開発途上国
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開発途上国(かいはつとじょうこく、英語:Developing Country)とは、経済発展・開発の水準が先進国に比べて低く、経済成長の途上にある国をさす。アジア、アフリカ、ラテンアメリカ、東ヨーロッパの国々に多い。
一般的にはOECDのDACが作成する「援助受取国・地域リスト」( DACリスト)第Ⅰ部に記載されている国及び地域を指す。 略して途上国、または発展途上国とも言う。
[編集] 概要
かつては、低開発国 (Less Developed Countries) 、後進国 (Undeveloped Country) などと呼ばれていたが、「成長しない国」「未開の国」の含意が見られ差別的だとして、開発途上国、もしくは発展途上国という呼び方が一般的になった。
開発途上国にも幅がある。新興工業経済地域(中進国)と後発開発途上国(最貧国)とでは、現況や抱える問題が違い、両者の格差は拡大傾向にある。前者では、先進国の製造業が安価な労働力を求めて進出してきたことにより、所得の向上、教育水準の向上が進んでいる。それに対して後者では一次産品に強く依存した経済や、戦乱や災害に伴う労働力人口の減少の影響が深刻で、その中でも才知ある人材が他国へ流出していることなど、将来の展望に不安が多い。また開発途上国の中には、人口の急増により、労働力人口に対して十分な雇用を創出できず、失業者や不完全就労者の増加に苦しむ国々も多い。
先進国の観点からは、これらに分類される国は不幸な生活をやむを得ずしているととらえられがちだが、経済指標が豊かさのすべてを語り尽くせるものではなく、開発途上国に暮らす人々であっても伝統にはぐくまれた文化に囲まれて生活している場合もあるため、一様に「開発途上国=貧しく不幸」と考えるのは誤りである。
[編集] 歴史
第二次世界大戦が終結して間もない頃、アメリカとソ連、欧州の一部の国を除いて他の国はどこも国民所得の水準が低かった。
この頃は、アジアの平均国民所得よりアフリカの平均国民所得のほうが高かった。
その後、ドイツや日本などで急速な経済成長がおきた。続いて1960年代から第三世界での経済成長が始まった。宗主国から独立した植民地諸国だったが、いくつかの国では内戦が勃発し、発展の制約となった。
1970年代、石油危機を境に資源ナショナリズムを強めた産油国が莫大なオイルマネーにより経済発展を遂げた。この頃、対外債務を生成して資本輸入による工業化を図っていた諸国が、原材料価格高騰により変調をきたし対外債務問題を発生させた。
対外債務問題は、1970年代末から1980年代初めにアメリカの金融政策により起きた世界的な金利上昇により解決不能となり、途上国諸国(特に南米諸国)は返済計画のリスケジューリングを受け、厳しい再建の時代を迎えた。
一方、直接投資を導入した東アジア・東南アジア諸国は高い経済成長を維持。1980年代に本格化する日本企業の工場移転などで急速に工業化が進んだ。金利を高めに維持して、外資を導入し資本蓄積をすすめる成長システムは世界から注目を集めた。しかし、1990年代半ばにアメリカが同様の成長システムへと転換したことから競合が起き、1997年には大幅な通貨切り下げに見舞われ成長システムは破綻した(アジア通貨危機)。
1970年代始め頃からはソ連の経済成長が鈍化したものと考えられており、東欧の衛星諸国も成長鈍化に見舞われたものと思われる。1980年代末に東欧革命が連続的に起き、欧州を東西に分けていた壁が消滅した時点においては、西欧諸国と決定的に経済格差が生まれていた。