魏略
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魏略(ぎりゃく)とは、中国三国時代の特に魏について書かれた歴史書。本文は失われ、現在は逸文のみが残る。典略の一部として構成されたと思われ、正史三国志にも陳寿がよく魏略から引用している。著者は魚豢(ぎょかん)である。275年以降の記事は三国志には引用されていないので、恐らくこの頃に執筆を止めたか、魚豢自身が死去したものと思われる。
[編集] 特徴
特徴として、魏や晋における重要人物の諱を使用していることが挙げられる。執筆が終わった時期は魏の高貴郷公(曹髦)が殺害された時期と見られていたが、逸文によって晋の成立後に書かれた部分が存在することが分かった。
記述は魏国内や関中軍閥などに詳しいが、遠方についてはあまり書いていない。この事から生身の証言を重視したと思われる。しかし、外国に関する記述は、現存する当時の文献ではもっとも詳しく、邪馬台国や大秦国(ローマ帝国)への言及もある。特に、大秦国については、中国側の文献では現存最古の史料であり、中国の皇帝専制支配とは異なる、元老院の存在などを示唆した記述がある。
「倭」について「其俗不知正歳四節但計春耕秋収爲年紀」(その俗、正歳四節を知らず。ただ春耕秋収を計って年紀と為す)と今の半年を一年として数えていたと記載している。この記述は春の耕作と秋の収穫を1サイクルとして1年と数えたとも読める。
[編集] 逸文
- 魏略逸文の一つに、倭人について「自謂太伯之後」とある。
[編集] 関連項目
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