信託統治
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信託統治(しんたくとうち)は、国際連合の信託を受けた国が、国際連合総会および、信託統治理事会による監督により、一定の非独立地域を統治する制度である。国際連盟における委任統治制度を発展させて継承したもの。
国際連合の信託を受けて統治を行う国は施政権者という。施政権者は、1ヶ国の場合が多いが2ヶ国以上の共同でもよい。また、国際連合自身が施政権者となることも認められている。しかし、まだ実例はない。
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[編集] 信託統治地域
信託統治制度が適用される地域は、信託統治地域または、信託統治領という。信託統治地域は以下の3つの類型がある。
- 国際連合憲章の発効時、(1945年10月24日)において委任統治されている地域。
- 第二次世界大戦の結果、敗戦国から分離される地域。
- 実例は、旧イタリア領のソマリランドのみ。
- 海外領土を有する国が自発的に信託統治制度に移行させた地域。
- 実例なし。
以下の11地域が信託統治地域とされた。括弧内が施政権者である。現在では、全て独立を果たしたために信託統治地域は存在しない。
- 西カメルーン(イギリス)
- 東カメルーン(フランス)
- ソマリランド(イタリア)
- タンガニーカ(イギリス)
- 西トーゴランド(イギリス)
- 東トーゴランド(フランス)
- ルアンダ・ウルンジ(ベルギー)
- 西サモア(ニュージーランド)
- 太平洋諸島(アメリカ合衆国)
- ナウル(イギリス、オーストラリア、ニュージーランド)
- ニューギニア(オーストラリア)
委任統治領は、原則として全て信託統治領に移行したが2つの例外がある。1つは、南アフリカ共和国が受任国となっていた旧ドイツ領南西アフリカ(現在のナミビア)である。
南アフリカは、信託統治への移行を拒絶し、委任統治制度も国際連盟の解散により消滅したものとして南西アフリカを植民地として扱った。これに対して、1960年に国際連合総会は、委任統治の継続を認定した上でその終了を決議する。1968年には、国際連合ナミビア委員会の統治下におく旨を決議した。しかし、南アフリカは、ナミビアが1990年に独立するまで占領を続けていた。
もう1つは、イギリスが受任国となっていた旧オスマン・トルコ領パレスチナである。ユダヤ人とアラブ人に対する二枚舌外交が第二次世界大戦後に破綻してイギリスに対するテロ攻撃が激化したために、イギリスはパレスチナの統治を断念してこれを国際連合に委ねた(パレスチナ問題)。このため、パレスチナは信託統治に移行しなかった。イギリスの委任統治の期限切れとなる1948年5月14日に、国際連合決議に従ってイスラエルが建国を宣言。その結果、第一次中東戦争が勃発した。
[編集] 西カメルーン
施政権者はイギリス。委任統治前はドイツ領。住民投票の結果、北部(北カメルーン)は、1961年6月1日に西隣りのナイジェリアに編入。南部(南カメルーン)は、同年10月1日に東隣りのカメルーン(カメルーン共和国)に編入した。
[編集] 東カメルーン
施政権者はフランス。委任統治前はドイツ領。1960年1月1日に独立してカメルーン共和国となる。1961年にイギリス信託統治領の南カメルーンと合併してカメルーン連邦共和国となるが、1972年に連邦制を廃止して1984年にカメルーン共和国に改称した。
[編集] ソマリランド
イタリア領ソマリランドは、イタリアの施政権による植民地であった。第二次世界大戦に敗れたため、信託統治領への移行を余儀なくされた。なお、他のイタリアの植民地は、エリトリアがイギリス領に、リビアが英仏共同統治領になり、エチオピアは1941年に独立を回復した。イタリア信託統治領のソマリランドは、1960年7月1日に独立して北西に位置するイギリス保護領(同年6月26日独立)と共にソマリア共和国となった。1969年、ソマリア民主共和国に、1991年、ソマリアに改称。しかし、旧イギリス領はソマリランド共和国(ソマリランドを参照)として一方的に独立を宣言して旧イタリア領内も分裂状態となっている。
[編集] タンガニーカ
施政権者はイギリス。委任統治前はドイツ領。1961年12月9日独立。1964年4月26日、ザンジバル人民共和国と合併してタンガニーカ・ザンジバル連合共和国になる。同年10月29日、タンザニア連合共和国に改称。
[編集] 西トーゴランド
施政権者はイギリス。委任統治前はドイツ領。1957年3月6日、西隣りのイギリス領ゴールドコーストと共にガーナとして独立。1960年に共和国となる。
[編集] 東トーゴランド
施政権者はフランス。委任統治前はドイツ領。1960年4月27日に独立してトーゴ共和国となる。
[編集] ルアンダ・ウルンジ
施政権者はベルギー。委任統治前はドイツ領。1962年7月1日、北部はルワンダ共和国として、南部はブルンジ王国として分離・独立した。1966年、ブルンジ王国は、ブルンジ共和国になった。
[編集] ナウル
施政権者はオーストラリア、ニュージーランド、イギリス。委任統治前はドイツ領。1968年1月31日独立、ナウル共和国となる。
[編集] ニューギニア
施政権者はオーストラリア。委任統治前はドイツ領。ニューギニア島の北東部と、ビスマーク諸島、ソロモン諸島のブーゲンビル島からなる。1949年、ニューギニアの信託統治を維持したまま、ニューギニア島南東部のオーストラリア領パプアと行政単位を統合してパプアおよびニューギニア准州とした。1972年、パプアニューギニア准州と改称。1975年9月16日、独立してパプアニューギニアとなった。
[編集] 西サモア
施政権者はニュージーランド。委任統治前はドイツ領。1962年1月1日独立。1997年7月3日、サモア独立国に改称。
[編集] 太平洋諸島
施政権者はアメリカ合衆国。委任統治前は、ドイツ領で委任統治時代の受任者は日本。マリアナ諸島(グアム島を除く)、カロリン諸島、マーシャル諸島の3諸島で構成される。グアム島は、1898年から米国領であり、1941年から日本が占領していたが1944年に奪還された。以後、米国の直轄領(準州)である。
太平洋諸島信託統治領だけは、国際連合憲章82条以下に規定される「戦略地区」に指定されて施政権者の軍事的利用が認められた。
当初は、将来的にこの地域を一括してミクロネシア連邦として独立させる計画であった。1965年に住民自治立法機関であるミクロネシア議会を設立した。しかし、初めに、マリアナ地区(グアム島を除くマリアナ諸島)が、1978年1月9日に米国自治領(自由連合州)の北マリアナ諸島となり分離。続いてマーシャル地区(マーシャル諸島)とカロリン諸島のパラオ地区が、それぞれ自治政府を設立したために残されたカロリン諸島のコスラエ・トラック・ポナペ・ヤップの4地区で連邦自治政府を設立。マーシャル地区は、1986年10月21日に独立してマーシャル諸島共和国となった。カロリン諸島の4地区は、同年11月3日に独立、ミクロネシア連邦となった。最後の信託統治領となったパラオは、1994年10月1日にパラオ共和国として独立した。これをもって国際連合の信託統治制度は役割を終えた。
[編集] 委任統治との相違
- 監督権限の強化。施政権者に対する監督事務を行う信託統治理事会は、3年に1度、各地域を視察して住民に対する人権侵害や搾取がないか自治・独立に向けた施政が行われているかを調査することとした。
- 地域住民から国際連合への請願制度を創設。委任統治では、住民からの請願を受理するのは受任国の役目で、国際連盟は関与しなかった。これに対し、信託統治では、住民からの請願を国際連合が受理することで、施政権者の不正を察知してこれを正すことが可能となった。
- 軍事利用の許可。委任統治では、地域の軍事利用は禁止されていたが信託統治では「戦略地区」の指定を受けることで、国際平和を目的とした軍事利用が認められる。