集成館事業
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集成館事業(しゅうせいかんじぎょう)とは、島津氏第28代島津斉彬によって起こされた日本最初の洋式産業群の総称をさす。
[編集] 概要
島津斉彬が薩摩藩主になった当時、中国でのアヘン戦争などでイギリス、フランス、アメリカなどの欧米諸国がアジア各地で植民地化を進めていた時期であり、日本の植民地化を憂慮した島津斉彬は富国強兵、殖産興業をスローガンに現在の鹿児島市磯地区を中心としてアジア初の近代洋式工場群を建設に取り掛かる。
特に製鉄・造船・紡績に力を注ぎ、大砲製造から洋式帆船の建造、武器弾薬から食品製造、ガス灯の実験など幅広い事業を展開した。この当時佐賀藩など日本各地で近代工業化が進められていたが、島津斉彬の集成館事業は軍事力の増大だけではなく、社会インフラの整備など幅広い分野まで広がっている点が他藩と一線を画す。
斉彬死後、集成館事業は一時縮小するが薩英戦争でイギリス艦隊に打撃を与えたことで、斉彬の集成館事業は見直され、集成館機械工場(現尚古集成館)、日本初の紡績工場である鹿児島紡績所を建造するなど日本の近代化に貢献した。