させるかし、長期資金については資本市場に委ねる方針を採った。しかしこの結果、戦後復興の進展もあって、各銀行は預金量を超えて融資する「オーバーローン」の状態に陥った。そこで、かつての特殊銀行にあたる長期金融機関の必要性が叫ばれ、1952年に長期信用銀行法が制定された。
長期信用銀行制度の発足にあたり、動向が注目されたのは、特殊銀行から普通銀行に転換した日本興業銀行(興銀)、日本勧業銀行(勧銀)、北海道拓殖銀行(拓銀)であったが、興銀が長期信用銀行への転換を表明したのに対し、勧銀と拓銀は普通銀行にとどまるが、新設される長期信用銀行に協力する姿勢をとった。さらに、旧朝鮮銀行(鮮銀)の社員有志も、清算で残った財産を元に「不動産を担保に長期融資を行う銀行」の設立構想に動いた。
こうして、1960年までに、日本興業銀行、勧銀・拓銀を母体に設立された日本長期信用銀行(長銀)、旧鮮銀系の日本不動産銀行(のち日本債券信用銀行(日債銀)に改称)の3行が設立された。
バブル崩壊後、2000年頃までに長銀と日債銀が破綻、それぞれ新生銀行とあおぞら銀行となり、興銀はみずほグループの再編成に伴いみずほ銀行とみずほコーポレート銀行に分割され消滅、2004年4月1日に新生銀行が普通銀行に転換し、最後の長信銀となったあおぞら銀行も2006年4月1日に普通銀行へ転換した事に伴い、長期信用銀行法に基づく銀行は消滅した。これによって、今後は長期信用銀行法の将来の在り方が考えられる。
[編集] 長期信用銀行略年表
- 1902年(明治35年)3月 - 日本興業銀行が日本興業銀行法(明治33年法律第70号)に基づき設立
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 日本勧業銀行法等を廃止する法律(昭和25年法律第41号)の施行により日本興業銀行法が廃止され、日本興業銀行が銀行法(昭和2年法律第21号)に基づく銀行に移行
- 1952年(昭和27年)12月 - 長期信用銀行法(昭和27年法律第187号)が施行し、日本興業銀行が長期信用銀行に移行。日本長期信用銀行設立
- 1957年(昭和32年)4月 - 日本不動産銀行設立
- 1977年(昭和52年)10月 - 日本不動産銀行が日本債券信用銀行と改称
- 2000年(平成12年)6月5日 - 日本長期信用銀行が新生銀行と改称
- 2000年(平成12年)9月29日 - 日本興業銀行が第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)及び富士銀行(現在のみずほコーポレート銀行、以下同)と株式移転によりみずほホールディングスを設立し、三行はその完全子会社となる
- 2001年(平成13年)1月4日 - 日本債券信用銀行があおぞら銀行と改称
- 2002年(平成14年)4月1日 - 日本興業銀行が富士銀行と合併し解散
- 2004年(平成16年)4月1日 - 新生銀行が金融機関の合併及び転換に関する法律に基づく認可により普通銀行に転換
- 2006年(平成18年)4月1日 - あおぞら銀行が普通銀行へ転換
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- 註: 銀行法(昭和2年法律第21号)は銀行法(昭和56年法律第59号)によりその全部を改正されている。