霍去病
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
霍 去病(かく きょへい 紀元前140年 - 紀元前117年)は、前漢の武帝時代の武将である。父は、霍仲孺。異母弟は、大司馬大将軍になり、武帝後の政治を取り仕切った霍光。
衛青の姉、衛小児の子にあたり、同じく衛青の姉であり、霍去病の叔母にあたる衛子夫が武帝に寵愛されて戻太子を生んだことで皇后に立てられたため、親族にあたる霍去病も覚えが良く、武帝に寵愛されていた。
騎射に優れており、18歳で衛青に従って匈奴征伐に赴いている。その後も何度も匈奴征伐に功績を挙げ、紀元前121年に驃騎将軍に、更に紀元前119年には匈奴の本拠地を撃破し、衛青と並んで大司馬とされた。大功と武帝の寵愛により権勢並ぶ物が無くなった霍去病だが、紀元前117年、わずか24歳で病死した。
霍去病と衛青は同時代に活躍し、血縁でもある事からよく比較される。衛青は少年時代に奴隷であった経験から人にへりくだり、常に下級兵士の事を考えていたと言われる。その一方で、霍去病は物心付いた時には既に一族は外戚であり、叔父が匈奴討伐に大功を上げていた。その事から叔父とは対照的に傲慢であり、兵士が飢えている時に自分たちは豪華なテントの下で宴会を開くような事をしていた。しかし意外にも、宮廷でも兵士の間でも、霍去病のほうが人気は上であった。衛青はへりくだりが度を過ぎて媚を売るような所があったらしく、また、霍去病の傲慢も頼もしい勇壮と見られていたようだ。武帝も自身の性格から、積極果敢な霍去病をより好んでいた。