ノート:韓国併合
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[編集] 独立運動の弾圧
申し訳ありませんが、「韓国人らによる独立運動は弾圧された」という記述を即刻削除されたのですが、事実と異なるのでしょうか?少なくとも日韓併合を肯定的に捉えるにしても、独立運動は存在しそれは弾圧されたというのは事実ではないのでしょうか?01:19 2005年6月22日 (UTC)
- 事実だと思いますよ。johncapistrano 2005年6月21日 (火) 16:35 (UTC)
別段落を作ったほうがいいですね。Commonsenses 2005年6月22日 (水) 09:26 (UTC)
- ノートとやってることが違いますが・・。johncapistrano 2005年6月22日 (水) 09:37 (UTC)
時系列から逸脱してるんですが。別段落、もしくは別項目を立てるとよろしいかと。Commonsenses 2005年6月22日 (水) 09:43 (UTC)
- 別段落も良いかもしれませんが、時系列から逸脱しているでしょうか?独立運動(併合後)ついての記述であり、「日本は併合後、朝鮮半島の政治団体を禁じ、一進会も解散させた。」ということにも関連します。 2005年6月23日 (木) 17:31 (UTC)
こうしてみてみると、一進会の記述がここにあること自体が不自然なんですね。消してみましたが、流れ的にすっきりしました。Commonsenses 2005年6月23日 (木) 14:07 (UTC)
2005年7月19日 (火) 23:44 の版に戻すことを提案します。これ以降の編集は重要な事実を削除しています。また中立性に配慮してなされた編集も無効にしてしまっています。61.210.36.136 2005年7月23日 (土) 17:40 (UTC)
- 意味不明。具体的にどうぞ。Commonsenses
[編集] 日本統治下の朝鮮を植民地と呼ぶかどうかについての論争
利用者ノートの韓国併合について より転載
中立的とはなんでしょうか、どの記述が中立的ではないのでしょうか。「注意が必要である」とか「問われるべきである」とか自分の考えを読者に押し付ける貴方の編集のほうがよほど非中立的に思えるのですが。--221.188.246.156 2006年1月2日 (月) 09:44 (UTC)
日本の行った政策は西欧の行った植民地政策とは異なるものなのに、植民地という言葉で2つの異なる事象を説明する意図こそ理解不明である。百科事典に求められることは曖昧な言葉を使わないことであろう。故に、誤解を生じさせないよう補助文を追加した。問題があるか?
このことが中立を損なうというならば、
- 1.植民地の定義を明確に述べよ。
- 2.百科事典中における事実の記載のために、多義の言葉を用いる合理的理由を述べよ。
>日本の行った政策は西欧の行った植民地政策とは異なる?
これ自体が一つの見解、認識に過ぎないのであって、自明の事実であるかのように記述するのは疑問を覚えます。
>植民地という言葉で2つの異なる事象を説明?
よくわかりません。植民地かどうかについて論争があることを紹介しているのであって、植民 「植民地とする人と植民地としない人がいる」ということを紹介するのに、なぜ編集者が定義を記述しなければいけないのかわかりません。「そのような論争が存在する」ということを紹介することには意義があると考えますが。--221.188.246.156 2006年1月2日 (月) 11:29 (UTC)
追記は適切な位置に願いたい。で、それで答えたつもりなのか。その答えでは曖昧さを放置する理由にはならない。wikiにさえ、曖昧さを解消するためのページがある位だ。根拠希薄な言説でも紹介しただけなんだから何が悪い、と居直られても困る。もう一度言うが、先の2項に関して適切に解答願う。
曖昧(決定的な回答はない)なのだから曖昧であると書くしかないと思いますが。そのようなものに言及すること自体を止めよという御趣旨でしょうか。--221.188.246.156 2006年1月2日 (月) 12:06 (UTC)
不誠実な態度を続けるだけではなく、曖昧さを含んだ記事を注釈も加えずwikipediaに投稿したとしても、誤解した者が悪いという主張をしたものと解釈する。今後、同様の行為や発言を行う管理人諸氏に関しても同様とみなす。
何を「誤解」するのかよくわかりません。とりあえず中立化してみました。--221.188.246.156 2006年1月2日 (月) 12:34 (UTC)
注釈にてノートで議論せよ、と言ったのに、不誠実な対応をしたという証拠ができた。こちらも表現を少しまろやかにしてみた。
中立かどうかは別としてあの前置きはいらない。然し植民地という言葉を用いても中立性が損なわれるとはおもわない。誰が議論しているかわからないから署名をせよ--代言人 2006年1月2日 (月) 13:17 (UTC)
なぜ不要だと判断できるのか。貴方の主観を問うているのではない。理由を提示しない貴方の条件反射の書き込みは客観性がない証拠である。では冒頭の2項目について矛盾なく解答できるならば、それを不要だとする根拠とみなして、私の主張を引っ込めることにする。誠意のある解答を宜しく。
↑署名しないと誰の発言か見難い その節の題名ですでに論争があることについて述べていて、『日本政府の~』以降の記述は事実に即した内容だから有用。しかしその間にある説明文はそれぞれの思想をもつ人の思惑について書いてある。百科事典が親切にそれぞれの勢力の思惑まで判定する必要がない。そもそも植民地にはそこまで悪い意味はない。イメージが悪いだけ。
植民地:経済的又は軍事的手段を用いて政治的・経済的に従属させられた地域の事。善政か悪政かを問わない
朝鮮半島は軍事力等を背景に実効支配していたのは明白な事実であり、素晴らしい善政を行っていたとしても植民地で通用する。韓国併合の項目に植民地の説明をたらたらする必要は無く、そこでは植民地と呼ぶかどうか論争があると紹介するだけで充分。そもそも学者でも議論が分かれているという問題に定義することなど不可能。だから両論併記し出典を明記する。 --代言人 2006年1月2日 (月) 14:04 (UTC)
「植民地」という言葉の意味やイメージについて多様なものがあるのは確かでしょう。しかし「植民地という言葉が様々な意味に使われているが、ここでは便宜上○○という意味で使う」といった文言ならまだしも「植民地という言葉の使用については十分な注意が必要である」といったことを本文に書き込むのは注釈の範囲を超えており、場違いではないでしょうか。 また、 221.188.246.156氏が指摘するように、本文において「植民地」という言葉が誰かがそういった言葉を使ったという事実を紹介する以外の文脈で、なおかつ(政治的・経済的に従属させられた)新規の領土を指す便宜上の符牒以外の用途に使用された形跡も見られません。ですから、もし植民地という言葉がその意味が曖昧なまま本文で使われたというならその実例をあげるべきでしょう。それをせずに「無駄な反論」「それで答えたつもりなのか」「不誠実な態度」といった発言を繰り返していても脈絡のない中傷発言としか映りません。 >植民地:経済的又は軍事的手段を用いて政治的・経済的に従属させられた地域 これも、このような地域を植民地と呼ぶことも一つの表現方法ではあるでしょうが、多様な用法の一つでしょう。やはり、「植民地」という言葉については多様な意味やイメージがあるということを踏まえた上で、注釈として本項目ではこのような意味で植民地という語法を用いることを断っておくのが良いと思えます。 Knightofathena 2006年1月2日 (月) 14:21 (UTC)
場違いな記述を適切に書き直していただけるなら、歓迎する。 が、故意のミスリードを、多様な表現方法だろ、などと言い逃れることが可能になっては中立性は失われる。管理者がそれを公言するようでは、世も末だ。こちらは文頭にて2つの質問を掲げているが、明確に答えず、はぐらかす解答のみで被害者ぶるのは如何であろうか。馬鹿馬鹿しくて答える気になれないか、それ以外の理由か。こちらとて植民地という言葉を使うな、と禁止しているのではない。誤解を与えないよう注釈を入れろ、と言っている。文句があるなら議論せよと書いたが、無視して書き換えた。一方的に見えるかもしれないが、非難される謂れはない。
さて、併合をしつこく要求したのは朝鮮側なので、日本が武力によって支配したとする意見からして情報が不足しているのではと推察する。軍事力を背景にというが、高々2個師団しか常駐していないとはずいぶん平和に統治できたものだ。 ちなみに朝鮮はフランスやアメリカ、そしてこれらの連合軍15000人あまりを撃退しているので、日本の軍事力は過分に評価されすぎている嫌いがある。一滴の血も流れず、平和的・合法的に結ばれた併合を、なにがなんでも西欧諸国の血と怨嗟にまみれた植民地支配と重ね合わせようとするのは何がねたましいのか。
貴方達のイデオロギーはともかく、三省堂の英語教科書問題や某英語辞書のような恣意的記述は謹んで貰いたい。さて、署名は他所では勝手についていたようだが、ここはついてないようだ。気のせいか?
説明する文章が不要だという意見とイデオロギーは何も関係なく、なんでもかんでも政治的主張が介在すると推測するのは一種の被害妄想だね。合法的に併合されたかどうかは議論があるが、文章のつくりに関する意見を自分とは違う思想をもつ人間だと断定するのはどうかね。政治的思想をもとに記述していたら多数の歴史に関する項目が編集合戦になるでしょう。実際そうなっているし。--代言人 2006年1月2日 (月) 15:43 (UTC)
とりあえず「植民地」という表現については語句としての「植民地」を指している場合や、実際に「植民地」と見なす立場を紹介する場合を除いて全て修正しました。
- と思ってたらまた「植民地」という用語に書き直している人がいるようですが。
とにかくも、「植民地」という言葉は単純に政治的な従属的状況を表すものに関しても使われるもので、そうした意味で使われているものに関して「故意にミスリード」と指摘するには当たらないと思います。
>植民地の定義 >百科事典中における事実の記載のために、多義の言葉を用いる合理的理由 そもそも文脈から単純に政治的な従属的状況を表すのか、語句としての「植民地」を指しているのか、その他どういった意味で使われているのか明白なのでことさらに「定義」せずとも曖昧さは生じないし「多義」にもあたらない、ということは以前より多くの人から指摘されていることです。主張の是非以前に、既にこのように「反論」がなされているのにそれを汲み取ろうとしないことのほうが問題だと思うのですが…。 Knightofathena 2006年1月2日 (月) 19:01 (UTC)
日本は朝鮮を軍事力を背景に支配したし、だから植民地でいいだろ、とする意見を否定してみたが、反論願う。先の定義であれば、ハワイこそ植民地の定義に適い、項目にその旨記載するのが妥当だろう。必要ならば、私が書いてもよい。内容の異なる政策を植民地という1つの言葉で注釈無しに表現するのは百科事典中において適切ではない。何度も言うようだが、明白だとか、多くの人が、とは根拠に乏しい主観でしかなく、注釈が不要とする正当な理由足り得ない。
「マイナスイオン」という言葉が如何に多用されようとも、正式な化学用語ではない。が、wikipediaではマイナスイオンについて丁寧に解説されていることを指摘したい。こと半島関連の記述は中立性に欠けた記述合戦に陥り易い事を念頭におくべきである。よって植民地という言葉に適切な注釈を付加することは妥協の最低ラインである。(218.224.3.86(履歴から附加)
韓国併合の本文中に植民地と云う用語の説明をする必要はないという指摘に対し、自説を以って韓国は無血併合だから植民地は不適当というのはそもそも論点が違う。ハワイだってチベットだって植民地かもしれないけど韓国併合の記事には関係ない。218.224.3.86氏は植民地という用語に誤解があるかどうかの前に自らの主張へ誘導しようとする定義を設けようとしているだろう。植民地と言う語の定義が曖昧なら植民地の定義については”植民地”の項参照と変更すべし。--代言人 2006年1月3日 (火) 08:12 (UTC)
- うんと単純化してしまいますが、
- 朝鮮統治は善政だったのだから「植民地」の語はあたらない。
- いや「植民地」と呼ぶべきだ。また、決して善政ではなかった。
- 善政悪政を問わず「植民地」の語で呼ぶべきだ。
- ……という主張は聞いたことがありますが、……
- 朝鮮統治は悪政だったので「植民地」と呼ぶべきだ。
……などという主張は聞いたことがありません。よって、そのように編集しました。ノートの議論を完全に踏まえているか自信がありませんが、申し訳ないけれども、署名はないし、利用者ノート(218.43.53.217さんのノートですよね?)とあるので読んでみても何から論争が起きたのか文脈がわかりにくいし、踏まえきっていない部分があるかもしれませんがそのへんはご勘弁ください。--Iosif 2006年1月22日 (日) 08:07 (UTC)
Iosif記:「植民地と呼ぶかどうかの論争」セクション、前半3段落の削除を提案します。 直後には「植民地統治時代、日本は合邦した朝鮮、他の外地をどのように呼んでいたかを紹介する」とつづけるのみにとどめるべきだと思います。
というのも、どうもおかしい。「植民地か否かの論争」というものがあると本文にあるので、よく知らないまま「ふうん、そういうものか」と思いましたが、ノートをすべて読み、本文を読み、履歴を読んでも理解できないので、ご説明ください。いったいどこで「植民地か否か」という論争があるのでしょうか? いったい誰が「概念として『植民地』を適用するのはあたらない」としているのか、「西欧と違うから植民地ではない」と書こうとしている複数のIP編集者諸氏に示してもらえないでしょうか。この場合、研究者に限ります。朝鮮史研究者であって日帝時代に詳しい人ならベスト。その他、植民地政策を比較できるていどいずれかの植民地政策を研究なさっている方の引用。植民地にあたらないと語っている方なら、当然、合意された「植民地」の定義を示している(=ふまえている)方でなければならないとお考え下さい。どこでどう合意された概念であるがゆえに日本統治はそれに当たらないとおっしゃっているのかを述べている方です。当たり前ですが、主張(政治宣伝)として書いているジャーナリストもしくはアカデミックジャーナルで書いている大学教員(しかし専門外者)等、学的権威を認めがたい方は不可だということを先に確認させてください。もちろん、学的権威を認められるかどうかについてはもちろん議論の対象だと思います。
ノートを参照しても、本文の履歴を見ても、多くの方が「植民地」の語は、曖昧な部分こそあれ(だから価値中立的だという逆説をご理解いただけない方もいらっしゃいますが)「善悪の判断を含まない呼称」「ネーミングは先行モデルに準じるので、先行モデルとの違いがあるのだとすれば、その違いを明確にすることで違いをなるだけ明示した呼称を用いるべき(○○型植民地とか?)」との立場のように見受けられます。私はこの立場しか耳にしたことがありません。「植民地と呼ぶべきかどうか議論がある」と書かれているのでいったん納得しかけましたが、その後調べてみても、そのように唱える朝鮮史学者の存在を確認できません。政治的主張のために先行モデルから流用している概念の使用を拒絶せんがために「議論がある」と記述するのであればWikipediaには不適切です。流通している概念に異を唱えたいとしても、それが正しいか否かにかかわらず、その種の異議は独自の研究発表です。この種の異議はあるていどの勢力を得ているのかをご提示ください。相手を特定しておりません。複数の方がいらっしゃるようですが、それらすべてのIPを正確に網羅的に書き写す自信がないもので、そのへんはご理解ください。--Iosif 2006年2月14日 (火) 19:30 (UTC)
そこまで学者や専門家の権威を絶対視する理由がわかりませが・・・・・・・・・・・・下の保守派と革新の認識にも書いてありますが植民地と呼ぶのはけしからぬというのは保守派の間で一般的な認識なのではないですか。----220.105.155.28 2006年2月18日 (土) 12:23 (←署名付加はIosifによるIosif 2006年2月18日 (土) 20:19 (UTC))
- 絶対視と言われると戸惑いますが、何か説明の必要があるのでしょうね。私は単に「そういうルール」なのだと理解している次第です(し、参加して早々に、そう叱られたし)。「権威」という表現が誤解を招いているようなら「すげーすげー定評がある」と言い換えてもいいかもしれません。私も年季が浅いのでWikipediaのマニュアルを自信をもって持ち出せませんが、お互いに匿名であるという空間ですから、誰かの単なる意見ではなく、議論なり論証の“各過程”で根拠が明示されているもので、匿名の我々もその気になれば互いに確認(ひょっとすると検証)できるものって、研究者複数が相互にチェックを入れるだろうという前提のうえに公に発表されている「研究」ということになるんだろうと理解しています。全部が全部そうやって議論すべきとは言わないし、自分もそうはしないですが。で、自論により入り込みますが、研究書を根拠にするのに対して、一番最悪なのが我々含む素人の一次資料の引用で、恣意性を指摘する糸口もなかったりする(たまに横着してやっちゃうけど←すみません)。同じ理由で、朝鮮語を読んでいるわけでもないであろう専門外の方が大学教員の肩書きで論壇誌あたりでやっていらっしゃる日朝関係史講義あたりはナシにしてくださいね、という話です。その値打ちをじゅっぱひとからげに否定しているのではなく、単に共通の材料にしようがないというだけのことです。もちろん、こういうことを言う本来の理由は、いくら一般的と言われても本気でココ以外では聞いたことがないからであって、そうでなければこんな堅苦しいこと(かつ偉そうなこと)は言わないです。Iosif 2006年2月18日 (土) 20:19 (UTC)
でしたら下の歴史認識の比較も削除しますか?これもアカデミックな見解でもなんでもないと思いますが。保守派や革新的の間で一般的な認識とか検証するのは困難ですよね。学者や専門家の権威自体を否認する立場だってあるわけです。朝鮮人の捏造に媚び売るブサヨ学者の言うことなど誰が信用できるみたいな。そういう意味で建前云々書いたのですかご理解頂けなかったようで残念です。--220.105.155.28 2006年2月18日 (土) 22:45 (UTC)
- はい。私個人は、現在の「歴史認識の比較」を削除することに限りなく賛成に近いです。すでに、その旨をこのノートで意見として述べていますが、提案して実行まではしていない理由も述べています。単に合意が
絵荒れ得られていないだけです。しかし「歴史認識の比較」セクションはアカデミックなふりをしていないのと、「これはPOVですよ」と先に宣言しているボックスが用意されていることとで、許されているのだと理解しています。Iosif 2006年2月19日 (日) 09:14 (UTC)
提起してから短い(1週間)とはいえ、あまり反応がないままなのが心配です。心配なので、内容的には「植民地と呼ぶな」論は削除せず、順序を変えながらいじってみました。とりあえずの編集です。Iosif 2006年2月21日 (火) 20:13 (UTC)
参考までに。渡部昇一氏が「諸君」の2004年8月号で、当時海外では殖民を意味するコロナイゼーションという単語は使われておらず、合邦を意味するアネクセーションという言葉が使われていたということから、朝鮮は植民地ではなかったという主張をしています。(黄文雄氏との会談で。[1]参考。)Qazzx 2006年3月3日 (金) 02:07 (UTC)
こういうのもあります。[2]
旧日本外地について記述する場合に、植民地という言葉は絶対必要なのでしょうかね?これからも植民地と呼ぶのはまかりならんという人は必ず出てくるでしょうから、無益な編集合戦を回避するためにも、やはり避けた方がいいと思うのですが。植民地という言葉を使わないことで植民地性を否定も肯定もしない、というのが一番中立的だと思いますが。--220.105.155.28 2006年3月3日 (金) 12:06 (UTC)
- Iosif記:▼もはや私に何も言う資格はありませんが(釈明は行いますが確認が先なので)……。「植民地」の語は必要だと思います。というか「まかりならん」というのが理解できないのです。韓国併合について、アネクゼーションと訳されているのは当時だけでなく今でもそうだと思います(ただ、ご紹介のサイトにもあるように、別に「植民地」の語と矛盾するように思えない)。
- ▼しかし、用語(英単語がどうしたこうした)の問題ではなく、「モデル」の問題ではなかったのでしたっけ?。ノート冒頭の異議のように、モデルが当てはまらないとか、そんなモデルを当てはめると説明できないことがたくさん出てくるとか、他のモデルを発明したほうが朝鮮の特徴をよく捉えられるとか、そういう理由でモデルの適否が論じられるのならわかるのですが。
- ▼しかし、現段階では「植民地」という理念型(理念型として純化されたモデルだから当然全ての現実はそこから大なり小なり逸脱している)では通用しなくなるような、大きな逸脱があると合意されていない。善政だったら植民地ではないというのは(政治的意図に基づいた)一つの見解にすぎないわけですから。結局は、「『植民地』だなんて聞こえが悪い」と言っているだけのようにしか思えないんですよ。そんなことを言うなら例えば、ソ連を「全体主義」モデルで把握することに左派から(ソ連に当然批判的な左派から)異論があった時期が長いです。しかし、ナチ・ドイツとの類似に注目することに意義があると認知されるにつれて、左派も「全体主義」モデルの適用に異論を唱えないところに至っていますよね?(と私は認識しているのですが)。また、全体主義と呼ぶことへの異論と言っても最近耳にしたものは「『全体主義』の語自体に価値判断が含まれているため分析概念として不適切」とか「『民主』主義と同じく『全体』主義も、そもそも達成不可能な状態を指す言葉なので、現実を分析するモデルとしては不適切だ。前者をポリアーキーと呼んだり後者を単一組織社会と呼ぶのならわかる」(うろおぼえ)みたいなものだったと思います。これは党派対立ではないし、党派対立であってはならない。ソ連びいきが「全体主義と呼ぶのはまかりならん」と言っているかもしれませんが、そういう手合いを相手にすると永遠にモデルの呼称を得られない。そんなこんなな議論を受けて、最近では戦前の日本を「全体主義」とは呼ぶ人が減ったわけですよね。なんでもかんでも「全体主義」と呼ぶと「全体主義」の特徴・特異さを捉えられなくなるから。「植民地」の語がこういう否定のされ方をたどっているなら理解できるので、そういう議論があるのですか?とお尋ねした次第です。
- ▼先行モデルから引いて「植民地」の語が広く使われているのに「避けましょう」というほうが、その語で捉えられてきた多くの何かを否定することになると思います(それが「植民地性」なのかどうか、「植民地性」というのがこの場合どういう意味で使われているかはわからないので何も言えませんが)。より適切な概念が提唱されているとか、それが一般化しはじめているとか(戦前の日本を「全体主義」とは呼ばなくなってきた→なんでも「全体主義」と呼ぶとナチズム&スターリニズムの人類史上の特殊性を捉えられなくなるから…みたいなこと)、そういうことがあるのを知れば、私も「植民地の語で中立的だ」というのに固執するつもりはありません。しかし、渡部昇一氏は「植民地」がモデルとして適切か否かを検討しているように思えません(そもそもそういう仕事の人ではないし)。ご紹介のサイトを読むかぎり、彼が言いたいような“植民地未満の併合状態”をどう呼べばその特徴を捉えられるのかを提唱しているわけでもありません。やはり、今回ご紹介のものは政治宣伝の色彩が強いと思います。Iosif 2006年3月3日 (金) 17:10 (UTC)
- これまた、もはや私に言えた義理でもありませんが、220.105.155.28さんが「朝鮮人の捏造に媚び売るブサヨ学者の言うことなど誰が信用できるみたいな」とホンネ(?)を吐露していますよね。そういうことを持ち出して話されるとかなわんというのがあります(朝鮮史の人にはいわゆる左翼ってあまりいない気がしますが、それはさておき)。その次に、ここで会話しているのに、あちこちの項目で「植民」の語を削除しているに驚いたりしてました。で、一度それにからんで、「異を唱えている人がいるかぎり『議論中』であり『中立的でない』としていましたよね。そういうのは変だなあと思います。では、もしも誰かが「この国は内実において民主化していない。だから『日帝』と呼ぶべきだ。『日本』などと誤魔化した言い方はまかりならん」とか唱えたら、それを考慮するのか??と思うのです。考慮しませんよね、普通。そんなふうに聞こえていました。この段落挿入。Iosif 2006年3月3日 (金) 17:23 (UTC)
- ▼あと、上記「驚いたりしていました」にからんで220.105.155.28さんに私信を送りたかったのですが、どう頑張ってもウィキメールの設定がうまく行きませんでした。またいずれ、の機会にお送りしたいと思います。Iosif 2006年3月3日 (金) 17:10 (UTC)修正付加。Iosif 2006年3月3日 (金) 17:23 (UTC)
そんなに難しい話じゃないです。
>植民地性 ここでは植民地であることという意味です。
>ホンネ
私がそうだというのではなく、そう考えている人がたくさんいて、編集に参加してくるだろうということです。
>だから『日帝』と呼ぶべきだ。『日本』などと誤魔化した言い方はまかりならん」とか唱えたら
現実問題そういう人はほとんどいませんよね。「植民地と呼ぶな」とか「植民地じゃない併合だ」とか言う人は纏まった数いるような気がします。そういう人たちと編集合戦が起こして無駄な資源が浪費されることを恐れています。被害妄想か余計な心配かもしれませんが。--220.105.155.28 2006年3月4日 (土) 00:33 (UTC)
いま正に韓国の外国人差別問題で編集合戦になっていますね。--220.105.155.28 2006年3月4日 (土) 11:53 (UTC)
上記の項目は一方がブロックされて決着したようです。しかし将来同様の問題が生じると思われるので、投票にかけて結果に従うというのはどうでしょう。--220.105.155.28 2006年3月8日 (水) 10:55 (UTC)
本文の本項の冒頭が遠回しな表現で分かりづらいと思います。端的に言えば、
- 「植民地」は欧米の「colony」の概念に対する訳語である。
- そのため、植民地という言葉には欧米の「colony」に対する侵略や略奪といったイメージが付きまとう。
- それを嫌い、当時の日本では植民地という言葉を避け、「外地」という言葉が好んで使われた。
- しかし、当時の日本の知識人の中にも、日本が統治している朝鮮は「植民地」だと主張する人々がいた。
- 現在の日本でも、統治下の朝鮮を「植民地」と呼ぶか否か議論があり、それは朝鮮に対する統治の解釈の違いから生じている。
ということでしょう。「植民地と呼ぶかどうかの議論」に対して中立的に説明しようとするのであれば、「朝鮮統治は善か悪か」という発想とは別に論じるべきだと思います。現状の文章では、前段は遠回し、中段は善悪論に踏み込みかけていると思います。善悪論に入り込んでしまうときりがありません。個々人の個人的主張の違いにより、編集合戦に陥るか、不必要に膨らむ危険性があります。善悪論は別の項(「歴史認識の比較」など)にまかせ、この項では踏み入らないようにしませんか。Qazzx 2006年3月9日 (木) 02:28 (UTC)
このページに限らず、WIKI全体で日本外地を植民地と断言するか否かについて議論というか意見を募りたいのですが、--220.105.155.28 2006年3月12日 (日) 06:07 (UTC)ここでやってもいいのでしょうか。
Iosif記:▼(1)「それを嫌い、当時の日本では植民地という言葉を避け、「外地」という言葉が好んで使われた」「しかし、当時の日本の知識人の中にも、日本が統治している朝鮮は「植民地」だと主張する人々がいた」とQazzxさんがまとめられていましたが、そうなのでしょうか? 項目・外地と植民地を読むかぎりそうではなさそうなのと、なにより、このノートでこれまで言われてきたことは「現在の日本でも、統治下の朝鮮を「植民地」と呼ぶか否か議論があり、それは朝鮮に対する統治の解釈の違いから生じている(Qazzxさん)」というポイントであって(Iosifは「誰がそんなこと言っているんだ」と言っているわけですが)、植民地時代にという話が出ていたでしょうか?▼(2)さて、「前段は遠まわし、中断は善悪論に踏み込みかけている(Qazzxさん)」というのはまったくそのとおりですが、元々「植民地と呼ぶかどうかの議論」セクション自体が、すなわち「植民地と呼ぶことへの異論」自体が、朝鮮植民地統治の善悪論から出てきているものだと理解しています(少なくとも履歴とノートからは)。前段の遠まわしな部分は、中断の「善悪論」に対する反論としてどなたかが加筆したものを、最近、Iosifが動かして前段に持ってきただけです。「中立的に説明しようとするのであれば、「朝鮮統治は善か悪か」という発想とは別に論じるべき(Qazzxさん)」というのには賛成ですので、そうなると、後段を除いて、「植民地と呼ぶかどうかの議論」セクション自体を移動・削除するしかないと思います。後段はセクション名を「併合後朝鮮の呼称」とでもして残すとかでしょうか。で、「歴史認識の比較」にすべて放り込むしかないと思います。ただし、いわゆる「保守派」が本当に「植民地と呼ぶのはケシカラン」と言っているとは思わないし(ここで紹介された渡部昇一氏以外に聞いたことがないですし)、それに対して反論している「革新派」の存在も知らないのですが……。Iosif 2006年3月19日 (日) 18:44 (UTC)
[3]このページで作る会藤岡氏の(植民地じゃない論)に朝鮮史家の水野氏が反論してます。専門家が反論しなければいけないくらいだから、俗論ながらもある程度流通している言説なのではないでしょうか。あと、戦前の日本でも植民地呼称への忌避感があったことも書かれています。--220.105.155.28@アカウントユーザー 2006年3月20日 (月) 05:45 (UTC)
- Iosif記:サイトご紹介ありがとうございました。勉強になりました。特に植民地時代の日本人にすでに「植民地」呼称への忌避感をもつ人がいたというのは知りませんでした。本当はもう一度きちんと読み返してお返事したいのですが、あまりにお待たせしているので参上しました。まだ印象としてしか述べられませんし、結論ありきで読んでいるつもりは少なくとも自分にはないのですが、しかし、これじゃあ、ますます「呼称について『議論が存在している』と紹介する意義がない」「これで勝負あった」みたいな材料を220.105.155.28@アカウントユーザーさんが出されたことになってるんじゃないかという気がしています。
- まず、当ノートでは「渡部氏が言っている」「勝岡寛治という人が“俗論として”言っている」ということだけが紹介されていて、次に、水野氏の反論が存在していることで「俗論としては流通している結果なのではないか」とのことですよね? この「俗論」とは渡部氏においても勝岡氏(それとも藤岡氏?)においても、当ノートで言われている「善悪論」以上のものではありませんよね? 私の言葉で言えば「聞こえが悪いじゃないか」論。。しかし、220.105.155.28@アカウントユーザーさんが「植民地」か「外地」の項目で書いていらしたように、そういう「善悪論」の記載に踏み込むわけにはいかないし、本当は記載を避けたほうがいい。しかも、さすがに勝岡寛治氏(水野氏は「歴史の研究者ではないですね」とわざわざ強調)が言っているといって、だから他のすべてもPOVだと言うのは無茶じゃないでしょうか。どうでもいい確認ですが、慌てて読んだかぎりは、「植民地というのは左翼用語」と言っているのは藤岡氏ではなく勝岡氏ではないでしょうか。講演録に単なる誤字がたまたま入り込んでいるのか藤岡氏を指しているのかわからない状態ですよね。
- こっちのほうが大事なのですが、私は「植民地」の語がモデル名として、役に立たない・使えない呼称になっているのであれば、呼び方を変えればいいだけの話だと書きましたが、「植民地」という呼称について異議を聞いたことがあるわけではないとも書きました。で、水野氏の議論は、モデルとしてどうなのかという議論=「植民地」であるかどうかという議論それ自体には「これは何によって決まるのか(中略)いろいろな考え方があります」「植民地という概念規定は難しいことは確かです」と一応おいておいています。そのうえで、敢えて次のポイントに限定した議論を展開しています。(1)日本国政府による呼び方を挙げる。(2)「ただ一つの有力な、これが当時の日本政府の考え方」としたうえで「法域」の違いを挙げる。この2点が崩れてもそれだけで植民地概念から外れるとは言えないと思いますが(行政の呼び方と法域だけで植民地規定が適切か否か争われるべきものではないと思いますが)、水野氏のように論点を限定してでさえ=上の2ポイントにおいてだけでも「明確に『植民地』だったと言わざるをえない」となってしまう。水野氏の(ような内容の)議論に対して有効な反論がなされているのでしょうか?
- 専門家が反論しているんだから「植民地じゃなかった」論は流通しているんだろうとのことですが、取り上げ方にもよるかなと思います。こういうことは、ここでの議論の本筋ではありませんが、1つ気になるので感想だけ述べます→→水野氏はもちろん多くの業績を重ねていらっしゃる定評のある研究者ですが、それとはまったく別に、政治運動にも意欲的な方ですよね(嫌韓紳士からは敵視されるような)。だから、ヘンテコな議論(と彼が内心感じているもの)にも敏感なのかなという気もしないではない。例えば、政治党派的には保守的であろう森山茂徳氏は植民地の語を使っていますが(だったはず)、その森山氏までもが水野氏のように「植民地じゃなかった論」に反論を加えていたら、よほど事態は進行しているなとは感じる予感がします。無論、水野氏も森山氏も研究者としての仕事と政治的立場とは弁別していますから(とIosifは信じていますから)こんなことが判断材料にならないのはもちろん、言及も避けたほうが良いかもしれませんが、「ブサヨ学者」云々と言う人も出るだろうと220.105.155.28@アカウントユーザーさんが指摘していたことも気になるので感想を付記する次第です。
- ▼で、220.105.155.28@アカウントユーザーさんが敢えて「俗論」と呼ばれるのを見て、これはもう、「歴史認識の比較」セクションに新たに1ボックス作って書く事柄なんだという意を強くしました。詳細は項目:植民地と外地に譲るとして(現に複数が根拠の確認を重ねて記事が育っていっていますよね)。現行で残っている文章のうち最後の1段落のみは削除すべき情報ではないので、少し書き換えて(戦後について述べたラストの1センテンスを削除して)「併合後の呼称」という題目で残すのが良いという意も強くしています。つまり、当時の日本人が朝鮮を「朝鮮」以外のどういう呼び方で把握していたかを紹介するにとどめるわけです。または、この部分も=つまり戦前の日本での呼び方
にを紹介のしている段落も植民地の項目へと譲り(文章を移動・付加し)、リンクしておくほうがいいのかもしれません。それ以外の部分については、「論争」と呼べる実態がないので、セクションをかまえて説明すべきこととは思えません。下手したら、セクションのタイトルが単なるウソになっちゃってるんじゃないかとさえ思います。--Iosif 2006年3月25日 (土) 19:43 (UTC) 修正付加。--Iosif 2006年3月26日 (日) 21:17 (UTC)
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- 朝鮮史については門外漢ながら、ログを一通り読んでの感想。
- 朝鮮が植民地か否かという問題は、当時の朝鮮半島が本当に植民地の条件を備えているかどうかの検討が必要なため、学術研究を参照するしかないと思う。論じるためには当たり前だがまずハングルや朝鮮漢文、日本語などの語学力が最低条件として有してないと無理だし、史料の扱い方を学んだ人間でないとどう読み取ればよいか分からないだろう。厳しい言い方だけどそういう基礎的能力が無い人の意見などいくら大勢いても顧慮するに値しないし、また大勢かどうか統計的にも提出できせないので不毛。アメフトのルールを知らない人間が記事を書くときに、「一般大衆」のイメージなるものを作り上げ書くようなもので、そんな記事全く信用をおけないと思う。よって朝鮮史の学会においてどういう見解が主流なのか知らないけれど、その中で大勢を占めている意見を取るべきだと思う。なおもし拮抗するほど見解が分かれていれば、当然両論併記とすべき。以上に述べてきた理由からWikipedia内で多数決をとるような性格のものではないので投票には賛成できない。投票に参加する者が上記のような条件を必ず満たしているとは言えないだろうし、投票参加者に語学試験等を課すというのも非現実的であろうから。
- さらに、下ですでに同じ事を言っている人があるがWikipediaには「独自の調査結果の発表の場ではありません」というルールがある以上、たとえ資料的根拠があっても執筆者の私見を書くべきではなく、この点からもやはり学術研究の成果に拠るしかないだろう。私見があれば論文にして発表すればよい。ノートでの議論も雑誌『諸君』やネット上のものが出ているだけで、学術雑誌の論文や著作の名がほとんど出てこないが、これが論争の決着をなかなか見ない一因だと思う。それに学術研究史を紐解けば、もしかしたら今ここで言い争っている問題がすでに決着をみているのを発見できるかもしれない。ログを読んでる人間にしてももっと多くの具体的な研究論文名なり、著作なりを挙げてもらったほうが勉強にもなる。
- 最後にこれは自戒をこめていうけれど、記事やノートに意見を執筆・加筆・訂正する時にはそれだけの資格があるのか、つまりそれだけの努力(たとえばここで言えば研究史を調べ、語学を身につけているかといったこと)を払ったかを先に自らに問うべきだと思う。無論自信を持っていえる人は少数かもしれないけれど、こういう意識があれば、先行研究に対しより謙虚になれると思うのだけど。ここでの議論ははじめからそういう努力を放棄しているように思えてならない。そして専門家じゃないとWikipediaに書くべきではないとまでは言わないけれど、最低限専門家の意見を知ろうとする人でなければならないと思う。当然ながら先行研究一つ挙げられない当方は加筆訂正及び議論する資格は無いので、内容について意見を述べるつもりはない。けれどあまりに論争の姿勢が不毛に思えたので通りすがりに意見を述べたまで。以上。--ログ読み人 2006年3月27日 (月) 03:02 (UTC)
- お話、おっしゃるとおりだと思います。自分が加筆するときを思い出し恥じいるばかりです。ただ、ご理解いただいているかどうか不安なのは、少なくともこのセクションに関する限りでは、「朝鮮は植民地ではなかった論」というのが(私の知らされた限り)「『諸君』やネット上のもの」でしか見かけない/紹介されないものであるのが現状だということです。うんと調べれば研究史において過去に決着がついた決定的瞬間が出てくるのかもしれませんが、現在では、朝鮮史に関する論文において「植民地」の語は自明視された扱いであるとしか読めず、ここで言い争っているような「議論」自体が見当たらず、「議論」と呼べる実態がありません。学術的な論争課題になっているのなら朝鮮史研究会会報に載るくらいはすると思いますが、見かけません。同会発行の朝鮮史に関する論文目録を参照しても(論文本文も概要も見れませんが)題目からはそのような議論が展開されているようには思えません。それに対して、すでにご覧いただいているかと思いますが、いま出されている異議自体が「学者や専門家の権威を絶対視する理由がわかりませが・・・」「学者や専門家の権威自体を否認する立場だってあるわけです」(220.105.155.28さん)という立場からのものです。つまりログ読み人さんが指摘した事柄、表明された意見を、“自覚的”に否定する立場から異議が出ている(と私は理解している)のが現状です。もちろん、この現状理解自体が私の誤りかもしれませんが、このとおりだとしたら、どうすればいいと思われますか?--Iosif 2006年3月27日 (月) 10:19 (UTC)
上のお二方ご返答ありがとうございます。しばらく考えていました。中身については何も言えませんが、素人なりに思うのは、(繰り返しになりますが)、わたしのような知識のない人間が辞典をしらべるのはやはり専門家の意見を知りたいからです。専門家の意見が割れているのならそう紹介して欲しいのです。個人的には5:5や6:4程度の意見対立なら両論併記して欲しいですが、それ以上の差になると主要な意見だけ書いて欲しいと思います。あくまで希望ですが。これを踏まえてお尋ねすると、お二方とも朝鮮史に詳しいようですが、植民地という呼称は外地に比べ研究の世界では多いと言うことですが、この場合日本史の研究界もそうなのでしょうか。Iosif さんの書き方をみると朝鮮史に限定して答えられているように読めましたので、確認させていただきたいと思いました。(殖民地という呼称も含めて)また植民地/外地の呼称をどうするかという議論も日本史にも無いのでしょうか。自分は確認できなかったのですが、岩波書店から『近代日本と植民地』という叢書が出ているみたいですが、どうなのでしょう。もし知っておられたらで結構ですのでご教授お願いします。元々ここを見るきっかけとなったのは、小熊氏の『〈日本人〉の境界』を読んだからなのですが、小熊氏は植民地ということばを一貫して使用されていました。最後に、“自覚的”に研究を否定する立場についてですが、もしQazzxさんが紹介してくださった人々の著作や論文として数が全体から見て少ないのなら無視してよいと思いますが、Iosif さんが問われているのは編集方法ですよね。学術研究を尊重すべしというルールがあればよいのでしょうが、無い以上嵐が過ぎ去るまで保護を維持するしかないでしょう。何の解決策にならず恐縮です。ただ最近の220.105.155.28@アカウントユーザーさんは闇雲に外地に変えているわけでは無いようですし、また井戸端に「保護解除依頼が長期間スルーされている場合」という質問をしています。話し合いの余地が有るのではないでしょうか。いかがでしょう。--ログ読み人 2006年4月2日 (日) 14:55 (UTC)
- 取り急ぎ、限定して。ちょうど『近代日本と植民地』を取り寄せているところです(図書館になかなかアクセスできない環境なもので)。たしか欧米植民地との比較があったと思って。この叢書は92年発行だったと思いますが、再版なのか、改定があるのかちょっとわからないので、まもなく確認します。▼それから、私はたしかに朝鮮史に限定して書いています。朝鮮史も詳しいわけではありませんが、日本史はまったくわかりません。ただ、「植民地」と「外地」では定義の方向が違うというか、把握におけるアプローチがまったく違いますので、どっちの呼び方が正しいかという問題ではなく、適切かどうかという問題だと思います。「外地」は当時の日本における呼び方にすぎず、モデルになりえない(=比較を最初から拒む)用語だと今のところ認識しているので、朝鮮を把握するうえで用を為さない語だとも認識しています。この認識がもし正しいなら「植民地」の語が多いのは当たり前で、だから研究者間ではそういった議論が見当たらない=議論の対象にもなっていないのではないかと推測しています(あくまで推測です)。「多い/少ない」で言えば、6:4どころか、9:1でさえないのではないかという印象です。繰り返しになってしまいますが、朝鮮史に関するかぎりは「聞いたことがない」のです。--Iosif 2006年4月2日 (日) 20:07 (UTC)修正加える--Iosif 2006年4月2日 (日) 22:02 (UTC)
- 付け加えですが、私は220.105.155.28@アカウントユーザーさんが現在、「闇雲に外地に変えている」とは認識していません。ご本人も質問に応じて「私がそうだということではなくて、そういう人がいるということです」と書いていましたし。これについては思うことがたくさんあるのですが、それもまた後日に。取り急ぎ。Iosif 2006年4月4日 (火) 09:39 (UTC)
[編集] 政治的妥当性
の問題なのですね、きっと。ある言葉が差別用語であるかどうかというのと同じで、アカデミックな議論は意味がないような気がします。--220.105.155.28@アカウントユーザー 2006年4月4日 (火) 06:44 (UTC)
- そういう意味ではそうだろうと思います。というか、220.105.155.28@アカウントユーザーさんは、概念・用語が妥当かどうかというよりも、「政治的妥当性を巡る議論である」「政治用語として扱ったうえでの議論である」ことを、認めているわけですよね。そこを確認します。しかし、もちろんアカデミズムにおいても(既述のとおり別分野のことしか知りませんが)、政治的妥当性は考慮されますよね。その作用を軽視しすぎではないでしょうか。あまりに偏りが目立ってきた用語は改定されていきますよ、たぶんご存じのとおり。いや、そういう言い方をするよりも、ありていに言えば、NPOVでなければ学術用語たり得ないわけですから、元々。ですから、一政治的主張・一観点からの「政治的に妥当ではない」という異議を説明記事に反映させてはいけなくて、その異議自体はPOVであることを宣しておくべきです。また、そういったことは、この項目では「歴史認識の比較」に入れるべきだと思うのです。いずれ真に政治的妥当性についての議論が本格化するということがあったり、その結果、何が妥当かという合意ができたら、それを(あえて悪い言葉で言えば)「後追い」するべきだと思います。百科事典ですから。--Iosif 2006年4月4日 (火) 09:36 (UTC)
- 百科事典で「アカデミックな議論は意味がない」といわれると認識の断絶に当惑してしまいます。以下に書く意見はWikipediaのルールから論じてます。1には「疑似科学と科学を対等に扱うのか」と「有害な考えを広めてしまうのではないか」というNPOVの例がでていますが、(恥ずかしながら今日読み直しました) これに従うならば、そしてIosifさんの言うとおり「植民地」ということばが研究において一般的だとすると、やはりWikipediaでも使わざるを得ないのではないでしょうか。渡辺昇一氏あたりの意見は、もし学会で持論を発表していないのであれば、「植民地」の記事で一部の意見として書くに留め、「韓国併合」といった記事では「植民地」ということばを使用すべきでしょう。勿論、220.105.155.28@アカウントユーザーさんが逆に日本史では「外地」が一般的だという証拠を示されるのであれば、「外地」を使用すべきだと思います。とにかくWikipediaのルールを守る限りは、学術研究の成果、そしてそこでの広く支持を集めている意見を尊重すべきです。また「百科事典の執筆者として、特定の立場をとってはならない」というルール、ここがWikipedia日本語版であって日本版でないという事実をも勘案すると、「政治的妥当性」も意見の根拠とすべきものとは思えません。どこの、誰の政治的妥当性なのか、という疑問が湧くからです。事ここに至ると、植民地/外地ということばの使用というレベルをこえて政治的妥当性をアカデミックな成果以上に尊重すべきかどうかという、より大きな問題となっていると思えますので、220.105.155.28@アカウントユーザーさんが立場を変えられないおつもりなら、Wikipediaのルール変更を井戸端等の場所で多くの人に問いかけてみてはいかがでしょう。--ログ読み人 2006年4月4日 (火) 17:06 (UTC)
[編集] 提起確認
提起した(と私が思っている)2006年2月14日 (火) 19:30から2ヵ月半が経ちました。▼叢書『近代日本と植民地』は、個人事情により1冊ずつ借りて返却してまた1冊取り寄せて……という順序をたどらなければいけないので全8巻中4巻までしかチェックできていません。それも、ざーっとやっただけです。しかし、「『植民地とは呼ぶな!』論を紹介したうえでそれに反論している」というような便利な論考は今のところ見つかりません。あくまで「日本の植民地支配はどのようなものであったか」についての議論があるのみで、「このような支配だったから植民地という呼称は不適当」という研究があるわけではありません。その種の主張は現段階では政治宣伝の域を超えていません。「概念・モデルが学術的把握においてもはや通用しない」という議論は見当たりませんし、ココでも誰も提示しない状態がつづきました。私なりに探してもどうしても見つかりません。▼別に一人で「ないこと」の証明をやろうとしているわけではありませんが、ここまで来るとあきらめていただきたいというのが正直なところです。▼あと、コメントしていないことがなかったかとおさらいするとQazzxさん紹介のサイトがありました。[6]の最初の部分は、特に私の認識とも矛盾しません。
▼ただし、植民地概念を捉えなおそうと言う一歩手前までの内容を前述『近代日本の植民地』1巻・叢書内各論文を紹介する前文において大江志乃夫氏が述べています。大雑把に要約すると「日本の植民地形成も植民地支配も例外的だった。欧米が異文明圏に植民地をもったが日本は隣接する同一文明圏に植民地を求めしだいに拡大した。これ自体が近代世界において異常である」として、植民地政策の特異性も強調しています。しかし、その方向というのは日本による植民地支配の特性を捉えられないから概念規定を考えなおす必要を暗示しながら(つまりは植民地概念をもっと広く捉えようという方向)複数論者を紹介しています(そして他の論者がそれに反論するわけではない)。さて、この種の提言は他にもちらちらというレベルで見当たります。これは、今後も議論が重ねれられるのでしょうから、歴史家他・社会科学者の討議を待ちたいと思います。しかし、あくまで別の名称によって把握することが発案されていない以上「呼称が不適切」という議論が出てくる余地がありません。
▼もう一つ紹介ご紹介いただいた[7]ですが、ここに紹介されている11本の論考がすべて『諸君!』『正論』に発表されたものです。そのうち日本史・朝鮮史以前に歴史学者によるものがゼロです。大学教員は3名。1人は渡部昇一による例のもの。1人は落選議員。1人(長谷川三千子)は日本文化論・日本思想史を専攻し「保守文化人(自己紹介ママ)」としても活躍している人ですが「植民地と呼ぶな」などとはまったく言っていない。あくまで「植民地と聞けば悪を連想するのは単純思考だ」と言っているのみ(それはIosifも同意)。ぶっちゃけ、これらを1人1人調べるのはちょっと勘弁してもらいたかったっす。確認のうえ言うと、申し訳ないけれども、呼称としての「植民地」は自明視されており、現時点でも価値判断を含まない語として扱われつづけている(市井の我々がどう受け取るにせよ)としか思えません。問われるとしたら「どのような植民地統治であったか」という点でありつづけているようです。つまり、「植民地と呼ぶべきか否か」について、概念とモデルを巡っては“論争”の実態がありません。「植民地と呼ぶな」論はまだまだ少数がやりはじめた政治宣伝の域を超えていない(から、朝鮮史研究者や上記叢書に執筆陣である日本史研究者から単に無視されている)と結論づけるしかありません。
▼「植民地と呼ぶな!」論自体が、220.105.155.28@アカウントユーザーさんも認めていらっしゃるとおり、そもそも「聞こえが悪い」「悪い印象がある」という政治的なものであり、善悪論から発したものですので、Qazzxさんが言っていたとおり、これには踏み込むべきではないと思います。
▼というわけで、2ヵ月前の提起について再確認したいと思います。ただし、提起の後に編集を加えたため指している箇所が変わっていることや、この間のやりとりを踏まえて、少しだけ変更を加えます。内容はほぼ変わりません。
- 基本的には「植民地と呼ぶかどうかの論争」セクションの削除。ただし、これは「論争」としての実態があることを認めないためであり、新規情報を含む文章(ほとんど)を残す。以下が具体案。
- 「植民地と呼ぶかどうかの論争」セクション3段落中、2段落目を削除。
- 上の「植民地と呼ぶかどうかの論争」セクション2段落目を「歴史認識の比較」セクションに新たに1ボックス作って移植(これは220.105.155.28@アカウントユーザーさん、適切に改稿しつつ、やっていただけませんか)。
- 同セクション1段落目は本来2段落目への反論であったため、これも削除。もしくは項目:植民地へ移動。
- セクション・タイトルを「併合後朝鮮の呼称」とする。そのうえで現行の第3段落のみ残す。ただし、戦後についた最後の1センテンスは「植民地と呼ぶかどうか論争」≒「善悪論」に関わっているので削除する。
=== 併合後朝鮮の呼称 === 朝鮮を支配していた当時の日本政府は、法的には朝鮮に対して特別の呼称(植民地、外地など)を付さなかった。ただし公文書では植民地、外地とも使用例が見られる([8]、[9]を参照)。在野の学者や思想家の間には朝鮮が植民地であるかどうかについて見解の相違があった。憲法学者の美濃部達吉、植民政策学者の新渡戸稲造、矢内原忠雄など社会科学者は概ね植民地であると見なしていたが、歴史学者の田保橋潔や思想家の北一輝などは植民地ではないとした。植民地でなければ何だと言ったのかはつまびらかではないため、その後の内鮮一体論と同一視される傾向にある(植民地、外地を参照)。戦後の日本の政治家の発言や日朝平壌宣言のような外交文書でも朝鮮を植民地と表現している例がある。これを日本政府の公式見解とするかどうかには議論がある。(日本の戦争謝罪発言一覧参照)。
== 歴史認識の比較== ボックス:併合後朝鮮の呼称 ボックス左側:「日本の統治政策は同時代に欧米諸国の行った異民族統治とは異質で、善政である」「植民地という言葉は諸外国が異民族統治に対して行った悪政に使われる言葉である」という認識から、双方を一緒に植民地という言葉で形容することへの批判がある。この立場からは日本の朝鮮支配について「植民地」という呼称を用いるべきではないと主張されている。これらの主張においては、日本人と朝鮮人が異民族であるか否かについて議論の対象にされていない。 ボックス右側:????
議論への参加者から合意を得たうえで(また、新たにご意見いただく際には、当たり前ですが、議論のこれまでをご参照ください)、保護解除依頼し、上記のとおり編集したいと思います。--Iosif 2006年5月7日 (日) 07:05 (UTC)
- お返事します。まずは具合案に関して。
- 「植民地」という呼び名が優位になるような記述としか読めません。「植民地」「外地」ともに使用例があると言いながら、参照先では「植民地」とも呼ばれていたという説明しかされていません。「外地」に関する説明がなくては片手落ちというものです。それに「法的には」と書かれていますが、たしか「拓務省」が設置されて以降は法制上は「外地」という言葉が使われていたはずですが、そのことを知っての「法的には~」という記述でしょうか。ちなみに、戦後も外務省が「外地整理室」を設置したり(外務省のページ参照)、『外地法制誌』を出したりしていますね。
- 「植民地でなければ何だと言ったのかはつまびらかではないため~」の説明のような、植民地ではない派の説明の後にそれを否定するかのような記述を付けるのは何故でしょう?「植民地」と呼ぶべきでない論に朝鮮人が異民族であるか否かがどう関係するのでしょうか。ちなみに、本当に「つまびらか」ではないのかネット検索で探したところ、『日本改造法案大綱』で北一輝が「日本帝国の一部たり一行政区」であると言っていました。「つまびらか」になっていないのではなく、記述した人が知らなかっただけではないのでしょうか?
- とにかく、「植民地」と言ったという説明には、それが稀な例であってもあたかも一般的であったかのような説明をしている(サイトを参照としている)のに対し、「植民地」とは呼べないという説明は杜撰であり、しかもすぐ後にそれを否定する文を欠かさない。これでは、偏った記述と言わざるを得ません。
- もう一つ指摘したいことが。なぜ「歴史学者」にこだわるのでしょう?Wikipediaの他の記事を見てもらえればわかると思うのですが、反論が世論の一部にある場合、その意見の持ち主が「市民運動団体」であっても「マスコミ」であっても載せています(その記事に載せるに足る内容かどうかはケースバイケースですが)。上述されている北一輝らの頃からあるように、「植民地と呼べない」論は古くからあります。現在でも一部で根強い主張です。その内容の是非は勿論別にして、記述に値する話だと思うのですが(独立させるという方法もありです)。Qazzx 2006年5月8日 (月) 23:28 (UTC)
Iosif記:取り急ぎ。
>「植民地」という呼び名が優位になるような記述としか読めません。
- そうすべきというのに近い提起ですが「敢えて併置したうえで優位にする(確定づける?)」という目的ではありません。全削除のうえ、「外地」に関する記述を余所に移す(独立させるというはこういうこと?)というのでもいいかと思います
>なぜ「歴史学者」にこだわるのでしょう?
- これまで「参考まで」と参照先を示しながら、なぜ今頃そんな話を?最初になぜ言わないのか?という疑問をぬぐえません。こだわるもなにも、これは歴史記述だから、です。他の記事というのは具体的にどれを指すかはわかりませんが、何を根拠にしているのか
わからない同一ルールで検証できない「世論の一部の反論」が同等に扱われるというのはを同じ土俵で併記するというのは解せないものがあります。そういうことをすると、収拾がつかないだけでなく、Qazzxさんがおっしゃった「善悪論に踏み込む」ことを避けられないと考えるからです。これまで、そう主張しているのだとはご理解いただいていなかったということでしょうか? だとしたら、なぜ「参考まで」という紹介にとどめていたのでしょうか? - ▼なお、「当時の呼称」について北一輝他を紹介したうえで「つまびらかになっていない」というくだりは、私が参加する前からあった記述であるため尊重しようと思っただけです。本来は、直後の否定する文章ともに削除するべきか、項目:外地での役割ではないかとも思います。
- ▼どうも、ご意見を理解しかねています。そのせいで、お返事がずれているかもしれません。▼ひょっとすると「当時、どう呼んだか」という論点についての記述が偏っているということでしょうか? 「当時どう呼んだか?」のみを独立させるのであるとすれば(どの項目におくべきかはいつでも移動できるとして)、そういう項目にしたうえで(そういう項目として「併合後朝鮮の呼称」とという題にしたつもりですが)、当時の呼称について足りない部分を加筆すればいいかと思います。ただし、「当時」について調べていない加筆案はありません。▼ここまで読んでおわかりのように、現在「植民地と呼ぶべきか否か」という論争実態がない(同じアリーナに存在しない=論争の実態がない)のではないかという話をやってきていました。▼大急ぎで書いたのでご意見について誤解があるかもしれません。ちょっと意図を解しかねる部分もあるのです。誤解がありましたらご指摘ください。--Iosif 2006年5月9日 (火) 06:58 (UTC)--修正付加。--Iosif 2006年5月9日 (火) 07:57 (UTC)
なぜ今まで「参考まで」としていたのかということについては、それはこの記事が保護されていたので急ぐ必要もなく他の方に議論を委ねていたためです。私は現在、定期的に議論に携わる環境にないため、議論の中で欠けている情報や視点を指摘するに留めていました。しかし、その保護を解除するとするからには態度を変えなくてはいけないと思い、意見を述べたわけです。保護を解除するからには、内容がより適切でなければまた編集合戦に陥る可能性があります。少なくとも、Iosif氏が述べた具体案では私は納得していません。仮に解除したとしても、私はIosif氏の案には反対します。
- 私の意見をもう少し具体的に。まず、上段及び中段の削除に関しては賛成します。そして、節の題の書き換えも賛成です。書き換えたなら「日本統治時代」の項の「大韓民国における~」よりも前にもって来るべきだと思いますが、それは別の話として。
- そうするとIosif氏の具体案となるわけですが、私はそのままでは片手落ちになると判断しているわけです。植民地のほうでも似た内容が記述されているため詳しい記述はそちらに委ねるとしても、「韓国併合」の記事の中で、「大韓民国における日本統治時代の呼称」という項があるので「日本における朝鮮地域の呼称」にも軽くでも触れたい。ですので「併合後朝鮮の呼称」なり何なりの項は必要だと思うのですが、今のままでは偏っている。それを正したいと言っている訳です。
- もっと上記の具体案に突っ込んだ意見を言います。
- まず、併合後の朝鮮の呼称は当たり前のことですが「朝鮮」という呼称が一番に来るべきですね。冒頭の「朝鮮を支配していた当時の日本政府は、法的には朝鮮に対して特別の呼称(植民地、外地など)を付さなかった。」は、「当時の日本政府は、法的には朝鮮に対して特別の呼称(植民地、外地など)を付さず、「朝鮮」という呼称を用いた。」とすべきでしょう。そして、法的というなら、法学上はどうであったかも記述したいですね。当時の憲法学者や法学者が朝鮮(を含む植民地)に対する法令を「外地法」と呼んでいるので、「ただし、当時の法学上では朝鮮に対する法令を「外地法」と称していた。」としましょうか。「当時」を説明した次の文では「それ以降」についても説明が欲しいですね。もちろん韓国併合の記事ですから、併合の後処理に関する法令にも触れるべきだと思います。なので、「また、戦後の法律では併合中の朝鮮に関して「外地」を法令も存在した。」としたいですね。当時「植民地法」という呼称があったか、戦後に朝鮮を「植民地」とする法律があったかは確認できませんでした。あったのでしたら、それも記述すべきだと思います。
- とここまで書いて思いましたが、「外地」ばかり出てきていますね。しかし法的に言えば事実なので仕方ありません。しかしこれだと偏っている印象を与えかねませんので、その文の前に「日本は併合当時、朝鮮を「殖民地(植民地とも。以下は植民地と記す)」と呼んでいたが、1920年代の終わり頃から「外地」という呼称の使用も目立ち始めてきた。」と説明しましょう。「1920年代終わり」とは、具体案で二番目にリンクされているサイトの記述と同じですが、その頃は丁度「拓務省」が設置された年(1929~1942)です。私はこの拓務省をきっかけとして「外地」という言葉の使用が増えたという解釈ですが、記事にするまでの確信が得られません(そういう内容を記したサイトは確認できましたが。)。どなたか詳しい方の助言を請う次第です。
- 次に公文書についてですが、植民地という記述もあったが、多くは「外地」であったということが二番目のサイトにも書かれていますね。これを公正に記すなら、「公文書においては、多くが「外地」という記述で呼ばれているが、「植民地」という記述も少なからずあった。」となりますか。
- その次の記述は難しい。これは呼称に関してでなく、「植民地or日本の一部」かという点での意見の相違ですから。正しくは呼称の項に相応しくはありません。「当時の日本における朝鮮への評価」という新たな項を作るべきかもしれませんが、いい案が浮かびません。ですのでこれは留保します(「つまびらか」の2文は前述の理由で削除)。
- 最後の文はこれでいいでしょう。しかし、「議論がある」となっていますが、そういう議論は(歴史学者以外でも)あるのでしょうか?「定かではない」のほうが適切かと思います。
- 最後に、「なお、現在では多くが当時の朝鮮の状況を「植民地」として呼んでいるが、一部で「植民地ではない」と主張する人々も存在する。」と付け加えて終わりとします。
以上が、とりあえずの私の意見と草案です。まとめます。
- 日本は併合当時、朝鮮を「殖民地(植民地とも。以下は植民地と記す)」と呼んでいたが、1920年代の終わり頃から「外地」という呼称の使用も目立ち始めてきた。当時の日本政府は、法的には朝鮮に対して特別の呼称(植民地、外地など)を付さず「朝鮮」という呼称を用いていたが、当時の法学上では朝鮮に対する法令を「外地法」と称していた。また、戦後の法律では併合中の朝鮮を「外地」とする法令も存在した。公文書においては、多くが「外地」という記述で呼ばれているが、「植民地」という記述も少なからず存在した。在野の学者や思想家の間には朝鮮が植民地であるかどうかについて見解の相違があった。憲法学者の美濃部達吉、植民政策学者の新渡戸稲造、矢内原忠雄など社会科学者は概ね植民地であると見なしていたが、歴史学者の田保橋潔や思想家の北一輝などは植民地ではないとした。戦後の日本の政治家の発言や日朝平壌宣言のような外交文書でも朝鮮が植民地であったとする表現があるが(日本の戦争謝罪発言一覧参照)、これが日本政府の公式見解なのかどうかは定かではない。なお、現在では多くが当時の朝鮮の状況を「植民地」と呼んでいるが、一部で「植民地ではない」と主張する人々も存在する。
- ⇒植民地#日本の植民地、外地も参照。
- (一部改稿)。
まだ書き足りない部分もあるのですが、別の記事を参照にと挙げていることもあり、これぐらいがちょうどいい内容量だと思います。前に書かれていた文章を尊重したらこうなりました。感想と意見をお待ちしています。Qazzx 2006年5月10日 (水) 03:29 (UTC)
- 以下Iosif記:
- >ですので「併合後朝鮮の呼称」なり何なりの項は必要だと思うのですが、今のままでは偏っている。それを正したいと言っている訳です。(Qazzxさん)
- そういうことでしたか。かなり誤解していましたし、これで納得しました。私は削るべき文章と移動するべき文章についてしか考えていませんでした。具体案についても下記の1点を除いて異議ありません。指摘なさっていたような偏りのない、練られた具体案だと思います。
- ただし、私が述べたり提起したりしていた趣旨(というか動機)は「当時の朝鮮の状況をもって植民地と呼ぶか否かを争っているという論争実態がないのではないか」というものです。
- >最後に、「なお、現在では多くが当時の朝鮮の状況を「植民地」として呼んでいるが、一部で「植民地ではない」と主張する人々も存在する。」と付け加えて終わりとします。(Qazzxさん)
- この部分です。これを付け加えることで、また同じことになるのではないかと思います。「当時」ではなく「現在」の日本で「『植民地ではない』と主張する人々」の議論というのは、呼称と「善悪論」を結びつけるものだからです。それに言及することで、「善悪論」に踏み込む道を開いているだけではないか、Qazzxさんが削除に賛成した「上段と中段」のような内容が加筆されるだけではないかという気がします。
ぶっちゃけて言えば、「相手にされていない議論」を記述することで新たなアジェンダ設定に百科事典が手を貸していいのか、記載するとすればそれが相互に議論の根拠を検証しあえる人々(そういう意味で、研究者重視です)によって無視できないアジェンダとして扱われはじめてからではないかと思っています。--Iosif 2006年5月10日 (水) 09:43 (UTC)言いすぎをデリート。--Iosif 2006年5月10日 (水) 17:07 (UTC)
- この部分です。これを付け加えることで、また同じことになるのではないかと思います。「当時」ではなく「現在」の日本で「『植民地ではない』と主張する人々」の議論というのは、呼称と「善悪論」を結びつけるものだからです。それに言及することで、「善悪論」に踏み込む道を開いているだけではないか、Qazzxさんが削除に賛成した「上段と中段」のような内容が加筆されるだけではないかという気がします。
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- すみません。あらかじめお断りしますが、パスワードを忘れたログ読み人です。素人考えを述べることお許しください。Qazzxさんの案では以前「外地」と呼ばれていたことを挙げておられますが、わたしは特段触れる必要はないのではないかと思います。むしろIosifさんがこだわっている最後の一文をいれて、後は「植民地」を使用し、法律名についてはそのまま「ナントカ外地法」とかそのまま使用すれば良いかと思います。という意見の根拠は、朝鮮について理解していないのですが、学問の性質からのものです。というのは、昔と現在とでは同じ表記でも意味がずれたり、あるいは全く異なってくることはままあります。たとえば「社会」ということばは漢の時代からありますが、当時は集団とか言う意味です。「物理」も昔は朱子学のことばでした。当時使用された意味を特定し、現在の意味に勘案するとどのことばになるか、ということも研究者の仕事ではないかなぁとわたしは想像するわけです。そこでIosifさんが言われているのが事実であれば、日本史でも朝鮮史でも当時の朝鮮を「植民地」ということばで言い表しているのですよね。違っていたらすみません。つまりここで「外地」か「植民地」ということを云々するのは「独自の研究」に抵触するおそれがあるかなぁと感じます。Qazzxさんが研究者の意見だけを取り上げる必要ない、というご意見なので、わたしの感想は無意味なものかも知れませんが。長々と失礼しました。ログ読み人 2006年5月12日 (金) 13:22
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- お返事遅れてすみません。losifさんの御意図がイマイチわかりかねます。本文で書こうが、表に書こうが「意見の一つとして存在を認める」ということに変わりはないですよね。
- というか「政治的立場による見解の相違」の表が存在している時点で極めて政治的なイシューであることを認めているわけで、やはりアカデミズムの枠内だけで論ずるのはどうかなあと思います。相変わらず短文ですみません。--220.105.155.28@アカウントユーザー 2006年5月12日 (金) 18:08 (UTC)
まずはログ読み人さんへ。
- 歴史的内容の記事で、「当時」に触れないのは本末転倒もいいとこです。勘違いしておられるようですが、歴史学者の方も「当時日本は外地という呼称を用いていた」ことは認めております(当たり前)。そのことを記述することが「独自の研究」とは。見当違いも甚だしいというものです。
- まず、当時と現在とを分けて考えて頂きたい。私は、「呼称」について記述するなら、歴史的項目なのですから当時を説明することは必要不可欠だと思います。「呼称」についての説明すら必要ないということでしょうか?「~とも呼ばれている」「~として扱われていた」などの記述を他の記事で見たことがないでしょうか?「呼称」の説明は歴史項目には限らず必要なものではないでしょうか?
- そして問題の現在について。私は別に「植民地ではない」論者ではありません。当時の朝鮮は後に内地と同等に扱われ日本の一部となれたかもしれませんが、それを待たずに敗戦し日本は朝鮮を手放しました。当時「植民地ではない」と言った人々も、「植民地ではなく日本の一部なのだから、内地と同等に扱え」という、結局は当時の日本政府の扱いが植民地としてのものだったということに他なりません。
- しかし、私のウィキペディア内でのポリシーは「事実の説明」です。事実、現在にその様な主張をする人々がいる以上、記述の対象となることは否定できないはずです。問題となるならば「記述に値するか」であり、「間違っているから」ではないはずです。「間違っているから」を問題視する根拠にするならば、それらの主張をウィキペディアが否定することになります。ウィキペディアは中立でなくてはいけません。ウィキペディアがある主張を否定するという「主張」を行えば、それはその主張に反対する人々から攻撃の対象になります。それは編集合戦となるでしょう。事実か否かの合戦ではなく、その主張が正しいか否かの合戦です。これは収拾が付きません。記事が荒れるだけです。
- もちろん、「大部分はこうだが、一部においてはこうである」という形で、その主張に対する現状の「事実」を説明することを前提としての話です。しかし、巷には辞典に載せるに足らない主張も沢山あります。losif氏は載せるに足らないと主張してる(と勝手に解釈します)のであり、私は一行くらいの軽い表現で載せるべきだと主張しているのです。
そこでlosifさんへのお返事です。
- これは載せるか否かの対立なので、どちらかが妥協すれば済む話だと思っています。前は「論争」という表現でしたので、「論争があったのか」という事実確認においてそれが否定されたため削除という話になったのだと理解していますが、私の挙げた草案ではそれは解決しているはずです。各々の主張をそのまま書いた、私の言う「善悪論」も削除したので、善か悪かという不毛な編集合戦は回避できたと思います。(主張を入れ込もうとする輩は出てくるかもしれませんが、それは自分の主張を文章に織り込みたいからであり、現状の主張を否定したいからではないはずです。現状の主張を否定しあう。それが今までの醜い編集合戦です。文章が言い訳に終始しているのはそのためです。)
- それで、「一部で「植民地ではない」と主張する人々も存在する。」の記述を載せるかどうかについてですが、ここで一つ言い訳をします。
- 私はこの節の最後で、現状どう呼ばれているかについて説明しようとしましたが、「~。なお、現在では植民地と呼ばれている。」だと、さすがに断定しすぎかなと思ったわけです。歴史学者ではないかもしれませんが、当時の朝鮮関係を探求している人々の中には「植民地ではない」論が結構あったりします。その事実を全く無視した記述は、それらを主張する人々の反感を買うし、文章にしまりがなくなる。そう思い、最後にあの記述を付けたわけです。
- これは「事実」をどう表現するかの問題なので、「なお、歴史学会において、現在では植民地として扱われている。」などの表現でも構わないと思います。これは私の妥協案であり、望むのは上記の草案のほうですが。
- それでもやはり、歴史の項目で歴史学者以外の者の主張を記述することを認めないという記述姿勢は間違っている、と主張したい。歴史分野の記事であっても、例えば過去の条約に関してなら国際法学者の視点で説明することも可能でしょう。他の分野で例えるなら、ブタは生物学の視点だけでなく、歴史、文化、言語など、様々な視点から書かれています。ならば、過去の行為及び状態である本記事も、多角的に説明することは否定できないはずです。多角的というのは、学問からだけの視点ではありません。マスコミ、市民団体といった例えを挙げたのはそのためです。問題とするならば、「記述に足るか否か」。これだけのはずではないでしょうか。
以上が、お二方に対するお返事です。アカウントユーザーさんの指摘はもっともだと思います。Qazzx 2006年5月18日 (木) 04:15 (UTC)
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- ちょっと留守にしていて拝読したばかりです。すみません、もうしばらく時間をください。ご挨拶まで。Iosif 2006年5月22日 (月) 17:22 (UTC)
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- Qazzxさんへ。調査で返事が遅くなりましたが、威儀を正して意見を述べます。事実、百科事典に書かれるべき事実を中心に。Qazzxさんが過去の歴史家がすでに「外地」云々について述べていたことやご自分のポリシーを挙げて、呼称問題に特に触れるべきと述べられていますが、事実だからといって百科事典に書いてよいかというとそれは全く違います。歴史に関することなら尚更です。歴史における記述においては事実と歴史的事実は厳に区別されなくてはなりません。数多ある事実の中からどれを歴史的事実として認めるか否かは、個々の歴史家が判断発表し、周囲の批判や賛同を得ながら認められるべきものです。これは近代史学とは何かについてレクチャーした書物ではどれもが書いているごく初歩的なことです。言うまでも無く、同じ歴史的事実であっても触れる/触れないといった、ある項目にどの程度まで踏み込んで記すかという判断の責任も史家は負っています。匿名でさしたる文責も負わず執筆している我々にはそのような権限はありませんし、我々はその判断を尊重しなければなりません。これはwikipediaの「独自の研究」禁止とも合致することです。無論全くわれわれが執筆する際に書く/書かないといった判断から無関係でいられるかというとそうではありません。しかしそれは専門家の意見を祖述するという一点において判断すべき事柄に属します。以上が大前提です。
- 具体的に呼称問題が歴史的事実か否かという点ですが、歴史的事実ではあるが、百科事典で触れるほどの重要性を有しないというのが私の意見です。過去に述べたように現在史学会ではほとんど触れられない事柄だからです。喜田貞吉のような歴史学者や南次郎などが過去において朝鮮を植民地ではないという主張を繰り返したことは知っています。上で書いておられるような勘違いではありません。しかし現在では学会で呼称が問題とされている様子がない。それはそこまで触れる必要がないと判断されているからだと思われます。調べてみたところ、『アジア歴史辞典』、平凡社の『世界大百科事典』、京大『東洋史辞典』の「韓国併合」(日韓併合)項目、『韓国併合史の研究』や『韓国併合』(どちらも岩波書店)など海野福寿氏の著作、山辺健太郎『日韓併合小史』(岩波書店)、叢書『近代日本と植民地』にはいずれも呼称問題について触れていませんでした。「韓国併合」という歴史的事実を記載する上で本当に必要不可欠であるならば、テーマとして取り上げられていても不思議ではありません。しかし専門家は触れていません。したがって「必要不可欠」というQazzxさんの意見には全く賛同できません。論文においてなら、当時の人々が朝鮮をどう捉えていたかという執筆課題を追求するならば、呼称問題に触れることもあるでしょう。しかし百科事典の記述にふさわしいかというとそうではない。今挙げた三つの辞典でどれもが触れていないということがそれを如実に証明しています。Wikipediaだけがあえて踏み込んで書く必要性はありませんし、われわれが判断できる事柄でもありません。事実をありのままに書く、といえば聞こえはいいですが、現実にはそのようなことはありえません。何かしら記述者の判断が混じるものです。その判断は専門家でなければ不可能ですし、信頼性も皆無です。つまり繰り返しになりますが百科事典の歴史項目は現在の研究状況を反映したもので無ければなりません。この点はWikipediaが匿名で記述される場である以上、ストイックに遵守しないと各人の価値判断が野放図にかかれることになるので、これこそ執筆姿勢に必要不可欠でしょう。Qazzxさんの意見は専門家が触れない点にあえて触れるという判断をまじえているといえます。
- さてそこで「外地」だと主張する人々の意見を事実として書くべきかどうかという問題です。誤った意見だから書くべきではない、と考えているわけではありません。通常の百科事典なら絶対に誤った記述をするべきではありませんが、Wikipediaではそれをルール上認めていますし、そもそも私は内容そのものには踏み込まないよう注意を払っており、正誤の観点から意見を述べているわけではありません。誤解なきよう願います。したがって以前の投稿でも、一文いれてはどうかと書いています。しかしそれ以上に昔の史料にはどうとか、そういうコメントは不要だと申し上げているのです。主張する人々が存在するという事実だけを挙げておられますが、現在の研究ではほとんど問題とされず、在野でのみ唱えられている、というのも事実です。そうした事実を反映すべきだという意見です。専門知識の有無ということを棚上げするにしても、主張する人々がどのような方々で、どの程度存在するのか把握できない上に、Qazzxさんに紹介していただいたサイトでは、大衆雑誌におけるものしかありません。(「Wikipedia独自の調査」の「何が信頼のおける出版物とされるのか?」に依拠) これを認め、また(あるとして)マスコミ・市民団体の意見に指を屈するにしても、植民地と認定している著作物の何分の一ほどでしょうか。国立国会図書館NDL-OPACやその他の論文検索において、どれだけの執筆量の差異があるか調べられましたか。お暇があれば『東洋学文献類目』をめくってみる事をお勧めします。この現状を無視してそういう意見があるとの事実だけを取り上げるのは、実態を反映していないといえるでしょう。この比率の差を反映するのであれば、軽く一文程度触れるだけとならざるを得ません。「植民地という呼称に対し、異を唱える人もいる」程度十分と考えます。むしろ比率を反映せずに編集すると、かえって誤解を与えかねず、それこそ偏向した編集といわざるを得ません。したがって「植民地」という呼称が優位となるよう書かねば、正誤というよりも、意図的な嘘・ねつ造を記載したことになります。吾々匿名の者や専門知識を持たない者は、安易に事実を認定記述すべきではなく、専門家の意見に耳を傾け、著作権に注意を払いつつ祖述する姿勢に徹するべきです。
- またブタの例ですが、Iosifさんがお時間取れないようなので代わって僭越ながら答えますと、ブタを歴史や文化、言語の方面から扱うにしても、やはりその方面の専門家の意見を参照して記述すべきです。生物的観点以外からは、専門家の意見を参照しなくてもよいという意見にはなりません。ブタが歴史上どう扱われてきたのかについては、歴史学や文化人類学、宗教学といった専門家の意見を記述すべきです。たとえばブタについての慣用句の意味について、誤った例が載せられているのであれば専門書に照らして訂正されるでしょう。したがってこれは非常に的外れな例だと思います。誤解しないでいただきたいのですが韓国併合について法律の観点から、現在専門家間で論議を呼んでいるのならば、当然その旨記載すべきと考えます。韓国併合が国際法上、合法的か否かという点において、諸説あるのは存じていますのでこの場合は両論併記すべきでしょう。しかし呼称問題は違います。丸山真男氏や南京大虐殺研究で有名な秦郁彦氏などや法学部出身ですが、その意見は無視されないのと同様です。しかしこの方々はちゃんと査読制度のある学術雑誌で発表されています。その意見に多くの反対者があろうとも掲載されています。それは最低限の史料批判や記述を守ってご自身の意見を開陳しているからです。歴史研究者以外の専門家の意見を排すべきとは誰も考えていないと思います。
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- 220.105.155.28@アカウントユーザーさんへ。M.フーコーを持ち出すまでも無く、あらゆる学術研究において政治性をおびない事など無いというのは、今や常識です。この韓国併合にしても例外ではありえないでしょう。しかしだからといって政治的妥当性を安易に引き合いに出すのは誤りかとおもいます。学術研究において何か記述するとき、特に上で述べたような歴史的事実を問題にするときは、自らの記載から政治性を最大限省く努力をすべきです。それでも残ってしまうというのであればわかりますが、初めから居直るのは正しくない姿勢と感じます。たとえば信号無視する人間はこれからもこれまでも後を絶ちませんが、だからといって交通法規をなくしたりしないのと同じです。事実は多角的に捉えられるべきである、と嘯き、政治性排除に努力しないのは知的怠慢の誹りを免れないと思います。ログ読み人 2006年5月24日 (水) 04:28
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お返事ありがとうございます。突っ込み所が多くてお返事が重複・前後してしまうかもしれませんがご了承の程を。
- 「植民地ではない」論に関して軽く一文程度触れることに関しては私と同じ意見だと理解しました。問題となっているのはそれ以外の部分ですね。
- さて、ログ読み人さんの文章ですが、ご自身の中で意見が混沌としている部分があるように思えました。まず、最後の一文以外の部分は歴史的事実を記したものであり、その事実は認めるということは2段目冒頭から理解しました。しかし、3段目冒頭の「「外地」だと主張する人々の意見」という表現、私は最後の一文のことを指しているのかと思っていましたが、4段目で出た「「植民地」という呼称が優位となるよう書かねば」という結論から、それは私の誤解だと分かりました。あなたが認めたように、最後の一文以外は歴史的事実の説明です。「外地」だと主張する人々の意見ではありません。
- 事実なのですから、別に「外地」だと主張する人々に限らず(彼らがそう言っているかどうかは知りませんが)、もちろん歴史学者はそのことを認めています。現在の記事の中にあるリンク先でも、歴史学者が当時の「外地」という呼び方に対して触れてますね。他にも、簡単なネット検索をするだけで分かる事柄です。特定人物の意見では無いのだから、その人物が学会で認められていないので駄目という理屈は通りません。どうしてあのような記述になったかは、私が草案を挙げた際に書いた説明で理解してもらえると思います。そのために一行ずつに理由の説明を加えました。
- しかし、あの草案が意見として読まれたのは心外でした。私はあの文章から意見に関しては一切排除したつもりです。あの文から普通に読み取れるのは、「当時の政府は外地という言葉を使いたがっていた」ということではないでしょうか。これは事実です。もちろん、過去に植民地という言葉が使われていた事実、公文書の一部で「植民地」という言葉が使われていた事実も触れています。ログ読み人さんは「外地」だと主張する人々に優位であるかのように受け取られたかもしれませんが、私が読む立場なら、「当時の日本政府は『外地』という置き換え語を使いたがっていて見苦しいな」と読んだかもしれません。事実のみを中立的に書いていますから、肯定・否定どちらでも読めるはずです。「外地」だと主張する人々にとって不利な内容も書いています。読み方は自由です。ログ読み人さんがどう読んでもそれも自由ですが、「~が優位となるよう書かねば」とは。そんな筆者の意図が含まれている文章など、ウィキペディアに相応しくありません。私は別に、事実を書いて植民地が優位になってもそれは別に構わないのですよ。あの文章は元の文の欠けている部分を加筆しただけですから。私がこだわっているのは「事実」です。
- そこで「事実」についてです。私はあの文章を中立的だと思っています。ログ読み人さんはそれを曲げて「~が優位となるよう」書き直すべきだとしていますが、あのですね。歴史学会にもまた、そのような結論ありきの自分の主張に都合のいい解釈を優先しようとする意図はないのですよ。そこの所、アカデミズムの意図と正反対の意見だと自覚なさってください。あなたのような考え方は、主に対する信者によく見られる傾向のものです。主は理由があって結論を出したのに、信者はその結論を重要視して理由はその結論に都合のいいものしか受け入れない。いいですか、歴史学会は当時の「外地」という呼び方を黙殺していないのですよ。現在使わないだけです。つまり、現在の「植民地でない」論は現在の思想問題と言えます。歴史学会も、現在の「植民地でない」論は黙殺しているかもしれませんが、当時の「植民地でない」論は研究の対象にあることは自明の理でしょう。前に私が、当時と現在とを分けて考えてほしいと言ったのはそういうことですよ。当時の事実は歴史学会の研究対象であることは当たり前のことです。
- さて、次に「取り上げるべき事実かどうか」についてですが3段目の「そうした事実を反映すべき」や先ほどからの「~優位となるよう書かねば」から読み取れるように、呼称を取り上げること自体は認めていると読み取れました。スタンスが違うだけですね。ログ読み人さんのスタンスはウィキペディアに相応しくないと、すでに説明しました。
- 数冊お読みになられた本についても。載っていることを根拠にするならまだしも、載っていないことを根拠にですか。たかが数冊で。ふう。あ、指摘しときますが私の草案は上で再三説明している通り「呼称問題」ではなく「呼称」についてですよ。
- ついでに気になる箇所も上と重複するかもしれませんが反論させて頂きます。「ある項目にどの程度まで踏み込んで記すかという判断の責任も史家は負っています。」と言っていますが、もちろん史家が負っている責任は自分の書く文章に対してのみですね。他人が書いた文章の責任は負いませんし負えません。間違ったことを他人が書いていればそれを否定することもあるでしょうが、どの程度まで踏み込んだからといって他人の文章を否定する人はいません。それは言論弾圧です。
- ブタの件、的外れという指摘が的外れだと言わざるを得ません。なぜなら、ブタの話はIosif氏の記述姿勢を批判するための例えであり、本記事とは直接の関係はないからです。私にとって、本記事に対する結論はその前文までで済んでいます。問題となっている部分の妥協案を認めてもらえれば話は解決する。その妥協案は一部のものからの視点ではなく歴史学者からの視点に置き換えました。もうわざわざ歴史学者以外の者の主張について何かを求める必要は無い。「それでもやはり」、言いたいとする自分の気持ちが抑えられない。そういう文章です。Iosif氏との間で問題となっていた最後の一文以外は歴史学者も認める事実の説明です。別に歴史学者でない者の主張ではない。専門書および法令など一級資料で確認できる内容です。専門書と照らし合わせてみてください。書かれている内容は事実ばかりですから。
- 3段目の「比率」。これは、草案の最後の一文で「一部で」と反映させています。比率の反映とは本来こういうものです。多数派の都合のいい文章にでっち上げる。これは反映ではありません。この件での多数派であるアカデミズムを否定しているわけではありません。都合のいい文章にでっち上げる、のほうを否定しているのだと正しく理解してください。
まだまだ書き足りないところですが、今回はこの辺で。最後に。現在の「植民地でない」論が歴史学会から認められていないからという理由で文章を削除・変更するならば、それに該当するのは最後の一文のみです。「植民地でない」論が現在ある、という説明を省く。まさに適切な処置です。ログ読み人さんは「呼称問題」は認められていないと指摘しているのに、最後の一文は認めそれ以外の歴史学者も認める事実部分の書き換えを要求ですか。これは筋が通っていない話ですね。Qazzx 2006年5月25日 (木) 02:34 (UTC)
Iosif記:いろいろ(私が)混乱しているので、ログ読み人さんとQazzxさんの議論についてコメントするのは別の機会に譲って、結論だけしたためます。Qazzxの提案文のうち、最後の一文を削除したものを、掲載することで合意します。確認のため、下に貼り付けます。
- 日本は併合当時、朝鮮を「殖民地(植民地とも。以下は植民地と記す)」と呼んでいたが、1920年代の終わり頃から「外地」という呼称の使用も目立ち始めてきた。当時の日本政府は、法的には朝鮮に対して特別の呼称(植民地、外地など)を付さず「朝鮮」という呼称を用いていたが、当時の法学上では朝鮮に対する法令を「外地法」と称していた。また、戦後の法律では併合中の朝鮮を「外地」とする法令も存在した。公文書においては、多くが「外地」という記述で呼ばれているが、「植民地」という記述も少なからず存在した。在野の学者や思想家の間には朝鮮が植民地であるかどうかについて見解の相違があった。憲法学者の美濃部達吉、植民政策学者の新渡戸稲造、矢内原忠雄など社会科学者は概ね植民地であると見なしていたが、歴史学者の田保橋潔や思想家の北一輝などは植民地ではないとした。戦後の日本の政治家の発言や日朝平壌宣言のような外交文書でも朝鮮が植民地であったとする表現があるが(日本の戦争謝罪発言一覧参照)、これが日本政府の公式見解なのかどうかは定かではない。なお、現在では多くが当時の朝鮮の状況を「植民地」と呼んでいる。
- ⇒植民地#日本の植民地、外地も参照。
- (一部改稿にさらにラスト一文削除稿)。
削除している文章は「が、一部で「植民地ではない」と主張する人々も存在する」というものです。僕は、Qazzxさんが「『~。なお、現在では植民地と呼ばれている。』だと、さすがに断定しすぎかなと思ったわけです(Qazzxさん)」と考えただけで、最後の文を付け加えて、善悪論を排除することに成功し得たと考えるのが理解できません。さらに言えば「在野の学者や思想家の間には朝鮮が植民地であるかどうかについて見解の相違があった」もちょっとあやしい。「呼称」ではなく「呼称問題」に入り込んでいますから、「朝鮮を植民地と呼ぶべきかどうかに見解の相違があった」と論点を限定したほうがいいかもしれない(もちろん背景には、当時なりの植民地論と比較視座に関する議論があったそうですが)。
なにより「最後の一文」が存在していては、解説の役割も果たしていないと思っています。Qazzxさん案は、善悪論を排除して朝鮮をどう把握するかという議論も排除して、徹頭徹尾、延々と、呼称の変遷だけを説明している。なのに、最後になって「一部で植民地ではないと主張する人々も存在する」と言ってしまっては、
- え?朝鮮が昔の日本でどう呼ばれていたかという説明ではなかったの? 朝鮮の実態をどう捉えるかという議論のことだったの?
- 植民地でないと主張する人は、では何だと言っているの?どういう主張をしているの?
という疑問をふくらませるだけです。この疑問をふくらませると、「植民地ではないと主張する人々」の議論を紹介せざるを得ないでしょう。しかし、Qazzxさんのご紹介どおり、そこで紹介しなければならない主張は“現時点では”いわゆる「善悪論」です。もちろん、ご紹介いただいた人がすべて「植民地ではない」と言っているわけではなく「植民地の語を善悪で捉えるな」と言っている人もいる。しかも、「植民地ではない」と言っている人々の間では「では何なのか?」に答えることができるほど議論が成熟しているわけではない。この状態で「最後の文章」を付け加えるのは、事実として認定し得るものの後に、一部の意見の紹介をしているようなもので、第一に、バランスとしては認めがたい。第二に、最後に「一部意見の紹介」が加わっては混乱を招くだけだとも思います。
ここでの「植民地」は歴史事象を把握するための概念です。把握や分析のための道具です。他方で「外地」は当時の「呼称」でしかありません。当時は「植民地」「外地」等々、呼び名に当為が含まれたそうですが、現在の日本の版図では「外地」という考え方が成立しない(本州を「内地」と呼ぶ人はいますが)。かといって、「植民地」に変わって朝鮮を把握できる概念とモデルはまだ提唱されていません。当時はアネクゼーションと呼んでいたなどという議論は、だから現在においてコロナイゼイションと呼ぶことと何ら矛盾しませんから、何やら異論を言っているような雰囲気を醸しているだけで、別のモデルを提唱しているに至っていない。
このよう状態で「植民地ではない」と唱えることは、認識の道具を無効化して比較の視座を失わせることにしか役立たない。それでも「植民地でない」と言い続ける根拠になっているのは、ご紹介のとおり「植民地支配は悪だ。しかし日本は悪を行っていない」という「善悪論」です。もちろん、善悪いかように捉えるかに拘わらず、朝鮮を「植民地」として把握することに無理が生ずれば、新たな把握にふさわしい概念なりモデルなりが提唱されるでしょう。「もうまもなくそうなるだろう、朝鮮統治はあまりに異質だったのだから」と考える人もいるでしょうし、「単なる右派アジテーションがそこまで成長するまい」と考える人もいるでしょう。この際それはどちらでもかまいません。Qazzxさんが区分けした「呼称」―「呼称問題」で言うなら、「呼称問題」に踏み込んだ「最後の一文」は、百歩譲っても、それはPOVであることをあらかじめ宣してあるセクション「歴史認識の比較」で紹介されるべきだと考えます。多くご紹介いただきましたし、いくつか論壇誌を見ましたが、現時点で提出されている議論は「善悪論」を超えていないのだから、紹介→即→善悪論記述になる、これは必然だ、と思います。
Qazzxさんは「断定しすぎかな」「『大部分はこうだが、一部においてはこうである』という形で、その主張に対する現状の『事実』を説明することを前提としての話です」とおっしゃっていますが、バランスを考えたために、そもそも次元の違う話を併記してしまう結果になっていることを見落としてしまっているのではないかと思います。つまり「どう呼ばれていたか」という呼称の経緯という事実群と、「どう呼ぶべきか」という議論とが併記されてしまっているということを見過ごしていないかと思うのです。まさにQazzxさんが言うとおり「『呼称問題』ではなく『呼称』について」書いていたのに、うっかり「呼称問題」に踏み込んだと思います。
例の「最後の一文」を残すことで、またぞろ「最後の一文」にぶら下げて「善悪論」が加筆されつづけることを望んでいるというのでなければ、「最後の一文」は削除しておくということに是非、同意していただきたい。もちろん、これがPOV併記セクションに入るのは問題ない(というより致し方ない)と考えていることを繰り返しておきます。--Iosif 2006年5月29日 (月) 19:20 (UTC)
- 追記:「記述姿勢」については、批判されるほど確固とした記述姿勢を自覚していないので戸惑うばかりですが、ケース・バイ・ケースで考えて、この項目のこの文脈において「植民地ではなかった」論は、私なりに探しながら、言及に値する議論には、まだ、発展していないと考えました。将来についてはわかりません。そう考える理由は既に述べることができたと思っています。--Iosif 2006年5月29日 (月) 19:20 (UTC)
お返事ありがとうございます。さて、私も結論から先に述べましょう。Iosifさんの最終案に賛成します。最後の一文はなくなりましたが、よく考えてみれば「多くの」の表現だけで少数派の存在を示唆できますね。この項で「植民地でない」論に踏み込むつもりはないので、その程度の表現でよかったと今では思います。
ちなみに、あくまでその草案は最終形ではないと私は思っています。草案を書いている時の説明にあるように、「在野の学者や思想家~」の部分は、「呼称問題」ですらなく「朝鮮をどう捉えるか」という解釈の問題ですから。私は「呼称問題」なら「呼称」に関することですから呼称の項に取り入れても良いと思っているのですが(事実の提示なら)、解釈の問題ならむしろ「植民地ではない」論に近い。前に話したように独立した項にすべきなのかもしれません(いい形が思いつかないので留保してますが)。ただそれは、保護解除して今の最終案に書き換えてからでも遅くはないでしょう。歴史認識の比較の項にもそぐわないと思うんですよねえ。どうしたものか。Qazzx 2006年6月1日 (木) 22:50 (UTC)
- 以下Iosif記:お返事が遅れていてすみません。うっかり、でお返事いただいているのに長く気づかなかったのと、その後も実はログ読み人さんとQazzxさんの議論に関わって自分の立場を説明しなければいけないだろうと思いつつ(自分の考えがわりに曖昧なので)その難しさに後回しにしてしまっていました。▼お二人の議論について、理解していない部分が多いです。私は限りなくログ読み人さんの主張に近い立場だろうという気がします。私には、学問に(自分がやっているわけではないからこそ)少々期待があって「多角的というのは、学問からだけの視点ではありません。マスコミ、市民団体といった例えを挙げたのはそのためです(Qazzxさん)」と言われても、社会科学はそれをまた反映して内容を組み替えられていくではないかという思いがあります。で、単に、道標として頼りにできる共通財が他にないではないか?と思っています。
- ▼原則で考え、原則的に主張する、ということが自分には苦手なのかもしれません。簡単に言うなら、私の場合、Wikipediaにおいて記述をふくらませていくうえで現実的に大勢が合意できるラインを探らなければ、何ら活動できないのではないかという判断も別にあります。これはフリー百科事典であり、我々が作るということに意味があるという、別の判断基準も働かせています。
- ▼あとは個々個別、ケース・バイ・ケースの判断です。「『市民運動団体』であっても『マスコミ』であっても載せています(Qazzxさん)」とのことですが、それを排除すべきだとは言いません(ちょっと後退していますが、限られた論壇誌を延々と引用するのに釘を刺したいという思いはありましたね)。繰り返しになりますが、しかし「植民地と呼ばなければ何なのか?」という点に答えるほど議論が成熟していない。今回の文脈では紹介するに値しないと考えています。別項目や別セクションで「『植民地』と言われると聞こえが悪いといってその呼称を避ける人が(大勢)いる」という内容のことは記述できるかもしれませんが、「植民地であるか否か議論がある」などとぶっきらぼうに書くのは(正確な現状を想起できないため)Wikipediaを新たなアジェンダ設定に利用させているだけになると考えました。▼それから、結局、戦前の「呼称」問題は解釈の問題でもあったのだというのを、矢内原忠男に関する解説文(以前に挙げた『近代日本と植民地』/もう返却したので、何巻何頁かわからない)を読んで今回初めて知りました。矢内原は植民地としてイギリスやフランスと比較・検証することが学問の役割であるとして、植民地政策が善であるか悪であるかを議論していることを批判し、学問の政治利用(何を指して政治利用としたか失念)を激しく批判したとかいう内容だったと思います。うろ覚えですみません。呼称に関する議論も戦前にはあったことを確認しました。我々が話していることとそっくりの内容もすでにあるようですね。「外地」は単なる呼び名であって、対象の性質を言うものではないという批判(=善悪論で結論ありきになり、対象の性質がどのようなものであるかという議論を避けるための役割を果たす用語になっているという批判=だからそれが中立的だと言っているわけではない)があったということも(矢内原?)。現代において、このような論争実態はないのだから踏み込む必要はないと考えますが、戦前においてそのような議論があったことは(詳しく調べることができて執筆できるなら)記載されて然るべきだろうと思います。それが紹介されることは、21世紀になって、例えば渡部昇一氏の主張を知った人の参考にもなるでしょう。
- ▼さきほど「現実的に合意できるラインを探る……」と書いた延長で言うと、希望というか自分の理想としては次のようなことを考えました。私がログ読み人さんに近いと言ったのはココにも関わります。次のログ読み人さんの発言→「むしろIosifさんがこだわっている最後の一文をいれて、後は「植民地」を使用し、法律名についてはそのまま「ナントカ外地法」とかそのまま使用すれば良いかと思います(ログ読み人さん)」という意見は妥当なものだと思っています。この意見のうち「最後の一文」についてだけ態度を保留しながら私なりに解すれば(1)すべて「植民地」で統一する、(2)もちろん、法律名や「外地」の語が実際に存在しそう呼称されていたことや、(3)現代においても「非学術領域」←([[利用者:22010515528|220.105.155.28@アカウントユーザーさんが別項目でしばしば用いた用語)では「植民地」の語を用いることへの反論があることを紹介する……これが現状を反映した姿だと思っています。しかし、それじゃあ、合意に至ることはないだろうということも私にはわかる。それだけの話です。この点について、泥沼にハマりっぱなしになっていても、これ以上、得るものはないと考えています。それに、Qazzxさんもアカウントユーザーさんも、Iosifが「内心ではこう考えているけれども」という告白を聞いただけで、「だったら合意できない」とはならないでしょう?。もちろん、どのように合意したかの確認さえしていれば、ですが。▼ただしアカウントユーザーさんがかなり前におっしゃった「誰かが『植民地という呼び方はPOVだと言い出す→だから日本統治が良い」という論法には同意できません。これを認めれば極論を言ったもの勝ちになるからです。私が「日帝と呼ばないのはケシカラン」という人にも配慮するのか?と尋ねると「そんな人は少数でしょう?」とのことでしたが、かならずしも少数だとは思いませんし。やはり、参加している我々自身が適切か否かの判断と、そう判断した背景を示すことで話を進めていくべきだと思います。
- ▼で、やっと、今回初めてQazzxさんが提起された点に進みます。
>「草案を書いている時の説明にあるように、『在野の学者や思想家~』の部分は、『呼称問題』ですらなく『朝鮮をどう捉えるか』という解釈の問題ですから(Qazzxさん)」
- 最終形ではないと私も受け取っています。そもそも私は当初から「呼称」に関するセクションをすべて不要だと思っています。しかし、情報価値のあるものを(呼称について戦前の各人士の意見など特に)削るのも忍びない。どこかに生かせないか…という程度の発想でしかありません。で、「在野の学者~」以降が「解釈」に踏み込んでいることをうっかり見落としていました。これはまずい(笑)。まずいと思いますが、まあ、なりゆきを見守れる記述かなとも思います。あくまで植民地をもっていた時代に限定しているからです。その時代に関する記述をきっかけに現代たたかわされている「善悪論」を膨らませる人は少ないのではないかという気もします。今回で最終形とするのでなくても、これらの箇所が削除すべきものか、さらに膨らませて別セクションか別項目(別項目でしょう/韓国併合の役割が大きすぎる)で紹介されるかは、今後、議論していけばいいのではないかと思っています。
- ▼とにかく、なにもかも包括して合意というのは無理です。あれも、これもと言っていれば、近現代史はいつまでもすべてが保護状態。しかし、一つでも合意がはかれれば、そのログは残りますし、その後それほど長い時間を経なければ少々の影響力をもつでしょう。私には、あと(編集合戦を招いた)主要ないくつかを合意すれば、保護解除を申請できるのではないかという期待があります。もちろん、解除されれば様々な(予想もしない)加筆があるでしょうし、それはそのときに議論する/議論に委ねよう、と考えています。偉そうに言いましたが、単に、そう考えないかぎり、何一つ前に進まないのではないかと感じはじめた次第です(←自信もって言える意見ではありません。Wikipediaとのつきあい方をまだ掴みかねているIosifの現時点での考えです。進まないなら進まないまま機が熟すまで放っておくほうが良いという意見にもしばしば納得させられもします)。 --Iosif 2006年6月16日 (金) 20:20 (UTC)
- 追記
>歴史認識の比較の項にもそぐわないと思うんですよねえ。どうしたものか。(Qazzxさん)
- 将来的に本当にきちんと書かれたものとして育てるなら「歴史認識の比較」セクションどころか、韓国併合の項目では無理だと思います。この議題そのものを扱う項目があっておかしくない問題だと思いますし、かろうじて項目:植民地で、まず植民地とは何だと観念されているかについて複数の定義を紹介し、各国の植民地を簡単に概観したうえでないと、意味不明な記述になるのではないかという気がしています。--Iosif 2006年6月16日 (金) 20:20 (UTC)
[編集] 歴史認識の比較
「独立運動」の項目が削除されているのはどういうことでしょうか? また、「統治後」の欄の「日本の革新派や韓国で一般的な認識」の欄ですがどちらかと言えば朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)寄りの見解を掲載している印象を受けますが、いかがでしょう? Knightofathena 2006年1月2日 (月) 19:01 (UTC)
間違いです。お詫びします。正しました。218.182.160.55 2006年1月2日 (月) 21:12 (UTC)
制限選挙について削除されたようですが、外地住民に1945年の法改正で認められたのは制限選挙だと思うのですが。 [10] --221.188.246.156 2006年1月3日 (火) 09:40 (UTC)
- それも間違いです。訂正してもらったとおりです。しかし、すぐにリバートされてショックを受けてばかりでしたので、ノートで話しかけられたのが意外です~~~~218.182.160.55 2006年1月4日 (水) 20:42 (UTC)
お返事ありがとうございます、訂正させていただきますね。
- 横槍失礼します。「『日本の革新派や韓国で一般的な認識」の欄ですがどちらかと言えば朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)寄りの見解を掲載している印象を受けます(Knightofathenaさん)」とのことですが、どのへんが北朝鮮寄りなんでしょう? 現行本文だけでなく履歴もざくっと読んでみましたが、とてもそのようには思えませんでした。Iosif 2006年1月7日 (土) 20:24 (UTC)
[編集] 保守派の認識
お尋ねしたい。特に、「極論を中立的に」と書いたNaritab602氏にお尋ねしたい。「良いことをしたので感謝してもらいたいくらいだ」というのは保守派の認識であり本音ではないのか。そのように発言した人物を私は無数に挙げることができる。挙げれば「妄言」の列挙である。容易に列挙できるが、そうすれば納得するのか。一方で、私は「日本の植民地統治に悲劇の原因がある」という極論を書いた。極論だとは思うが、そのように主張したと考えられているのではないのか。違うのであれば、どうして「極論である」として排除して削除しないのか。中立を装うのもPOVである。指摘するまでもなく自覚していらっしゃるのではないか。218.182.160.55 2006年1月4日 (水) 20:18 (UTC)
でしたら挙げてください。少なくとも私はそのような認識は日本統治に肯定的な人物の中でも一般的ではないと認識しています。例えば「妄言」の一例として有名な江藤氏の発言でさえ
「日韓条約は日本が悪かった。日本が強引に判を押させたから。」 「いいこともやったが、誇り高き民族への配慮を欠いた。それが今、尾を引いている。」 「朝鮮人蔑視の過ちをしてきたが、台湾には反省して戒めた。(中略)だから朝鮮の統治について日本は幼稚であり、無策であった。民族の誇りを傷つけた。部分的に日本の政策に反対するものに弾圧をした。」
と日本統治について少なからぬ批判をしています。日本統治に肯定的と言われる発言をする人物でも「政策に反対するものを弾圧し、朝鮮人を軽視するようなことをしたのは問題がないわけではない」ということはそれなりに認めているのではないでしょうか。実際、日本統治に批判的な見解をとっていても日本統治が朝鮮の近代化につながったこと自体は認める人は本文にも挙げられたカーター・エッカート氏や「朝鮮工業化の史的研究」の著者である堀和生・京都大学教授や「日本帝国主義下の朝鮮経済」の著者である金洛年氏など少なくありません。この両著書で、それぞれの著者は自分たちの主張がしばしば日韓併合肯定論と誤解されていることに触れ、日本統治については経済的な収奪ではなく政治的侵略性が批判されなければならないと言っています。
「日本の植民地統治に悲劇の原因がある」に関しては、これも特殊な見解であると思われます。韓国では長い間分断体制を「抗日英雄金日成の名を騙る偽者」による「スターリン主義的独裁政権」に帰する見解が定着していましたし、共和国や日本の「進歩派」の間では「アメリカ帝国主義と南朝鮮傀儡一味」への攻撃が主流でした。これはこれで今となっては極論であると批判されていますが。 Knightofathena 2006年1月5日 (木) 11:41 (UTC)
- Iosif記:横槍すみません。「良いことをしたので感謝してもらいたいくらいだ」という認識自体は(「保守派に一般的」かどうかは知りませんが)「広く見られる」と私は思います。ただし、古い世代には、です。少なくとも「保守派」にとっても「極論」ではないと思います。しかし「感謝してもらいたい」という記述は(読んだときは飲み物をキーボードに吹き出した=爆笑した=つまり表現自体は面白いですが)辞典にふさわしいとは思えません。削除も仕方がないかと。記述するなら具体的主張や発言を加筆するしかないと思います。さて、何をもって「一般的」と言うかどうかはわかりませんし、私が挙げられるのも日曜早朝のテレビや横丁の居酒屋なんかで耳にする類のものですが、よく耳にはします。辞典に紹介されるような人の発言は知りませんが、市井のご老人には結構多いのではありませんか。で、これは、保守派言論人の活動を支えてきた、ある時期までの日本人の本音だろうとも思います。もちろん、そういった本音が象徴されている事例が他にも具体的にあるのなら(この項目でやるべきかどうかは別にして)辞典に紹介されているべきだと思います(それこそ218.182.160.55さんにお願いしたいです)。私が適当にググってみただけでも次のようなものが出たので一応挙げておきます。[11]←ここの1965年高杉妄言や1979年桜田妄言は明らかに「日本は良いことをした」というもの。受け取りようでは(例えば音声・発声によっては)「感謝しろ」に近いかも。特に桜田発言は私も「感謝しろ」の意と読みます。江藤氏って江藤隆美でしょうか。最近の発言・認識だけを紹介すべき項目だったんでしょうか。
- そもそもは「保守派」vs.「韓国人および日本の革新派」の二つにざっくり分けて歴史認識対比をやることに無理があると思います。だからと言って、対比をやる意義がない言えるかどうか自信がありませんし、対比するなら真っ二つに分けておかないとわかりにくいから仕方がないのかもしれませんが(もうちょっとうまいやり方がありそうな気がしますが)、そういう分け方をしているかぎり「何が保守派の認識か」というのは必ず問題になると思います。Knightofathena さんが紹介した「日本統治に批判的な見解をとっていても日本統治が朝鮮の近代化につながったこと自体は認める」という部分だけを読めば私も同じ立場ですし「日本統治については経済的な収奪ではなく政治的侵略性が批判されなければならない」という主張には「経済的収奪“よりも”~」というなら完全に同意します。では、私は「保守派」なのか? そうなのかもしれないけれども、この項目にある「日本の保守派に広く見られる認識」のほとんどに同意できませんから、一体何が「保守派」とされているのか、わけがわかりません。
- さらに、「日本の革新派」と「韓国」の認識を一緒にするのに至ってはあまりにもあまりにもあまりにも無理があると思います。
- 「日本の植民地統治に悲劇の原因がある」については日本の進歩派文化人(のうち曖昧でどっちつかず気味の人)のものだという印象です。「米帝と南朝鮮傀儡一味の策謀」という認識は、極論である前に、そうとう古い左派の主張だと思います。かなり昔にそんなことを言う人は消えているのでは? こういうのも、分類が大雑把すぎるから混ざり込んでくる極論なのではないでしょうか。
- 私は代表的論者の認識をまとめて整理して提示するくらいしか方法がないのではないかと思っています。--Iosif 2006年1月7日 (土) 20:20 (UTC)太字強調を追加Iosif 2006年1月15日 (日) 09:34 (UTC)
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- 「感謝してもらいたいくらいだ」という表現が極論だと言うのはなぜかというはなしですが、上で二人の方が述べられていることにほぼ同意するのと同時に、そもそも「感謝してもらいたい」という、立場性ともなう表現が客観性を欠いている、簡単に言えば当事者的すぎると言うことがあると思います。古い時代の人は実際、自らの金で朝鮮を豊かにしたのだという感覚はあるのでしょうからそういう発言がでていたとしても、もはや、そのようなことを言う人は多数派ではないと思いますし、今日、政治的自立の価値を保守派が理解しないとも思えません。むしろ、保守派こそ民族主義には理解がなければおかしいわけですから。だから、感謝してもらいたいというのは酒の席で昔の人ならいっていたかもしれませんが、今日において辞書的な文章でのせるには、客観性を欠いているとおもいます。一方、「日本の植民地統治に悲劇の原因がある」という記述は断定的であるにしても、客観的立場からの主張になっていると思います。つまり、保守派の方に、一方的に感情的な表現をかぶせてしまうのは中立性に反すると判断します。Naritab602
Iosif記:ちょっと今回のNaritab602さんの意見には大いに違和感があります。
(1)私はあくまで、「保守派」vs.「韓国人および日本の革新派」の二つにざっくり分けて歴史認識対比をやることに無理がある、という立場です。提案とまでは言いませんが、この項目にある「歴史認識の比較」は全削除するべきではないかと皆さんに疑問を投げかけて意見をいただきたいと思っています。「提案とまで言わない」理由は後述します。
たしかに、「認識の比較」セクションに加筆を加えられて、そのうち分割もして、より良い記事になるのを目指す……というのがウィキペディアの思想なんでしょう。しかし「認識の比較」の現状はあんまりです。そもそもは「なんだかなあ(johncapistranoさん?)」と言われながら移動されてきた文章。そのうえ、比較の分類は「保守派」vs.「韓国人および日本の革新派」2分類という粗雑きわまりないもの。あれほどの政治的争乱を経てきた韓国人を一括りにするのも無理がありますが、日本の左派と韓国人を一括りにするとなると無茶苦茶です。何十年にも渡る南北対立・反共同盟がどのように歴史認識に陰を落としてきたか、韓国で言論の自由を制約し認識の幅を制約してきたか、一切考慮していないわけです。
まして、(履歴を読んでわかったのですが)「保守派・革新派」と大雑把に分けただけでなく、後から「革新派」の欄に「保守派」の宣伝を書き込んだりしていたわけですよね。これはもう狂気の沙汰です。こういったものに「適性に加筆」すればするほど、破綻がよりきちんと目に見えくるのだと思うのですが、果たしてそんなことに意味があるでしょうか。民族や党派だけで歴史認識を区分するのが無理なのです。歴史認識は歴史認識において違う態度を取っている人(グループ)ごとに区分しないと意味がありません。
ちなみに日韓ともに、それぞれの主流な論調を整理する時代区分もありません。だから、「保守派」の一言で世代ごとに違っている認識を一箇所に書き込むことができるのではありませんか。私は「感謝してもらいたい」が極論だとは全然思いませんし、世代で限定するならば、書かれていて良い「感情」だと思っています。
「認識の比較」を残す意義があるとしたら、編集合戦に陥らないための「ガス抜き」機能を期待するというものしか考えられないでいます。両陣営(複数陣営?)がポレミカルなことについて「主張」をそれぞれ書いておいてくれという役割です。そういうボックスとして用意されていると考えるなら機能しはじめているように思いますので、全削除について「提案とまでは言わない」でおります。しかし、辞典(解説)としてはいかがなものかとは思いつづけています。
もし上の機能も期待して残すならせめて、「日本の保守派」「日本の革新派」「韓国で主流な認識」の3つくらいには分けるべきだと思います(それでも「どこまでを保守派と呼ぶのか」という論争が永久につづくと思いますが)。時期区分も「(a)45年~65年(日韓基本条約)(b)65年~冷戦崩壊(韓国民主化)(c)冷戦崩壊~現在……くらいには分けるべきかと思います。
(2) 私が「感謝してもらいたい」の文言が削除されていて然るべきだと考えたのは、単にそういった“表現”が辞典の記述にふさわしくないと思ったからです。ちょっと、おちょくってる感じがするじゃありませんか。それだけです。だから、Naritab602さんがどうして私に同意なさるのか解せません。
「「感謝してもらいたい」という、立場性ともなう表現が客観性を欠いている、簡単に言えば当事者的すぎる(Naritab602さん)」としているのに対して、「「日本の植民地統治に悲劇の原因がある」という記述は断定的であるにしても、客観的立場からの主張になっている(Naritab602さん)」というのが理解できません。まず、「保守派の認識」と題しているのだから、立場性がともなったり当事者的なのは当たり前です。それを比較しようというセクションなのですから。他方で革新派の認識として「分断まで植民地統治に原因がある」と書かれているのは、同ボックス内に書かれている記述内容からして、論理的に飛躍しているし破綻しています。南北分断のいきさつまで書いておいて「植民地支配に悲劇の原因」とは、飛躍・破綻を隠さずに書いているか、革新派の論理が飛躍・破綻していることを示すために書かれているのではないかと勘ぐりたくなるくらいの記述です。たしかに、よく読むとそれぞれ一文ずつに分解すれば「客観的に記述・しているだけ」ですが、その全体を「客観的立場からの主張になっている」とする感覚というのは理解できません。どうしてNaritab602さんがそう思われたのか、もう少し詳述していただけませんか。現時点では「保守派の方に、一方的に感情的な表現をかぶせてしまう(Naritab602さん)」ことをおそれただけのようにしか読めないでいます。そして変なところでPOVを表明されたなあと思っているのです。POVはPOVのまま粉飾なく記述されなければ、NPOVというのは達成しようがないのではありませんか。--Iosif 2006年1月21日 (土) 20:42 (UTC)
[編集] 冊封体制
朝貢国が政治的に中国に従属している度合いはきわめて多様であり、多くの場合は朝貢貿易の側面が強かったのだが、これが近代的な西欧的国際関係の論理に翻訳されたとき、日韓での認識の差が生じた。(133.9.4.12さんの編集より)
- 133.9.4.12さんへ:上の加筆にある説明と同じように認識しているのですが、この表現だけでとどめると、日韓ともに善意であったということにならないでしょうか? 本当に善意だった可能性もあるのですが、江華島事件や開港要求していることなどから、少なくとも日本は(政策的要請としても)朝鮮半島で影響力を強める必要を自覚していたとはずですから、なにかしらの思惑があったことを疑う余地があるので、その余地を残す表現がないかと考え、「もちろん、日本側が善意の誤解から認識差を放置したとは断言できない」などと加筆しようかと考えましたが、どうもわかりづらい文ですし、そういう表現しか思いつかないので加筆せず、まずは相談いたします。ご意見ください。Iosif 2006年2月23日 (木) 18:14 (UTC)
「清国はあくまでも朝鮮は冊封体制下の属邦であるとの主張を変えなかった。」--いいちこ 2006年2月23日 (木) 18:22 (UTC)
- 茂木敏夫の李鴻章関連の論文を読む限り、属邦といっても、それを単純に西欧列強の植民地的意味合いにとることは難しい。李鴻章は日本に対抗するため朝鮮への支配を強めようとしていたが、清朝国内の保守派の伝統観念を納得させ整合性を持たせようとして苦慮していた。したがって記事にあるような「、「朝貢国は「属国・保護国に限りなく近いものと言えるが」というのは間違い。よって差し戻す。ただノートで合意すれば従う。--218.221.228.251 2006年2月23日 (木) 19:07 (UTC)
まず「まず合意してから変えるべき」なのは当のあなたですよ。で、朝貢貿易は「中華思想」に基づいた貿易形態ですから「朝貢国は「属国・保護国に限りなく近いものと言えるが」は間違いではありません。「西欧列強の植民地的意味合い」とは無関係。「中華思想」です。元に戻すが合意すれば従う。--Lover 2006年2月23日 (木) 19:44 (UTC)
朝貢貿易云々の編集をしたものです。えーと、「中華思想」に基づくものだから、という反論についてコメントします。朝貢し「正朔を奉じる」というのは、たしかに「華夷秩序」という中国のイデオロギーを受け入れることです。その意味で、これが「イデオロギー的な従属」を意味するというのは正しい。それが理念的に象徴的なのが、中国の暦を使うということだったりします。しかし、基本的に中国は一貫して、ロシア帝国と対するまでは、これ以外の外交をしてこなかったわけです。しかし、もちろん、中国の対外関係は、従属関係におくものから、単なる友好関係、あるいは「弟の国」という「屈辱的」なものまで多様でした。中国と正式な外交関係を結び、貿易関係を設立するためには、朝貢という形式をとり、相手を世界の皇帝であると認めてあげなければならなかったわけです。しかしこれは基本的に形式です。その内実は、実際の軍事的・政治的な情勢次第だったわけです。イデオロギー的に従属するということと、実際の政治的・軍事的従属性は、個別に論じられなければなりません。朝貢していたから属国に近いものであったということになれば、朱印船貿易の日本、あるいは琉球王国、鄭和の遠征によって朝貢をおこなった東南アジアや南インドの諸国が、みんな属国だったことになってしまいます。イデオロギー的な従属は、政治的・軍事的な従属ではありません。たとえば英連邦諸国の多くはイギリス女王を元首としていますが、イギリスの属国ではありません。なお、朝貢というと貢物みたいですが、実際には、朝貢したら、それ以上の額を恩賜する、という交換関係が、絶対的なお約束でした。またそのため、朝貢は多くの場合、商人が仕切っていました。とはいえ、この論点で、実際の当時の李氏朝鮮と清国の関係がどうであったか、ということとは独立です。すくなくとも、なんらかの派遣官とか内政干渉の常設機関くらいはないと属国とはいわないのでは? どちらにせよ、これは、冊封体制とは別の論点です。「だからこそ」、近代化にあたって、清国や日本は、冊封体制は、近代の西欧の国際関係の用語で言えばなんにあたるかで、大いに綱引きをおこなったわけです。(天皇を皇帝とみなすか王とみなすかの明治政府の外交的綱引きも同質のものです。)問題がなければ、そういうことはありえないでしょう。で、結論があまり出ないようであれば、冊封朝貢という項目で議論するとか、下の表に付け加えて両論併記にするとかしてはどうでしょう。133.9.4.11 2006年2月24日 (金) 07:13 (UTC)
ちなみにたしか当時の日本政府は清国との外交の中で、歴史的に服属国というのは、万国公法にいう属国ではなくて、「自主の国」であり、内政干渉をともなわないものであることを確認しています。モンゴルのような藩属の国と服属・朝貢の国では、基本的な従属度が違ったわけです。もちろん、その後、冊封体制の崩壊によってロシア、日本との対抗もあって、清国は朝鮮にある程度内政干渉するようになりますが、それは別の問題です。なお、朝貢・冊封をもって「属国」視するのは、「つくる会」の教科書が批判された論点であり、主として保守派によってのみ主張されているものなので、併記する場合は保守派・併合肯定派の主張の欄に入れることに問題はないと思います。133.9.4.11 2006年2月24日 (金) 07:49 (UTC)
口を挟むようで申し訳ありませんが私の意見。
私も、現在議論されている「冊封体制」は冊封体制の項目で議論すべきだと思います。また、属国や保護国の項目も有ることですし、わざわざ韓国併合の項目で、「属国、保護国」に関して説明する必要もないと思います。だいいち、近代国家間の国際関係の一形態である「属国、保護国」を「朝貢、冊封」と同じ土俵で比べること自体無理があると思います。--阿修羅 2006年2月24日 (金) 07:58 (UTC)
- 履歴を見ると、(前の版) 2006年2月23日 (木) 16:09 →2006年2月23日 (木) 16:49 2006 (朝貢貿易は中華思想に基づいた貿易形態。改稿。) 以降編集合戦になっているので、133.9.4.12氏が編集した時点で保護とすべきでは。その後ノートで合意(冊封体制ででも)後解除ではどうだろう--219.98.5.198 2006年2月24日 (金) 11:09 (UTC)
- そのようにしましたが、最新編集を反映してコメントアウトもつけてしまいました。勇み足だったかも。
しかし、意図を解しかねるのは、第一に「冊封体制下の国、すなわち朝貢貿易は中華思想に基づいた貿易形態であり」という文章。これ、反論と解説を加えてもらう以前に、同語反復でしょう。最初から解説ではない。編集者は出て来ないし反論と解説に応じる意図があったか疑問に思っています。第二に、「朝鮮の場合は「自主の邦」としてその貿易形態を自主的に容認したものと認識していた。」という文章。これも2006さんのものだったと思うけれども、単純に、意味がわからない。解説してください。なぜLoverさんがこれにこだわっているのか。理解してのうえなのか、ちょっとよくわからない。理解していたら、Loverさんが解説してください。あとは218.221.228.251さんの言うとおり「朝貢国は「属国・保護国に限りなく近いものと言えるが」というのは間違い」。「つくる会」教科書がこう主張していたとは恥ずかしながら記憶にありませんでしたが、だとしたら「歴史認識の比較」欄に入れることには問題ないというのには賛成です。Iosif 2006年2月24日 (金) 16:12 (UTC)
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- 間違えて保護テンプレをはがしてしまったので、戻しました。どうもすみませんでした。
- ですが、この段階で保護しなければならないのか、ちょっと疑問です。保護テンプレを貼ったのが編集当事者というのはどうなのか、編集投稿当事者が好きに編集したうえで保護テンプレ貼りつけて「投稿=保存」というのはいかがなものなのか(Loverさんが貼り付けたようですが)。ルールをよくわかっていなくて素朴な疑問というか質問なのですが編集合戦になっているな…と思ったら自主的に保護するものなのでしょうか? 他にも自分の関心でノートで提起している(意見をもらいたいと思っている)事柄があるのに残念だという気分半分、しかし、すでに発火しているのだからしばらく保護してもらってたほうがいいのかなという気分半分。Iosif 2006年2月24日 (金) 16:54 (UTC)
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たしかにもう不要かも知れませんね。でももう少し待って2006氏やLover氏の反論を聞きたい気がしますね。どこの誰が「朝貢国は「属国・保護国に限りなく近いものと言える」と述べているのに拠っているか、本当に訊いてみたいものです。少なくとも中国史関係の論文では寡聞にして知らない。いるとしてその人は漢文史料を三行以上読解できるのだろうか。属国・保護国だったら、李鴻章はどれだけ気楽だっただろうなぁ。墓の下できっと苦笑しているに違いない。とにかく答えをまつにしても、どのくらい待つかという問題は残りますね。218.221.228.2512006年2月25日 (土) 00:57(UTC)
中華思想(ちゅうかしそう)とは、中国(中華)が世界の中心であり、その文化、思想が最も価値のあるものとし、漢民族以外の異民族を、「化外の民」として見下す選民思想の一種。華夷思想ともいう。「中華思想」に基づいた貿易形態における朝貢国に対して「属国・保護国に限りなく近いもの」 とみなしていたことは否定できません。それを否定するには「朝貢貿易は「中華思想」に基づいた貿易形態ではない」とする珍見解を開陳してもらうしかありません。なお議論中ですからIosif氏は何度も荒らしリバートしないように。--Lover 2006年2月25日 (土) 06:22 (UTC)
- ▼はい、中華秩序・華夷秩序が前提になって朝貢貿易があるのだから「朝貢貿易は「中華思想」に基づいた貿易形態である」というのは単なる同語反復なのです。朝貢貿易の説明をするのが目的なら別ですが、その場合は朝貢の項目でやるべきです(すでに書いてあるけど)。当然、「「朝貢貿易は「中華思想」に基づいた貿易形態ではない」とする珍見解」は存在し得ません。そんな珍解説を防いでおく必要もありません。ですから、単なる同語反復的記述に存在意義はなく、解説になり得ない・解説として機能していないだけです。▼とはいえ、解説されているとおり華夷思想だけをもって朝貢国を「属国・保護国に限りなく近いもの」とは言えません。▼ついでに言えば、華夷思想というのは「近代的な意味での選民思想」とは違います。「選民思想に基づく秩序に服しているのだから属国だ」と言っているのですか? だとしたら前提のほうも間違っていると思うのですが。Iosif 2006年2月25日 (土) 06:45 (UTC)
リバートをくりかえさず、議論で合意をはかってください。Iosif氏は「漢民族以外の異民族を「化外の民」として見下す選民思想の一種「中華思想」において、朝貢国に対して属国・保護国に限りなく近い評価が存在しない」事を論証するしかないようです。--Lover 2006年2月25日 (土) 07:05 (UTC)
- Lover氏、 悪魔の証明ということばを知っていますか。「中華思想において、朝貢国に対して属国・保護国に限りなく近い」といっている研究はない、といっているのは。Iosif氏やわたしですよ。この場合「ないことの証明」は困難なため、証明責任は「中華思想において、朝貢国に対して属国・保護国に限りなく近い」と主張する、あるいは研究があるというあなたにあります。もう少し論理的な考え方をするように。Wikipediaの知性が問われます。
- あとあなたにどの研究によっているか示して欲しいといったので、公平性を示すため、朝貢国が属国・保護国として機能していなかったという研究を挙げときます。あなたが論文を簡単に入手できるかどうか分からなかったので、一般に売られているものから探しました。熟読してください。
- 清朝と朝鮮の関係について「近代世界の論理にたいするなかで、伝統に根拠を求め宗属関係の独自性を守ろうとすればするほど、伝統的な中華世界の自主の原則はますます形骸化し、上下の階層的枠組みを残して、その枠組みに依拠した上下の権力的支配の構造に変質し、近代世界の支配・抑圧の構造にますます近づいていったのである。ただし、だからといってこれは、両国の関係がすっかり権力的な支配・抑圧の関係になってしまったということまで意味するものではない。」茂木敏夫『変容する近代東アジアの国際秩序』74頁
- もしこれで、あなたが自説を述べるだけで、拠って立っている研究を挙げられないのであれば、この論議をしても無駄です。「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか」はという箇所に、「独自の調査結果の発表の場ではありません」と書いてあります。自説を撤回してください。。--218.221.228.2512006年2月25日 (土) 08:05(UTC)
- Loverさん、理念と実際の外交は違うということです。繰り返しますが、理念的な上下関係が存在したことは誰も否定してません。宗属は政治的支配をともなわず、理念的な上下関係にとどまる、ということは当事国双方に共有された認識でした。また、実力の問題もさることながら、中華思想の「徳治」の理念からいっても、中国側もそれでかまわなかったのです。参考リンク。[12] [13] ちなみに後者のリンクは併合擁護派の人ですが、あなたのような主張はしていませんし、資料的にも詳細です。133.9.4.11 2006年2月25日 (土) 08:27 (UTC)
- 2006氏、Lover氏ともにブロックですか。これにて決着? まぁまた別のIDとって書き直しにくるんでしょうねぇ。安易にローカルルール作るわけにもいかんし、困ったものですね。それにしても議論の際は最低限、自説の根拠となる文献を挙げなければ加筆修正不可、というのをルールにしてほしい。議論の度にまるで知的ボランティアになった気分だ。--218.221.228.2512006年2月27日 (月) 19:51(UTC)
- 私はろくすっぽ「ボランティア」をやれなかったので(そんな能力もなかったので)偉そうなことを言えないのですが……、そのうえでお願いするのも図々しいとは思うのですが……、この節の冒頭で133.9.4.11さんに向けて書いた相談に、218.221.228.251からもご意見いただければ幸いです。清国を意識した「綱引き(133.9.4.11さん)」を韓国併合に関する限りに絞って簡潔に説明するのは自分には無理だなあと思いますし、かといって(最終的にはここまで膨らんだ解説をインデントを下げるとかして本文への註のような扱いになるのだろうとしても)ここが説明されていなければ、また書き直しを誘発するのだろうと思えるので、なにかしら勿体無い気でいます。もちろん、気の向いたときでかまいません。「合戦」の当事者だった私に言われることで気分を害されたらお詫びします。Iosif 2006年2月27日 (月) 21:14 (UTC)
- 2006氏、Lover氏ともにブロックですか。これにて決着? まぁまた別のIDとって書き直しにくるんでしょうねぇ。安易にローカルルール作るわけにもいかんし、困ったものですね。それにしても議論の際は最低限、自説の根拠となる文献を挙げなければ加筆修正不可、というのをルールにしてほしい。議論の度にまるで知的ボランティアになった気分だ。--218.221.228.2512006年2月27日 (月) 19:51(UTC)
Iosifさん、お返事が遅くなり恐縮です。自分は力不足かもしれませんが、ちょっと考えてみます。ただ今現在忙しく本を手に取れない状態です。調べられるのは、3/3以降となりますので、それまでには133.9.4.11さんからまた何かお返事が来るかもしれません。その場合は私を無視して進めてください。それとわたしも大したことは何もしていません。ボランティアという言い方も彼らに失礼かもしれ真ません。反省しています。では。--218.221.228.2512006年2月28日 (火) 15:29 (UTC)
[編集] 領有権の放棄、喪失
52年に領有権を放棄と書くと、責任を負っているように読めますかね。日韓併合によって日本が獲得したのは朝鮮の領有権ですから、その喪失について書かないのは収まりが悪いと思います。単に支配の開始なら、併合以前の保護国化に遡ることもできますし。--220.105.155.28 2006年2月25日 (土) 12:00 (UTC)
▼国際法は苦手で、よくわからないのが正直なところなのですが、以前「そんなことなら52年のことを書きたいです」とコメントアウトなさって書いていたのを読んだまま真意をうかがってなくて、気掛かりでした。その点はすみませんでした。▼以下に思いつくまま述べますが、講和条約まで書いていいのかどうかと疑問に思う理由は複数あります。
- まず、以前は「国際法上」の「施政権」「領有権」と書いていらしたのですが、そういう概念が確立されているのでしょうか? そのへんが疑問でした。私は<聞いたことがなくて、このへんは参照できるものが手元になく、学生時代の国際法の教科書をぱらぱらと見た程度では見つけられませんでした。
- ご指摘のとおり「日本による支配の開始と終了」という書き方。これしか見当たらないと思っているので、朝鮮植民地化と解放そのものを書くときは保護国化からはじまり敗戦で終わるという書き方になるしかないのかなと思っています。だから見る限りの朝鮮史教科書もある一章を併合条約からはじめるということはないようです。
- で、この教科書群もあくまで朝鮮史を書くものですから「1945年8月、朝鮮は解放された」という書き方が大勢です。これは当たり前で、直後に、北部ではソ連軍政が人民委員会を急速に接収するとか、南部では騒乱があるとか、そういう記述のほうが重要になるからです。しかし、Wikipedia日本語版はあくまで日本語版であって日本人のための辞典ではないというのも手伝って、項目韓国併合も「日本」が主語になっていてはいけないわけですから(良いか悪いか別にして事実上は朝鮮史の一時期の記述のようになりつつありますね)、朝鮮に関する権限の放棄が国際社会に確認される瞬間まで書くことが適当なのか疑問です。
- この項目は「韓国併合」についてであり、広げても植民地統治についてです。しかも、記述の主体は「日本」ではありません。講和条約は日本にとっては主権を回復した重要なイベントですが、朝鮮支配については降伏文書調印によって終わっているわけです。日本の主権を回復した時点での「権利関係の確認」まで記述するのは、蛇足だと思います。それは新生「日本」の問題なんだと思います。
- 次に気になるのが、日本の朝鮮に対する権利(あえて領有権という言葉を使うとしても)自体が存在しなかったのであって全てが不法行為であったというのが大韓民国の立場であることです。北朝鮮とか左派政権とかいうことじゃなくて、最も日本に近い政権であった朴正煕政権であってもこの解釈を譲ってはいませんよね。それをほったらかして「領有権」という語を使うわけにはいかないだろうと思います(それは単に日本の立場に依った記述=POVになってしまう)。韓国併合によって日本は領有権を得たのだとするのは日本の立場であって(多くがそれを承認するでしょうから、そう開き直りたいところかもしれませんが、現在は)韓国以外でも異論を唱える勢力があり、それが増えることはあっても減ることはないと思われます。
- これらに加えて、個人的な関心です。日本の責任をいつまで問えるのかという問題です。日本に朝鮮支配の責任があるのは1945年の敗戦までだと私は思います。しかし、そうでないという議論もあります。(1)日本のジャーナリストが一時期、朝鮮戦争に至るまでの悲劇について、植民地支配者であった日本にも責任の一端があるのだといった「感想」ですね。テレビキャスターとか新聞の論説なんかのレベルですし、内容も情緒的なものにすぎません。が、そういう言説がまかりとおった時期というのは確かにあります。(2)次に、真面目なものとして、欧州の旧植民地宗主国と比較して、日本が旧植民地宗主国としての責任を果たしていないという論調。良くも悪くも植民地の行く末について「責任」を感じるという発想があるようです(だから今は植民地を手放さないとかいう議論にフランスではつながったりもしました)。左派からも日本の植民地後の政策を無責任とする批判が多いのはご存知のとおりです。しかし、項目の定義部に近い部分はこういったポレミカルな問題からは遠のかせているべきだと私は思います。だから、まるで講和条約まで朝鮮に何かの責任(や影響力)があったかのような記述は避けたほうがいいのではないかと思います。
- 220.105.155.28さんお尋ねの「責任を負っているように読めますかね」。←読めます。私は。なんせ「領有権」と言っているわけだから。
- また52年の講和条約(日本国との平和条約)において一番キモとなる決め事は「日本と連合国との戦争状態の終了/および日本の独立」ですよね(勝手に「一番キモとなる」と決めているのが間違いかもしれないのでこれはただしてください)。52年までは日本は主権を回復していない。主権国家ではない日本の「領有権」を云々するというのもおかしな話です。もちろん、講和条約では「日本は朝鮮の独立を承認」「朝鮮に対する全ての権利、権原放棄」も約しています。しかし、その段階では朝鮮はすでに南北に分かれて独立しています。「権原の放棄」についても、話は戻りますが権原があったとすることへの異議もある。となると、何らかの権利があったかのように読める記述は避けたほうがいいんじゃないかと思うのです。そして、少なくとも「施政権」は間違いということでした。修正するにあたっては「朝鮮の支配」としか言いようがなかったようです。「領有権」という言葉もあやしいなと思います(なるべくすぐに調べますが)。
- なにより、52年まで「領有権」(←しつこいようですが、そういう概念があるのかどうかもよくわからんし、それを承認するのは誰なのかというのも疑問)をもっていたわけではなくてうやむやになっていただけですよね。「領有権」をもっていたとしたら52年までに朝鮮で起きている事柄に対して日本は“法的”にも責任があるかのように読めるのでないでしょうか?←いや、これが間違いなのはわかっているのですが、220.105.155.28さんが加筆したいと考えている事柄が入ることイコール、(左派の一部と同じく)「日本の責任」範疇を大きめに広めに捉える立場に近づくような印象を私は覚えるのです。
▼これら複数の理由(複数の心配事)を考え合わせると、52年までは言及しないでおくべきだろう、そのへんは日本国との平和条約で述べたほうがいいだろうと私は思っています。この項目で言及しようとノートでゆっくり文案を練るのもいいのかもしれませんが、泥沼化するおそれだけ表明しておきます。あ、泥沼化というのは編集合戦や意見の対立ではなくて、あれもダメ、これもダメ、となった結果、行き場を失いそうだという意味です。▼どうしても、この項目で言うとしたら、「降伏文書調印によって、日本が朝鮮植民地を放棄していることを国際社会が確認した」というあたりかもしれません。しかし、ここまで換骨奪胎してまで記述を入れて、何の意味があるのか疑問です。降伏文書の調印によって正式に朝鮮の支配は終了した旨はすでに記事中に書かれているわけですから。Iosif 2006年2月25日 (土) 18:54 (UTC)修正付加Iosif 2006年2月25日 (土) 19:13 (UTC)
長文レスしていただいてありがとうございます、私は長文書くのは苦手なので申し訳ないんですが。
>「国際法上」の領有権と施政権
両者が別物であることは間違いないと思います。例えば租借地では、借りるほうはその土地を支配(施政権?)できますが(潜在)主権、領有権は貸すほうにあります。いつかはかえさなきゃいけないので、領有権じゃないです。領有権は永続的に当該領土を支配できる権利だったと思います。将来そこで起こったことの責任は借りた側、支配する側が負います。信託統治や委任統治なども同様ですね。受任国は施政権を持っていても、領有権は持ってない。これも永久に支配する権利じゃないから。
>「日本」が主語になっていてはいけないわけですから
でもこれは朝鮮人にとっても結構重要なことなんですね。朝鮮人が日本法の上で日本国民でなくなったのがSF条約発効の日なんですよ。外国人登録令施行の日だと書いてた方がおられましたがそれは間違いで、暫定的に外国人に準じたあつかいをしていたということに過ぎません。平和条約国籍離脱者という言葉は日本の現行法にも出てきます。それに日本は韓国併合の一方の当事者なのだから日本にとって(だけ?)重要なことを書いてもNPOVを欠くということにはならないのではないでしょうか。
>大韓民国の立場
それは後にまとめて書かれることでNPOVは確保されていると思います。前にも書きましたけど領有権を放棄したと書けないなら領有したと断言するのもダメってことになりませんか。
>日本の責任
これは私は前述の租借地の問題などとパラレルに考えています。あるいは係争地でもいいですが。例えば日本は竹島や北方領土の領有権を主張しているけど、実効支配していない以上そこで起こったことには責任はとらないし、とれないですよね。
>「領有権」(←しつこいようですが、そういう概念があるのかどうかもよくわからんし、それを承認するのは誰なのかというのも疑問)をもっていたわけではなくてうやむやになっていただけですよね。
上述の国籍の処理などから推測すると今も昔も日本政府は52年まで朝鮮に対する領有権(潜在主権?)を保持していたという立場に立っているのではないかと思います。外務省にでも問い合わせたほうがいいのかな。--220.105.155.28 2006年2月26日 (日) 01:52 (UTC)
- 思うこととが沢山と、異議がいくつかあるのですが、いよいよ日曜日も終わってしまったため、お返事すこしお待ちいただけますと助かります。とはいえ、このまま二人だけでやりとりを重ねても論点が拡散する一方である予感もあります。私は国際法はよくわからず「領有権」という言葉もよくわからないと表明しておりましたが、私よりはマシとはいえ、お互いよくわからないでいる&しかも互いに自らの論点もきちんとまとまっていないということが確認できたように思っているからです。(実際、私も各段落にコメントを一つずつつけていく形式でお返事したいし、そのほうが楽だというのもあります、が、それだとどんどん拡散しそうです)。「調べます」と書きましたが、現状では少なくとも私は調べる糸口もわからない始末ですから、何から調べて確定していくかについてのやりとりが少し続き、ある程度の認識が一致したうえで「講和条約までを冒頭に書くことの適否」へと話は移るのかなと予測しています。取り急ぎ、ご挨拶がわりに。Iosif 2006年2月26日 (日) 18:36 (UTC)
ありがとうございます、わたしも考えをまとめておきます。--220.105.155.28 2006年3月2日 (木) 05:27 (UTC)
在日韓国・朝鮮人を介して韓国・朝鮮の主張がよく顕れ、かつその主張に協力することが善とする勢力がある日本国内では、併合は法的に無効・領有権もなかったなどという考えが有力だと考える人もいるようです。が、国際法学会では、併合を無効だとする説を支持する学者は韓国・朝鮮系学者を除き全くといっていいほどいない、ということをお耳に留めておいてくだされば幸いです(もっとも、一部に当該国から援助を受けていると疑われる学者の支持はありますけれど)。こういった、いわゆる民族のプライドのためにする中身のない立論は、朝鮮半島に限られたことではないのですが、最近とみにひどくなってきています。政治的目的のための解釈はいわば国際法の宿命とも言えるものですけれど、朝鮮半島に限っては「ああまたあの国か」と軽侮されてしまっている、それくらいの価値しかもたないという国際評価もまた覚えておいてくだされば。「白人はインディオとの契約に詐欺をはたらいた、従ってアメリカ合衆国は法的正当性を持たない」などという発表は、まだ温かい目で見られますけれども(国際法が未整備の時代でしたから)、ある程度整備されてからの併合無効論は歯牙にもかけられていないどころか、真摯な法的議論の邪魔になるだけだと解されています(実際、半島系学者の発表があると、みな嫌がってしまうのです。国際法の水準にかなうような発表も質疑応答も期待できませんから。それはもう、日本の憲法学者がゲストで憲法9条の解説をする場合に近い嫌がられ方です。どちらも国内限定解釈で国際常識にかなっていないところは共通しているといえますけど)。「韓国併合によって日本は領有権を得たのだとするのは日本の立場であって(多くがそれを承認するでしょうから、そう開き直りたいところかもしれませんが、現在は)韓国以外でも異論を唱える勢力があり、それが増えることはあっても減ることはないと思われます。」とありましたので、蛇足ながら申しました。--Almain 2006年9月20日 (水) 16:14 (UTC)
おっしゃっていることのソースをお願いいたします。--ゆきち 2006年9月20日 (水) 16:22 (UTC)
ゆきちさま、私あてでしょうか?でしたら、蛇足ながら申しましたことで、内容を読んでいただければ国際法の関係学会へ出席した感想というべきもので、ソースなどは特にございません。また、内容からおわかりになりますように、こういったことは(ML等を除き)公表されるような性質なものではありません(もっとも、日韓に限りましても、日韓歴史共同研究委員会に参加された日本側委員が各所で発表されている感想などを参照していただければ...)。ただ、併合の有効・無効を完全に両論併記しなければならないとも受け取れる印象の本頁の改訂の一助ともなれば、と書いただけのものです。(こういった民族プライド解釈の議論などは、将来の発表の場が危惧されております。日本物理学会が、相対性理論を論破したと称する素人学説の発表をまとめてさせているような方向に行かねばよいのですが。)なお、私の発言がウィキペディアノートでの発言にそぐわないものでしたら、これは謝罪いたします。まだウィキペディア歴がほんとうに浅いものですから、ご指摘いただければ幸いです。--Almain 2006年9月20日 (水) 16:53 (UTC)
保護状態はいつまで続くんでしょうかね。解除にはほど遠いように思いますが。これだけ人々の間で立場が違うと、何が中立であるかという点ですら合意がとれないのも仕方ないかもしれません。日本におけるコンセンサスあるいはいくつかの立場、そして韓国や北朝鮮におけるそれ、その他の世界各国におけるそれ、それぞれをうまく整理できる人がいればいいんですが。現状は、自分の信じる立場がないがしろにされていると誰かが感じるたびに編集が行われ、それを不適切と思う別の立場の人間がまたそれに異議を唱え、という終わらない循環に陥っているように見えます。 Wikipediaはすでに一般に受け入れられた事実のみを記載する場であるという原則に立ち返れば、この項目に関してここまで詳細な記述を試みること自体が、すでにその原則を逸脱しているのではないでしょうか。おそらく、誰もに異論がない(自信はないですが)だろうことは、1.日本が大韓帝国を解体し35年間実効支配したこと 2.現在では、日本史の立場からその併合を韓国併合と呼び、朝鮮史の立場から日本統治時代と呼ぶこと 3.実効支配の実態に関する事実関係、朝鮮や内地における実効支配に関する住民意識、国内政治および国際政治レベルにおける朝鮮支配の位置づけには各論があり、大多数が認めるコンセンサスを得るには至っていないこと・・・くらいではないでしょうか。 3に含まれる項目として、日本の検定教科書や韓国の教科書に載っているよく知られた項目のみを論評抜きに紹介することはあってもよいとは思いますが、おそらくそうすることは、現行の教科書は捏造史と考え是認しない立場の人たちが黙っていないでしょう。内容は豊かな方が良いに決まっていますが、声の大きさだけで内容が決まるようでは百科事典としての価値を損ないます(英語版の同項目を見る限り、韓国において主流の主張で埋め尽くされており、国際政治の場においても韓国併合は違法であることが共通認識であることになっています)。私は、多くの項目については、みなさんのこれまでの努力を思うとこういうことを言うのはあれですが、一旦大部分を削除し、ごくわずかなコンセンサスを得られる項目について記述し、いくつかのトピックについて、簡単に触れつつ様々な立場から議論があることを紹介するにとどめるのが良いと思っています。いかがでしょうか? (ここに書くべき内容でなかったならばお詫びいたします。)----
- 国際政治の場において違法とは何ですか?国際政治とは何を想定されているのか教えて下さい。興味があります。英語版は移植されることが多いだけで、そこに書かれている内容を論拠にするルールはありません。「韓国の資本でハーバードUniv.で開かれた学術会議」において、思惑と異なり「違法」と断定できなかった話とは別ですか?Real Madrid 2006年10月22日 (日) 07:46 (UTC)
そうですねえ。とにかく、韓国が自ら望んだ(あるいは希望している)歴史を信じ込んでいる人たちがいて、その(事実ではない)歴史のプロパガンダを続けている限り、保護状態が続くというのは悲しい現実ですねえ。なんとかしたいものです。歴史上、朝鮮半島での成立国家が事実上完全な独立国であった時代は殆どなく(ニッチ的に多少ありましたが)、そのための劣等感の裏返しとして、現在強烈に自分たちがこうあって欲しい歴史を望む傾向が強いようです。ただ、それを外部にまで無理やり手を広げようというのは問題です。WIKIについてはこのところ随分と調べてみましたが、どうもどこの国であっても、韓国関係の話題は「荒されるから」スルーのような対応が強いようです。結果として、どこの国でも、WIKIにおける韓国関係の記述は信用がおけない(というかネットにおける彼らが主張する韓国関係の記述は信用ならない)という、局部的な信頼性の低下現象が起きているのは褒められることではないでしょう。実際の国際政治・国際法の関係学会では、「北朝鮮の主張する朝鮮半島の歴史」「韓国の主張する朝鮮半島の歴史」は、これは誰も信用していない状態になっています。一つには、彼らには例証となる史料が殆どないこと(日中に比べ、文字史料が余りに少なすぎる)と、史料解釈をきちんとアカデミックに受けた人がほとんどいないこと(戦前の日本を否定して、戦後独自に学者養成をはじめましたが、WW2以降、まだ60年ということで、原初教育を受けた第一世代でさえまだ現役という学術伝統のなさからきています)、そして、彼らの捏造癖(最近もES細胞で大きな問題がありましたね。厳密な検証が必要とされる自然科学であれなんです。文系の研究はものすごいですよ)。残念ながら、まだきちんとした研究はできないようです。ところで、朝鮮半島が現状で平和的に統一されるとどんな歴史ができあがるかはおわかりですか?金一家の伝説的なエピソードが正史として組み込まれる恐れがなきにしもあらず。恐ろしいことです。--Almain 2006年10月26日 (木) 21:36 (UTC)
[編集] ネット右翼によるガセペディア
日本が正義だと思いこむ方がおかしい。日本の植民地政策は残虐なものであり善政とはほど遠い。朝鮮総督府の項を見れば分かるように、朝鮮王朝の正宮を日本が破壊したのは有名な歴史的事実である。光華門を撤去し宮殿建物の多くを破壊して朝鮮総督府を建てた日本軍が残虐で、朝鮮独立派を虐殺し拷問し圧政を引いたことも事実。一度ソウルの西大門へ行ってみなさい。日本が親切だったとかネット上のガセネタやトンデモ本を信じて適当なこと書くのは社会の迷惑。
ここはネット右翼やアホ2チャンネル軍事マニアが勘違いを書く場所ではない。日本が、韓国で鉄道や港を作ったのは満州へ軍を輸送するのが主な目的で、別に韓国人のために作ったわけではない。学校作ったのも日本への同化を進めるためで、日本軍は朝鮮文化を尊重するつもりはなかった。総督府がハングル普及させたというのも根拠のないガセネタ。トンデモ本以外に、学術書などきちんとした根拠がしめされたことがない。
日本占領期に朝鮮の人口が増えたとかいうのは、朝鮮半島に移住した日本人の人口を含んだ政治宣伝にすぎない。申告した土地はほとんどが朝鮮人のものになったというのも政治宣伝で。実は、日本語で書類を書けず申告できなかった朝鮮人は全農民の3割以上で土地を奪われた数十万人以上の朝鮮人農民は、日本の炭坑など過酷な条件で働くか、当時人口が少なかった中国東北部、現在の朝鮮続自治区付近に移住せざるをえなかったのが歴史的事実。ほとんど人がいなかった中国の延吉市周辺に朝鮮族が百万人以上住むことになったのはそのような事情であり、日本の圧政が厳しすぎた結果である。そんな程度のことは勉強してから書き込め。勘違いしている素人が百科事典書くべきではない。朝鮮では1944年以降に、日本が食料を収奪しすぎて餓死者が出て人口が減っているが、ネット上ガセネタサイトはそのことを隠している。日本に都合の悪い事実を隠蔽すのは不公正。
もし日本が中国に占領され、中国が日本という国を消滅させて皇居を破壊してから、港や鉄道整備してくれたら、アホガセペディアンは中国に感謝するのか。勘違い素人は退場すべきである。
そもそも、韓国を勝手に占領して自国に併合し、韓国という国を消滅させながら日本は親切だったとか利己的主張を始めるのは日本の恥。トンデモ本を数冊読んだだけで歴史を分かった気になっている勉強不足ネット右翼こそが問題。ネット右翼こそ日本の恥部である。
アホ2ちゃんねらーやアホガセペディアンは現実社会で活躍できないので、ネット右翼になって、外国の悪口や日本軍の自慢話しを書いてうさをはらすのである。 --Motomura 2006年12月15日 (金) 14:40 (UTC)
- トンデモ本以外に、学術書などきちんとした根拠がしめされたことがない。とありますが、貴殿の書き込みも何を論拠に語っているのか分からない以上、私には貴殿の書き込みも信ずるに足りない印象を受けます。貴殿は何のトンデモ本を参照されたのでしょうか。特定の思想を持った人物は、他にレッテルを貼る事を好む傾向が見られます。まずは、Wikipediaの使い方を知ることをお勧めします。Real Madrid 2006年12月16日 (土) 12:17 (UTC)
Real Madridの意見に反対。日本軍の残虐行為や、宮殿破壊は有名な事実で、多くの歴史書に書いてある。歴史学の本を読めばいいだけのこと。そんなことも知らない短絡思考の素人は百科事典に書き込みすべきでない。ガセネタを書くのは社会の迷惑。短絡思考のネット右翼や軍事マニアがネットに外国の悪口を書き込むのは、レッテル張りという問題ではなく重要な社会的事実。少なくとも日本の破壊行為を書いてある版にすべき。その行為を隠すべきではない。--Toyamakinji 2007年2月24日 (土) 12:36 (UTC)
- 横から失礼します。だからReal Madridさんはどんな文献を利用されたのかしめしてくださいってお願いされているのではありませんか? 「日本軍の残虐行為や、宮殿破壊は有名な事実」といわれるのであれば、そう言わしめる論証がされた文献があるはずです。それを示していただければ良いだけのことだと思いますけど。61.210.132.242 2007年2月25日 (日) 08:32 (UTC)
この言説は「京福宮の破壊」「独立派への弾圧」といった「日本の植民地政策の残虐性」を示すと思われることに関しては検証が容易な個別事象を挙げているにも関わらず、学制やインフラの建設といった支配に肯定的な評価をもたらしうると考えられる分野の話を、根拠を示さずにその目的を断じてしまっている点に問題があると考えます。
因みにハングルでの教育についてですが、
といった資料を提示しておきます。--VSA-itama 2007年3月16日 (金) 04:00 (UTC)
[編集] 分割
>良いか悪いか別にして事実上は朝鮮史の一時期の記述のようになりつつありますね
私もこれは問題だと思います。日韓併合とその結果としての日本統治時代って別物ではないでしょうか。日本統治下の朝鮮について書かれた部分は分割したいです。{{記事分割|日本統治時代 (朝鮮)}}--220.105.155.28 2006年2月26日 (日) 07:25 (UTC)
私も賛成しますが、実行するのは、保護状態が解除されてからになりますよ。--Seibuabina 2006年2月26日 (日) 16:42 (UTC)
- ちょっと早いのではないかと思います。そう遠くない将来に分割するべきだとは思いますが、両方の項目が入り乱れて編集合戦になりそうな悪寒。もう少し記事がふくらんでからでもいいのではないかと思います。また、新項目を立てるにしても、少なくとも項目名が「日本統治時代」でいいとは思えません。当ノートでモデルとしての「植民地」概念がPOVだとする典拠が出るのかお待ちしているところですから。ただ、保護状態については純粋にお尋ねなのですが、この項目は保護状態なのでしょうか? 保護依頼も出ていませんし、現に保護されていませんし、投稿当事者がテンプレを貼ったきりノートでは有意な説明を行っていないというのが現状です。(ところで、なぜこのページは節単位編集ができないんでしょう?)Iosif 2006年2月26日 (日) 18:36 (UTC)
- いつの間にか保護されていましたね。失礼しました。Iosif 2006年2月26日 (日) 18:40 (UTC)
日本統治時代が日本語では一般的であるようです。[16] [17]
あと、韓国側のPOVにも配慮すべきだと思います。植民地とは合法的に領有権や施政権が及ぶ領域であり、不法な軍事占領を受けた朝鮮は植民地ではないという見解もあるようなので。--220.105.155.28 2006年3月8日 (水) 10:00 (UTC)
- ご紹介のサイト(というか検索結果)を見ましたが、あれを見てどうして「一般的」と考えられるのでしょうか。Iosif 2006年3月19日 (日) 18:46 (UTC)
え、駄目ですか、他の項では項目名を決める際グーグルの検索結果に依拠してたんですが・・・・・・。--220.105.155.28@アカウントユーザー 2006年3月20日 (月) 05:56 (UTC)
私は名称はともかく、その時代が日本統治時代 (台湾)のような別項目としてあったほうが、文化・教育面からの情報もかけますし、海外にいる日本語がよめる外国人が参照する助けにもなると考え分割賛成です。たとえば、台湾新幹線の中文記事は、日本語の内容を見ており、それに比べまだ差が大きい(量も内容記載事実も)と声を上げる人もいます。 英語サイトの韓国に関するところをみても、中国との冊封も朝貢関係もかかれておらず、科挙を採用した両班についても、平気で1945年以前と書いているので、日本統治時代にどう制度が変わっていったかなどを、記載できる項目はあると良いと考えます。 - 2007年1月6日 (土) 10:52 (UTC)~
[編集] 日本の残酷な植民地支配と厳しい朝鮮人差別
日本軍の残虐な植民地支配は、欧米の植民地経営と何ら変わらず、むしろ現地の権利や人権を軽視する面でより残虐だったといってよい。短絡思考のネット右翼や軍事マニアは、嫌韓流の作者と同様、韓国の実情や歴史について非常に不勉強で、せいぜい数冊の本を読んだ程度で歴史が分かったような気になっているが、そもそも実際に韓国へ行った事のある者は少数に過ぎず、誤解が多い。その結果、日本政府や日本軍が行った数多くの残虐行為や圧政、韓国での文化遺産の破壊(詳しくは朝鮮総督府や景福宮などの項を参照)について、何も知らないか知識が乏しい。歴史書や、せめて元日本兵の体験記など読めば実態はすぐ分かる。元軍人の湯浅謙氏の以下の文章では「私は子供のときから朝鮮人は卑しいと叩き込まれ「センジン」といってさげすんでいました。中国人も「チャンコロ」と侮蔑しておりました。こういう民族差別の意識から、「この戦争は正しい、日本は天皇を頂いて必ず勝つ、いつかアメリカ、イギリスに伍してアジアを征服するのだ」という誤った考えをもっていました。当時日本中があの戦争に浮かれていたので、真実を知る者は極めて僅かだったでしょう」とのこと。
元軍医湯浅謙氏の慰安婦体験 http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/05/yuasa_ianhu.htm
--Toyamakinji 2007年3月3日 (土) 06:48 (UTC)