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邪馬台国 - Wikipedia

邪馬台国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

邪馬台国(やまたいこく、やまだいこく など)は、「魏志倭人伝」(中国の三国時代の歴史書『三国志』のうちの「魏書」東夷伝倭人の条)などに出てくる国。弥生時代23世紀日本にあったと推定されている。女王が治めていたことから魏志倭人伝では女王国とも記されてる。

邪馬台国は元々男王が治めていたが、国家の成立から70~80年後、倭国全体にわたって長期間にわたる騒乱が起こった(倭国大乱)。邪馬台国もその影響を逃れえず、一人の女子を女王に共立することによってようやく混乱が治まった。その名を卑弥呼という。また彼女の弟が補佐して国を治めていた。卑弥呼は魏に使節を派遣して親魏倭王の称号を得た。248年頃、狗奴国との戦いの最中に卑弥呼が死去し、男王が立てられたが混乱を抑えて統治できるには至らず、「壹與」(壱与)または「臺與」(台与)が女王になって、治まったという。

邪馬台国と後のヤマト王権の関係ははっきりしない。位置についても魏志倭人伝の記述が明確でなく論争になっている。一般的な読みは「やまたいこく」だが、本来の読みについては諸説がある。

目次

[編集] 「魏志倭人伝」中における邪馬台国

以下は「魏書」東夷伝の倭人の条(以後は「魏志倭人伝」)に記述された邪馬台国の概要である。諸説あり、必ずしも当時の日本の状況を正確に伝えているとは限らない。

[編集] 邪馬台国までの道程

魏志倭人伝には朝鮮半島北部のの領土である帯方郡から邪馬台国に至る道程が記されている。

帯方郡から倭国に至るには船で韓国を経て7000余里で倭国の北岸の狗邪韓国に至る。そこから海を1000余里渡り、対馬国に着く。瀚海と呼ばれる海を南に1000余里渡ると一大国(一支国)に至る。また海を1000余里渡ると末盧国に至る。東南を500里陸行すると伊都国に到着する。東南に100里進むと奴国に至る。東へ100里行くと不弥国に至る。南へ水行20日で投馬国に至る。南に水行10日陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る。帯方郡から女王国までは1万2000余里ある。

これを文字どおりに距離を測ると日本列島を飛び越えて太平洋の海の上になってしまうため、邪馬台国の位置や道程の比定を巡って論争が起きている。(後述)位置についての有力なものに畿内説と九州説がある(後述)。道程についても「連続説」と「放射説」がある。(後述

[編集] 邪馬台国の政治

邪馬台国には元々は男王が置かれており国家成立から70~80年を経たが、霊帝光和年間に戦乱が起き、相戦うこと歴年にして共に女子を立てて王と成した。卑弥呼である。この戦乱は中国の史書に書かれたいわゆる「倭国大乱」と考えられている。

卑弥呼は鬼道を祭祀して人心を惑わし、年老いても夫は持たず、弟が国の支配を補佐した。卑弥呼は1000人の侍女に囲われ宮室や楼観で起居し、めぐらされた城や柵、多数の兵士に守られていた。王位に就いて以来人と会うことはなく、一人の男子が飲食の世話や取次ぎをしていた。

卑弥呼に関する「魏志倭人伝」のこの記述から、卑弥呼は呪術を司る巫女シャーマン)のような人物であり、邪馬台国は原始的な呪術国家とする見方がある。一方で、男弟が政治を補佐したという記述もあり、巫女の卑弥呼が神事を司り、実際の政治は男子が行う二元政治とする見方もある(後の推古天皇聖徳太子との関係が例として挙げられる)。女王を戴いてたことから邪馬台国を女系国家と論じる者もいるが、卑弥呼以前は男王が立ち、卑弥呼の死後もまず男王が立っていることから、これは疑わしい。

邪馬台国の長官は伊支馬で、次に弥馬升、その次に弥馬獲支、次に奴佳碑。人口は7万余戸である。

邪馬台国の北方にある国の、対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不彌国、投馬国には、「魏志倭人伝」に国の様子の詳しい記述がある。その他に、斯馬国、百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国(先に詳細が記されている奴国と同一とする説がある)があり、邪馬台国はこれら20数カ国を支配していた。日本列島の全てを支配した訳ではなく領域外の国々もあり、特に南の狗奴国の男王卑弥弓呼と不和で戦争状態にあった。

邪馬台国の北方の諸国には一大率(一支率)という官が置かれて国々を監視している。一大率の役所は伊都国にあり、魏の刺史(大きな行政単位の州の巡察長官)のような役目を果たしている。伊都国は外交の中心地で魏や韓の国々の使節や通訳はここに停泊して文書や贈物の点検を受けて女王に送っている。

租税や賦役の徴収が行われ、国々にはこれらを収める倉がつくられている。国々には市場が開かれ、大倭という官がこれを監督している。

卑弥呼は景初2年(238年)以降、帯方郡を通じて魏に使者を送り、皇帝から親魏倭王に任じられた。正始8年(248年)に帯方郡から塞曹掾史張政が派遣され、狗奴国との和平を仲介してもらっている。魏志倭人伝の記述によれば朝鮮半島の国々とも使者を交換していた。

卑弥呼が死去すると大きな墳墓がつくられ、100人が殉葬された。その後男王が立てられるが人々はこれに服さず内乱となり1000人が死んだ。そのため、卑弥呼の親族の13歳の少女の壱与が王に立てられ国は治まった。先に倭国に派遣された張政は檄文をもって壱与を教え諭しており、壱与もまた魏に使者を送っている。

[編集] 魏・晋との外交

「魏志倭人伝」には帯方郡を通じた邪馬台国と魏との交渉が記録されている。

  • 景初2年(238年)6月に女王は大夫の難升米と次使の都市牛利を帯方郡に派遣して天子に拝謁することを願い出た。帯方太守の劉夏は彼らを都に送り、使者は男の生口奴隷)4人と女の生口6人、それに班布2匹2丈を献じた。皇帝(明帝)はこれを悦び、女王を親魏倭王と為し、金印紫綬を授け、銅鏡100枚を含む莫大な下賜品を与え、難升米を率善中郎将と為し、牛利を率善校尉と為した。
  • 正始元年(240年)に帯方太守弓遵は建中校尉梯儁らを詔書と印綬を持って倭国に派遣して、倭王の位を仮授し、下賜品を与えた。
  • 正始4年(244年)に女王は再び魏に使者として大夫伊聲耆、掖邪狗らを送り、奴隷と布を献上。皇帝(斉王)は掖邪狗らを率善中郎将と為した。
  • 正始6年(246年)、皇帝(斉王)は詔して、帯方郡を通じて難升米に黄幢(黄色い旗さし)を下賜した。
  • 正始8年(248年)、女王は太守王(斤+頁)に載斯烏越を使者として派遣して、狗奴国との戦いを報告。太守は塞曹掾史張政らを倭国に派遣して檄告をもって和解を諭した。
  • 女王位についた壱与は掖邪狗ら20人に張政の帰還を送らせ、掖邪狗らはそのまま都に向かい男女の生口30人と白珠5000孔、青大句珠2枚、異文の雑錦20匹を貢いだ。

また、『日本書紀』の「神功紀」に引用される『晋書』起居註に泰始2年(266年)に倭の女王の使者が朝貢したとの記述があり、魏志のクライマックスである魏書三少帝紀にによれば、この年、東夷が朝貢して、禅譲革命の準備がなされたという記事があるので、この女王は壱与と考えられている。魏に代って成立したの皇帝(武帝)に朝貢したものと考えられる。

[編集] 風俗

魏志倭人伝に当時の倭人の風俗も記述されている。

  • 男子はみな顔や体に入墨している。人々は朱や丹を体に塗っている。
  • 男子は冠をつけず、髪を結って髷をつくっている。女子はざんばら髪。
  • 着物は幅広い布を結び合わせているだけである。
  • 兵器は、木を用いる。
  • 土地は温暖で、冬夏も生野菜を食べている。
  • 人が死ぬと10日あまり、哭泣して、もがり(喪)につき肉を食さない。他の人々は飲酒して歌舞する。埋葬が終わると水に入って体を清める。
  • 倭の者が船で海を渡る時は持衰が選ばれる。持衰は人と接せず、虱は取らず、服は汚れ放題、肉は食べずに船の帰りを待つ。船が無事に帰ってくれば褒美が与えられる。船に災難があれば殺される。
  • 特別なことをするときは骨を焼き、割れ目を見て吉凶を占う。
  • 長命で、百歳や九十、八十歳の者もいる。
  • 女は慎み深く嫉妬しない。
  • 盗みはなく、訴訟も少ない。
  • 法を犯す者は軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにする。
  • 宗族には尊卑の序列があり、上のもののいいつけはよく守られる。

[編集] 邪馬台国のその後

3世紀半ばの壱与の朝貢の記録を最後に、5世紀義熙9年(413年)の倭王讃の朝貢(倭の五王)まで150年近く中国の史書からは倭国に関する記録はなくなる。このため日本の歴史では4世紀は「空白の世紀」と呼ばれた。邪馬台国と後のヤマト王権との関係は諸説ありはっきりしない。

[編集] 邪馬台国に関する論争

邪馬台国があったとされる根拠は、「魏志倭人伝」に残されている(参照→Wikisource)。場所は、「魏志倭人伝」に書かれている方角表記や距離表記をその通りにたどると、日本列島のはるか南方の海中になる。そのため、様々な解釈がなされ、邪馬台国の位置は比定されていない。

[編集] 位置に関する論争

邪馬台国の比定地については、古くは『日本書紀』の編者により邪馬台国と大和朝廷、卑弥呼と神功皇后は同一であるとされ、南北朝時代北畠親房らに同様に主張されてきたが、江戸時代新井白石本居宣長らが書物などに比定地や行程などに対する独自の説を発表した。明治時代に入り論争が始まり、多数の説が提唱されてきたが、現在においても結論が出ていない。

これらは「邪馬台国論争」などとも呼ばれている。邪馬台国の所在地については日本国内どころか世界各地までにもその地を求める論者がいるが、学界の主流は畿内説」九州説」の二説に大きく分かれる。九州説のバリエーションとして邪馬台国が移動したとする「東遷説」もある。もともとは学者レベルの論争であったが、宮崎康平の「まぼろしの邪馬台国」によって邪馬台国論争は日本人一般にまで波及した。

かつて、畿内説は、「魏志倭人伝」の方角表記が誤っていると考える研究者(主に京都大学系)に多く見られ、九州説は、距離表記が誤っていると考える研究者(主に東京大学系)に多く見られた(白鳥庫吉及び内藤湖南を参照)。
また、最近の畿内説は、「魏志倭人伝」の方角表記や距離表記よりも、考古学による知見を主たる根拠にする傾向が強く、考古学者の支持が強い。邪馬台国所在地論争は、この二大説の対立が中心となっている。

畿内説の立場に立てば、3世紀の日本には少なくとも大和から大陸に達する交通路を確保できた勢力が存在したという事になり、大和を中心とした西日本全域に大きな影響力を持つ勢力、即ち大和王権がこの時期既に成立していた事になる。
一方九州説の立場を取ると邪馬台国は九州の地方王権に過ぎないという事になり、3世紀に大和王権がすでにあったか疑わしくなる。邪馬台国の位置を巡る論争は日本国家の成立を解き明かす上でも重要な位置を占めているのである。

ただし、近年の考古学的成果によって、大和地方での初期国家の成立が邪馬台国と同時代の2世紀頃までさかのぼるとの説が有力になってきている。これを踏まえ、現在ではプレ大和王権と邪馬台国と直接結びつくのか(あるいは初期の大和王権と邪馬台国が同一のものなのか)が論争の焦点となっているといえよう。


[編集] 道程に関する論争

帯方郡から邪馬台国までの道程にも「連続説」と、榎一雄の「放射説」がある。

連続説(連続読み)とは、魏志倭人伝に記述されている方角や距離に従って比定していくことであり、帯方郡を出発し、狗邪韓国・対馬国・一支国を通過して北部九州に上陸し、末廬国・伊都国・奴国・不弥国・投馬国・邪馬台国までを順に読んでいく読み方。放射説(放射読み)は、伊都国までは連続読みと同じであるが、その先は、伊都国から奴国、伊都国から不弥国、伊都国から投馬国、伊都国から邪馬台国というふうに伊都国を起点にする読み方である。

邪馬台国ブームを巻き起こした宮崎は道程に関しても「古代の海岸線は現代とは異なることを想起しなければならない」と指摘、学会に一石を投じた。しかし、古代の海岸線を元に考察しても、大勢は変わらないと考えられる。

[編集] 邪馬台国の音

「邪馬台国」の正確な読みは不明である。「やまたいこく」と言われるが、とりあえずの日本語読みである。

『三国志(魏志倭人伝)』のすべての版本には「邪馬壹國」または「邪馬一國」(日本語読みはともに「やまいちこく」)と書かれている。『三国志』よりも後の5世紀に書かれた『後漢書』倭伝では「邪馬臺国」(日本語読み「やまたいこく」)、7世紀の『梁書』倭伝では「祁馬臺国」、7世紀の『隋書』倭国伝ではわざわざ「魏志にいう邪馬臺(都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也)」となっているが、どちらが正しいかは不明である(日本漢字制限後の当用漢字常用漢字教育漢字では「壹」は壱か一、「臺」は台と書く)。これについては、「壹」を「臺」の誤記とする説のほか、「壹與遣,倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送,政等還。因詣,」から、混同を避けるために書き分けたとする説や、魏の皇帝の住む所である「臺」の文字を、東の蛮人の国名には用いなかったとする説(『三国志』には「臺獄」や、死体を積み上げた塚を「臺」としている例があることから、これを否定する説もある)などがある。

「邪馬壹國」と「邪馬臺国」のいずれも発音の近さにより「やまと」の宛字ではないかとする説がある(古代中国語音の研究が進んだことにより、邪馬臺は「jamatö」に近い発音となると考えられている)。しかし、「邪馬壹國」は「やまいこく」であり、「やまと」とは別の国であるとする説も在野に根強く残っている。古い日本語では同一語根内に母音が連続しないことから、やまい(ya・ma・i)は不自然とする意見がある。

一番よく使われている「やまたいこく」という読み方は、二種の異なった体系の漢音呉音を混用しているという。例えば呉音ではヤマダイ又はヤメダイ、漢音ではヤバタイとなる。

[編集] 畿内説

畿内説には、琵琶湖湖畔、難波などの説があるが、その中でも、奈良県桜井市三輪山近くの纏向遺跡(まきむくいせき)を邪馬台国の都に比定する説が、下記の理由により有力とされる。

  1. 年輪年代学の成果により、画文帯神獣鏡などの記年鏡の年代も一致したことから、邪馬台国の時代にすでに遺跡の築造が始まっていたとみられ、最盛期が弥生時代終末期~古墳時代であり、邪馬台国の時代と合致すること。
  2. 吉備、阿讃(東四国)の勢力の技術によると見られる初期の前方後円墳が大和を中心に分布しており、時代が下るにつれて全国に広がっていること(卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳は、その代表例)。
  3. 北九州から南関東にいたる全国各地の土器が出土し、当時の交流センター的な役割を果たしたことがうかがえること。
  4. 広大な面積をもつ当時としては大規模な集落跡であること。
  5. 卑弥呼の遣使にちなんだと見られる景初三年、正始元年銘のものを含む三角縁神獣鏡が、畿内を中心に分布し、かつこれらがかつては4世紀以降の古墳にのみ見られ時代が合わないとされていたのが、年輪年代学等の結果により、3世紀に繰り上げられ、時代が合致すること(九州説では三角縁神獣鏡を後世の偽作と見ている)。
  6. 弥生時代から古墳時代にかけておよそ4000枚の鏡が出土するが、そのうち紀年鏡13枚のうち12枚は235年~244年の間に収まって銘されており、かつ畿内を中心に分布していること。この時期の畿内王権が中国の年号と接しうる特別の時代であったことを物語る。
  7. 日本書紀神功紀では、魏志と『後漢書』の倭国の女王を直接神功皇后に結び付けており、中国の史書においても、『晋書』帝紀では邪馬台国を「東倭」と表現し、『隋書』倭国伝では、聖徳太子の都する場所ヤマトを「魏志に謂うところの邪馬台なるものなり」と何の疑問もなく同一視していること。現行の魏志がすべて宋時代の刊本を元としているのに対し、それ以前の写本の中には、南を東と正しく記載したものがあった可能性もある。

逆に、畿内説の弱点として上げられるのは次の点である。

  1. 倭国の産物とされるもののうち、鉄や絹は主に北九州から出土する(しかし、邪馬台国が北九州をすでに勢力下においていたとすれば、絹や鉄の記述があるのは不思議ではない。また青玉をヒスイのことであるとすれば、これは新潟県糸魚川にしか産出せず、畿内説で考えたほうが無理は少ないともいえる。鉄は朝鮮半島を大産地とし、4世紀以降も主に北九州で出土するので、東遷説については根拠とならない。また、当時の製鉄技術では、鉄や鉄を用いる鉄文明が青銅文明を圧倒できたと考えるのは難しい)。
  2. 「魏志倭人伝」に記述された民俗・風俗がかなり南方系の印象を与えていること(しかし、当時の畿内が南方系の習俗を持っていなかったとは断定できないし、北九州の習俗のほうがより合致するという保証もない)。
  3. 「魏志倭人伝」を読む限り、邪馬台国は伊都国や奴国といった北九州の国より南にあったように読めること(これに対して、北九州の国々の行程を表記するにあたっても、すでに60度ほど南にずれているからもともと正確ではない、あるいは、倭国が会稽東冶の東海上に南に伸びて存在するという誤った地理観に影響されたものであるという反論がある)。

かつて、畿内説の根拠とされていたが、今は重要視されていないものは以下のものである。

  1. 三角縁神獣鏡を卑弥呼が魏皇帝から賜った100枚の鏡であるとする説。しかし、既に見つかったものだけでも400枚以上になること、中国社会科学院考古学研究所長である王仲殊が「全て漢鏡ではない」と発表していることなどから、オリジナルが帯方郡を介して下されたものである可能性は残しつつも、否定的に見られている(現在では、畿内でのみ出土している斜縁二神二獣鏡のほか、九州を主に出土するが、畿内でも多く見つかっている内行花文鏡や方格規矩鏡などがそうではないかと見られることが多い)。

[編集] 九州説

九州説は、福岡県の大宰府天満宮、大分県の宇佐神宮、宮崎県の西都原古墳群など、九州各地に、それぞれ近辺を都とする諸説が乱立している。

  • 九州王朝説を唱えた古田武彦が、他の「東夷伝」の書き方との比較から「正確を期するため同じ行程を距離と掛かる日数とで二重に標記している」とする読み方を提唱している。この方法だと、従来は解決困難とされていた距離も方角も矛盾なく説明できるとしている。
    同じように、他の九州説でも女王國までの12,000里の内、伊都国までで既に10,500里使っていることから、残り1,500里(末盧國から伊都國まで500里の距離の3倍)では邪馬台国の位置は九州地方を出ることはないとしている(しかし、『三国志』を含む「漢書」の基本的な1里=約400メートルとは大きく異なる数値を、そのまま等倍化することに疑問も持たれる。また12,000里は三宅米吉は、里程のわかっている不弥国までの距離であるとし、山田孝雄は、これは一部不明のところのある現実の距離をあわせたものではなく、単に狗邪韓国までの7000里と倭地の周旋5000里を合算したものに過ぎないとしている。古田説の、水行十日陸行一月を帯方郡からの全体の行程であるとする読み方は、放射線式読み方にくらべても著しく不自然であり、奇想天外といえる)。
  • 東遷説は邪馬台国が九州にあったとする九州説の1つで、他の九州説が邪馬台国と大和朝廷は無関係、あるいは対立していた等とするのに対して、九州にあった邪馬台国が後に畿内へ移動して大和朝廷になったとする。そして記紀に記された神武東征はそれを神話化して伝えたものであるとする。(日本神話の大筋を事実の反映と見る立場であるが、これに対し、『隋書』倭国伝の記述から、聖徳太子の頃の朝廷の伝承がすでに現存する記紀神話とは相当異なっている可能性があるとして、神話を根拠とすることは受け入れがたいとする意見もある)。
  • 九州王朝説の立場に立てば、『隋書』に「其國境東西五月行,南北三月行,各至於海。其地勢東高西下。都於邪靡堆,則魏志所謂邪馬臺者也。」とあり、邪馬台国は九州の地に7世紀まで存続していたと考えられるが、8世紀初めに編纂された「日本書記」「古事記」には邪馬台国についての記述も卑弥呼についての記述も無いので、邪馬台国とは大和朝廷に滅ぼされた側である九州王朝が充てられるとする。
  • 邪馬台国と対立した狗奴国の官に「狗古知卑狗」があるが、通常北九州説では狗奴国を熊本あたりの勢力と考え、これを「菊池彦」の音訳と考える。(畿内説では狗奴国を毛野または桑名加納などの東海地方の勢力と考えるにしても、官名に対し特別な解釈を与えないようである。畿内説の内藤湖南は、かれが邪馬台国の時代に近いと考える景行天皇の時代に、朝廷と熊襲が激しく衝突したことから、狗奴国を熊襲、「狗古知卑狗」を菊池彦に当てている。そうすると、ここでは方角が正しいことになるが、彼は、狗奴国に関する記述は旅程記事とは別系統に属するから、問題はないという。『魏略』には「拘右智卑狗」とあるが、古代の日本語は語中に母音が来ることはないから、これは誤字と見てよい。吉備説・出雲説・東四国説では狗奴国を河内の勢力と見ている)。
  • 魏志倭人伝中の『有棺無槨』の記述に当てはまるのは、棺が多数出土する北九州であり、魏志倭人伝の記述は九州地方を出ないとする(当時の北九州以外での一般的な埋葬方法はまだ良く分かっていない。木棺であれば、ほとんどが土中で腐っていると考えられる)。

逆に、九州説の弱点として上げられるのは次の点である。

  1. 奴国2万余戸、投馬国5万余戸、邪馬台国7万余戸、更に狗奴国といった規模の集落が九州内に記述通りの順番に収まるとは考えにくいこと(大和説の「弱点」の項でも同じことが言えるが、人口問題をはじめ魏志倭人伝のどの記事をどの程度信じるかについては、水掛け論になりやすい点があるのはいなめない)。
  2. 中国地方や近畿地方に、九州をはるかに上回る規模の古墳や集落が存在していること。
  3. 古墳時代の開始時期を、4世紀以降とする旧説に拠っているが、年輪年代学放射性炭素年代測定などの結果がでるにつれ、ほとんどの考古学者の支持を得られなくなっていること。
  4. 魏から女王たちに贈られた品々や位が、西の大月氏国に匹敵する最恵国への待遇であり、小領主へ贈られたものとは考えにくいこと(九州説ではに圧力をかけるための厚遇であったとする)。
  5. 3世紀の紀年鏡をいかに考えるべきかという点。はやくから薮田嘉一郎や森浩一は、古墳時代は4世紀から始まるとする当時の一般的な理解にしたがって、「三角縁神獣鏡は古墳ばかりから出土しており、邪馬台国の時代である弥生時代の墳墓からは1枚も出土しない。よって三角縁神獣鏡は邪馬台国の時代のものではなく、後のヤマト王権が邪馬台国との関係を顕示するために偽作したのものだ」とする見解を表明し、その後の九州論者はほとんどこのような説明に追随している。しかし、このような説には以下のような点が問題として挙げられる。
    1. 第1に、現在の知見からは邪馬台国時代にすでに古墳築造が始まっていると見るべきであり、偽作と考えるべき前提が成り立たない。
    2. 第2に、紀年鏡には三角縁神獣鏡以外のものも含まれる。
    3. 第3に、の年号である「青龍3年」、の年号である「赤烏元年」「赤烏7年」などの紀年鏡も見つかっており、単に邪馬台国にちなんだ偽作というのでは説明がつかないなどの疑問があり、学界では受け入れるところとなっていない。
    4. また三角縁神獣鏡を、の鏡またはの工人の作であり、の地が西晋に征服された280年以降のものとする説もあるが、様式論からはかならずしもの作であるといいきれるものでない。少なくとも銘文にある徐州を呉の領域であるなどとはいえない(むしろ一般的にはおおむねの領域と考えられる)。これらを280年以降の製造と考えると、紀年鏡に記される年号が何ゆえに三国時代235年から244年に集中しているのか、整合的な理解が難しい。これらにより、いまだ学界の大多数を説得できていない。
    5. また、九州説論者の見解では、いわゆる「卑弥呼の鏡」は後漢鏡であるとするが、弥生時代の北九州遺跡から集中して出土する後漢鏡は、中国での文字資料を伴う発掘状況により、主として1世紀に編年され、卑弥呼の時代には届かないのも難点のひとつである。2世紀のものは量も少ない上、畿内でもかなり出土しており、北九州の優位性は伺えない。一般的に弥生時代の遺跡では、2世紀にはいると北九州の優位性は失われるため、多くの考古学者が九州説に組し得ないひとつの理由となっている。
  6. 旅程記事について、通常の連続読みでは九州内に収まりきらないので、放射線式の読み方に従うにしても、次のような難点がある。
    1. 放射線式読み方が正当化されるには、「到」「至」の使い分けがされているときは、そのように読むべきであるという当時の中国語の決まりがなければならないが、魏志倭人伝の内容をほぼ引き写している梁書では、そのような使い分けはされておらず、使い分けに特別な意味があったとは思えない。
    2. 仮に放射線式の読み方を受け入れると、邪馬台国は伊都国の南水行十日陸行一月の行程にあるが、これを九州を大回りして水行し南下する意味に捉えたとしても、邪馬台国の位置は中南部九州内陸に求めることとなり、後の熊襲の地に邪馬台国があることになる。そしてさらにその南に狗奴国が存在することになる。いずれにせよ比較的支持者の多い北九州内には到底収めることはできない。

かつて、九州説の根拠とされていたが、今は重要視されていないものは以下のものである。

  1. 近畿地方から東海地方にかけて広まっていた、銅鐸による祭祀を行っていた銅鐸文明を、「魏志倭人伝」に記載された道具であり、『日本書紀』にも著される(剣)、鏡、勾玉の、いわゆる三種の神器を祭祀に用いる「銅矛文明」が滅ぼしたとされる説。
    しかし、発掘される遺跡の増加に伴い、「銅鐸文化圏」の地域で銅矛や銅剣が、吉野ヶ里遺跡のような「銅矛文化圏」内で銅鐸や銅鐸の鋳型が出土するといったことが増えたことから、今では否定的に見られている。
    また、「倭人伝」の記載は、祭祀について触れられたものではないこと、6世紀以前は3種ではなく、多種多様な祭器が土地それぞれで使用されていたことも九州説では重要視されない理由として挙げられる。

[編集] それ以外の説

参考までに、吉備出雲四国尾張千葉県甲信岩手県などの、日本各地を邪馬台国の候補地とする説がある。他に琉球説、ジャワ説などもある。畿内と九州の二ケ所に都があったとする説もある。

それぞれの説の比定地は、「邪馬台国比定地一覧」にまとめられている。


[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 題材創作

[編集] 邪馬台国論争関連書

  • 佐伯有清 『邪馬台国論争』 岩波新書 岩波書店 ISBN 4004309905

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