アルメニア教会
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アルメニア使徒教会(Armenian Apostolic Church)はアルメニア、ならびに世界各地にあるアルメニア人コミュニティで信仰されているキリスト教の一派。東方典礼カトリック教会系のアルメニア・カトリック教会 (Armenian Catholic Church) とは別である。約50万人の信者を擁する。使徒教会の名は、伝承に十二使徒がアルメニアにキリスト教を伝えたとあることに由来する。
いわゆる単性論を取る(後述)。ニカイア・コンスタンティノポリス信条を告白するが、カルケドン信条を告白しない。カルケドン公会議の後、506年に正統教義信仰を奉ずる他の教会から分離独立した。
アルメニア教会の長はカトリコスと呼ばれる。現在では、他教会の総主教に相当する。現在の全アルメニアのカトリコスはガレギン2世。エレバンの西郊のエチミアジンにカトリコス座がある。次席のカトリコスとしてキリキアのカトリコスアラム1世がいる。
教義を同じくするコプト正教会・シリア正教会などとは完全共同陪餐。
教会暦にはユリウス暦を採用する。
[編集] 歴史
アルメニアにキリスト教が定着するのは早く、301年にはアルメニア王国がキリスト教を国教と定めた。キリスト教の公認は世界で始めてのことである。伝承では使徒タダイとバルトロマイが宣教したとされるが、史料によって確認できるキリスト教徒の確認は、2世紀に現れる。3世紀末から4世紀前半に活動した啓蒙者グレゴリオスはアルメニア王ティリダテス3世に洗礼を授け、ヴァガルシャパト(現在のエチミアジン)に教会を建てた。これが現在のアルメニア教会カトリコス座となる。
5世紀にはメスロップによりアルメニア語のためにアルファベットが作られ、新約聖書と箴言の翻訳が行われた。またギリシア語とシリア語が混在していた典礼用語が整理され、ビザンティン典礼の影響下に典礼が整備された。教会組織が整備され、教会の長にカトリコスの名称が使われるようになったのもこの時代である(元来は世俗における「高位の財政事務官」の称号)。しかしこの時代、アルメニアは衰微し、東ローマ帝国とササン朝ペルシアに二次に渡り分割され、428年に滅んだ。単性論が異端とされた451年カルケドン公会議の頃は、アルメニアではペルシア側への大規模な叛乱が起き、ために公会議に代表を送る余力をもたなかった。しかしこの叛乱で、アルメニア人キリスト教徒は宗教的自由をペルシア側に認めさせることに成功した。
11世紀末に、アルメニアはセルジューク朝支配下に入り、このとき東アルメニアから小アジアのキリキアに多くのアルメニア人が移住した。このことは一方で、アルメニア教会の信者の分布が広がることにもつながった。戦乱を避け、アルメニア教会のカトリコス座は1058年、アルメニアからキリキアへ移った。アルメニア人のディアスポラであるキリキア・アルメニア王国が成立し、オスマン帝国に滅ぼされる1375年まで続いた。1441年にエチミアジンが回復されたのちも、キリキアのカトリコス座は残った。
1500年以降、アルメニアがオスマン帝国とイランのサファヴィー朝に分割されていくと、それぞれの地域の教会は、自然、キリキアとエチミアジンの指導下に属することになった。キリキアは独立を主張するようになるが、エチミアジンはこの主張を現在も認めていない。サファヴィー朝に支配された部分は、後に帝政ロシア領に編入されていった。
イスラム教徒支配のもとで、キリスト教徒は庇護民とされ、一定の自由を享受することが出来た。しかし18世紀以降、西ヨーロッパ諸国が中東に進出すると、同じキリスト教徒とみなされたアルメニア使徒教会信者は、突発的な迫害にさらされることが多くなった。もっとも大きな迫害は、アルメニア人虐殺問題として知られるオスマントルコ領内のもので、特に1915年から17年のものがアルメニア人共同体に大きな打撃を与えた。
現在信者は、アルメニアのほか、トルコ・イラン・イラク・シリア・レバノン・パレスチナに分布する。エルサレムなどにはアルメニア人地区があり、古式を守っている。
[編集] 教義と典礼
カルケドン信条を否定することから、一般に単性論とされるが、アルメニア教会自体は、これを不当としている。カルケドン公会議で否定されたエウテュケスの教説(本来の単性論)を、アルメニア教会もまた異端として否定しているからである。アルメニア教会の主張では、カルケドン信条を否定するのは、文章上の定式化に難点があるからであり、そのキリスト理解はむしろエルサレムのキュリロスの「ひとつの位格、ふたつの性格」に沿ったものであるとする。ただし二つの性格は不可分に一体となっているというのがその主張である。これを合性説(en:Miaphysitis)という(伝統的には合性説は単性論の変種として解釈されてきた)。
20世紀以降、それまで「単性論」を異端としてきたカトリックや東方正教会では、単性論教会との対話が進んでおり、双方の違いは決定的なものであるというより、表現の上での問題であるとするこのような主張が真剣に考慮されるようになってきている。
典礼は、だいたいにおいてシリア正教会やコプト正教会と類似する。典礼言語にはアルメニア語を用いる。典礼は、荘重で保守的である。イコンの使用や聖歌に伴奏楽器を用いないなど、形式的には東方正教会との類似点を有する。
[編集] 外部リンク
- グラント R. ポゴシャン「アルメニアのクリスマス」(2007年2月10日アクセス)
- 横田徹「アルメニア教会研究室 」(2007年2月10日アクセス)