陶片追放
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陶片追放(とうへんついほう、ὀστρακισμός、Ostracism)は、古代アテナイで僭主の出現を防ぐために制定された制度。オストラシズムあるいはオストラキスモスとも表記される。
アテナイにおいて僭主ヒッピアスを追放したあと、クレイステネスが紀元前508年ころに定めた。市民が僭主になるおそれのある者の名を陶片に記し、投票数が一定数を超えた場合、その人物に10年間の国外追放が言い渡されたとされる。ただし、陶片追放された者が犯罪者のように扱われたわけではなく、一定の追放期間後には政治の主導権を握ることも可能だったし、彼の市民権、財産などが否定されることはなかった。
しばしば政争の道具として使われ、有能な政治家などが追放されることもあった。ペルシア戦争におけるサラミスの海戦で活躍したテミストクレスも、陶片追放によってのちにその地位を追われた。そのため、陶片追放に古代アテナイが衰退する一因を見いだす見解もある。前5世紀末には行われなくなった。
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