長興寺 (豊田市)
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長興寺(ちょうこうじ)は愛知県豊田市にある臨済宗東福寺派の別格寺院。山号は集雲山(しゅううんざん)。正式な寺号は長興禅寺。開山は太陽義冲。
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[編集] 起源と歴史
- 当時の寺域は南北5丁余り、東西4丁余り、18坊に及ぶ塔頭が建ち並び、地域最大であった。
- 室町時代中期 応仁の乱(1468年 - 1477年)後、中條氏の衰退と共に衰退。
- 永禄10年(1567年) 余りの偉容さに城と間違えた織田信長によって焼失
- 天正11年(1583年) 信長の家臣で衣(当時の表記は挙母ではない)城代の余語正勝が、再興した長興寺で信長の一周忌法要を行った。
[編集] 長興寺村
長興寺を中心に住民が増加し、寺院への供物を受け持つ地域を東西に分け、「長興寺字供膳(くぜ)寺」という地名が設定された。これが今の地名が寺の地名と同じになった起こりである。
江戸時代には長興寺村となり、挙母藩(2万石)の領地の1部であった。城下ではなく、農村集落で約400石ほどであった。
明治時代中頃に、周囲の村と合併して根川村となり、更に明治39年に、城下と合併して挙母町となった。
[編集] 文化財
- 重要文化財
- 絹本著色仏涅槃図
- 紙本著色織田信長像 狩野元秀筆
- 絹本著色無為昭元像
[編集] 所在地
愛知県豊田市長興寺1-29