間部詮央
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間部 詮央(まなべ あきなか、1738年12月12日(元文3年11月2日) - 1771年7月11日(明和8年5月29日))は、越前鯖江藩の第3代藩主。父は第2代藩主・間部詮方(詮央は次男)。母は有馬一準の娘。正室は朽木玄綱の娘・浄鏡院。子に娘(織田秀綿室)。官位は従五位下。主膳正。
長兄は早くに亡くなっていたため、宝暦11年(1761年)12月に父から家督を譲られて藩主となった。しかし江戸上屋敷の火事や婚礼における経費、凶作などの不幸が重なって財政は火の車となり、詮央は厳しい倹約令を出して財政改革に取り組もうとしたが、その矢先に死去した。享年34(数え年)。嗣子が無かったため、弟の間部詮茂が継いだ。
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