アブジャド
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アブジャド (abjad。時に子音文字または単子音文字 consonantary とも) とは、音素文字に属する文字体系のひとつで、子音の音素ごとにある記号を持つもののことである。「真正の」アブジャドには母音を表す記号がない。現代使われているアブジャドのほとんどは「純粋でない」アブジャドで、母音の記号も若干ある。こういったものにはアラビア文字、ヘブライ文字、アラム文字、アヴェスタ文字などがある。純粋なアブジャドの例としては、古代のフェニキア文字がある。
アブジャドは、子音のみを基本的な書記素で表し、母音はそうしないという点で、アルファベットと異なる。アブジャドはまた、母音の音を音韻論的に暗示し、表記体系にはニクドやハラカットのような母音マークがあるものの、必ず書かなければならないというわけではなく、またマークの形状が本格的な (あるいは可読な) 文字の形状ではないという点で、アブギダとも異なる。アブギダでは、母音 (随伴母音以外) のマークをダイアクリティカルマーク、字のわずかな変形、独立した書記素などによって必ず付加する。特別な記号を使って随伴母音を脱落させることで、子音だけを明示できるアブギダもある。音節文字では、書記素で完全な音節を表示する (単独の母音音でも、母音音と (一または複数の) 子音音との結合でもそうである)。
アブジャドおよびアブギダという用語は en:Peter T. Daniels の創案になるものである[1]。
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[編集] 語源
この文字体系の名称は、アラビア文字をかつてのアブジャディ順の最初の4文字でできる「語」からとられている。特定の意味のある語ではない。アブジャドという語は、遠くフェニキア語やウガリット語に起源を持つ[要出典]との指摘がなされてきた。
[編集] 起源

現在知られているアブジャドはすべてセム文字体系に属し、原シナイ文字 (紀元前1500年ころ) から派生したと考えられている。これはエジプトヒエログリフから派生したと考えられている。アブジャドはその発達の際に、それまでのヒエログリフに対し著しい簡略化を行った。母音を捨てたことによって曖昧さは増大したが、それとひきかえに、学習すべき字形の数を約 80% 削減した。 フェニキア文字は、広く使用されるようになった最初のアブジャドである。同じころ普及していた楔形文字やエジプトヒエログリフなどの文字体系とは異なり、ファニキア文字には20あまりの記号しかない。そのため庶民が文字を学びやすくなり、この文字体系はフェニキアの海洋貿易商人によって次第にひろまった。フェニキア文字のあとには、いくつもの新たな文字体系が取って代わった。ギリシア文字は普及した最初のアルファベットであるし、アラム文字は広く使用されたアブジャドである。ギリシア文字から、現代西洋のアルファベットが発展した。ラテン文字やキリル文字などである。いっぽうアラム文字は、現代の中東およびアジアの数々のアブジャドとアブギダの祖となった。
アラム系文字の伝播は中東を経てインドにまで達し、ブラフミー文字となった。これは現代のインドと東南アジアのほとんどの文字体系の祖となるアブギダである。中東では、アラム文字のあとにヘブライ文字やナバテア文字 (アブジャド) が取って代わった。これらはアラム文字と似た形の字母を多く保持している。シリア文字はアラム文字の筆記形であった。アラビア文字はアラム系文字に間接的に影響を与えていることがわかっているが、親の文字体系に仮定されるナバテア文字とシリア文字が、どの程度影響を与えたのかについては議論がある。
[編集] 数との関連づけ
アブジャドには、個々の字が数をも表すという原則をもつものがよくある。したがって、どんな語でも数字に翻訳できることになる。この原則は、ヘブライ語、アラビア語、ペルシア語、その他に見られる。たとえば bahá' (「栄光」) では 2+5+1+1 = 9 となるので、九は「bahá' の数」としても知られる。二もこれと同等のものとして扱われることがある。同様に、ペルシア語のハドリアノポリス (エディルネ) の都市名はペルシア語で「神秘」を意味する語と同じ数であるため、ハドリアノポリスを「神秘の都」と称することがあった (こうした言語では知的な遊戯のようなものとなっている)。ギリシア語やラテン語も、字と数の同値性が見られる言語である (ラテン語では一部の字のみ。ギリシア語ではすべての字)。
[編集] 純粋でないアブジャド
「純粋でない」アブジャド (アラビア文字やヘブライ文字など) には、母音の文字 (読みの母。en:mater lectionis。he:אם קריאה) がいくつかあったり、必須でない母音ダイアクリティカルマークがあったり、両方ともあったりする。しかし、アブジャドという用語の提唱者である en:Peter T. Daniels は、この用語は母音を示すものを完全に欠いている文字体系にのみ用いるべきだと主張し、アラビア文字、ヘブライ文字、シリア文字をアブジャドから除外していた。
純粋でないアブジャドは、音韻変化によってかつて子音や二重母音であったものが母音に変化した際に発達した。後の世代では、その字がもともと子音を表すものであったことは知らずに正書法を受け継いだから、自分たちの話す言語での母音を表すものと考えた。そこでその字を、子音が置かれ得ない箇所でも母音として使うようになった。
[編集] 母音の追加
アブジャドの末裔である文字体系の多くは、母音記号を拡張してきており、完全なアルファベットに近づいている。これは主に、文字体系がセム系以外の言語に適応する際に起こったことで、最も有名な例は、フェニキアのアブジャドからギリシア文字が生まれたことであろう。ギリシア語では喉子音 (א, ה, ח, ע) や二重調音子音 (צ, ק) の字は必要なかった。そこであるものは捨てられ、あるものは母音に転用された。
また、小さな点や鈎を子音の字につけることで母音符号とし、アブギダを作り出した例もある。アムハラ語の文字体系などである (ゲエズアルファベットを使って書かれ、もともとアブジャドだったが、紀元前5世紀から紀元後5世紀のある時期に母音化した)。
[編集] アブジャドに似た考えかた
セム系ではないが音素文字で表記する言語の多く、たとえば英語では、母音を書かなくても読むのがさほど困難ではない (Many non-Semitic languages such as English can be written without vowels and read with little difficulty)。たとえば、いま書いた文は次のようにも書けそうだ: Mn nn-Smtc lnggs sch s nglsh cn b wrttn wtht vwls nd rd wth lttl dffclty。このことを、不穏当な表現を「半自主規制」するのに応用できる。この手法は en:disemvoweling として知られる。
1337 表記には、母音を落とす用法がある。短い語に多い。
[編集] 注
- ^ Daniels, Peter T., et al. eds. (1996).The World's Writing Systems, p.4, Oxford.
[編集] 他の文字体系
[編集] 参考資料
- Wright, W. (1971).A Grammar of the Arabic Language, 3rd ed., v. 1, p. 28, Cambridge University Press.