青木俊矩
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青木俊矩(あおき としのり、? - 慶長13年(1608年))は、安土桃山時代の日本の武将。豊臣氏家臣。父は青木一矩、子に青木久矩、宮内卿局(木村重成母)がいる。一矩の甥で養子という説もある。通称善右衛門、官途は右衛門佐。
秀吉の馬廻衆として仕え、文禄の役では肥前名護屋城に在番した。秀吉没後の慶長4年(1599年)、父が越前において二十万石を与えられたのと同年に越前金剛院城主2万石の大名となる。
関ヶ原の戦いでは父と共に西軍につき北陸路で戦うが、敗北。戦後改易され加賀前田家に預けられる。慶長13年5月、金沢にて病没した。
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