高倉福信
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高倉 福信(たかくら の ふくしん、709年(和銅2年) - 789年11月3日(延暦8年10月8日))は奈良時代の官人。武蔵守。背奈行文の甥。高句麗王家の後裔で有る背奈福徳の孫。
背奈福信から初め、高麗福信に改める。福信は叔父の背奈行文を頼り、上洛した。聖武天皇に重用され、福信は数々の官職を歴任して、756年(天平勝宝8年)に武蔵守に就任する。当時、工事が滞って未完成だった。武蔵国分寺を僅かの間で福信は築き終える。758年(天平宝字2年)に福信は新羅郡を設置した。779年(宝亀10年)に一族の名前を福信は高倉に改めた。
子に美作介の高倉石麻呂がある。