雷門福助 (初代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
初代雷門福助(らいもんふくすけ、1900年10月20日 - 1986年6月11日)は、落語家。本名は川井初太郎。「落語界のシーラカンス」
東京の深川生まれ、生年月日は口伝えでは2月3日の初午の日でそれゆえに初太郎と名付けれられた。 奉公に出たあと陸軍省の田中義一大臣の運転手の助手をしたり徳川夢声の元で活動弁士の下働きなどをしていた。
22歳の頃から幇間をしていた友人の薦めで6代目雷門助六に入門して福助を名乗る、二つ目のときに師匠が名古屋に「助六興行部」を設立したので一緒に同行した。関東大震災が起った際東京に戻らずそのまま名古屋に住み着いた。
戦後は名古屋で旅館を営み、名古屋在住の芸人の団体「名芸互助会」の会長を長年務めた。 東京の「東宝名人会」に出演した際、「落語界のシーラカンス」もてはやされ、度々東京の寄席にも顔を出すようになった。
落語はお題噺を得意とし大正時代の古き噺を演じていた。SPレコードも数枚残されている。
弟子には雷門米蔵、雷門小福、雷門喜助
[編集] 出典
- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X