アンゴラ解放人民運動
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アンゴラ解放人民運動・労働党(アンゴラかいほうじんみんうんどう・ろうどうとう)はアンゴラの政党。
[編集] 歴史
1956年に結成され、1960年代から党首アゴスティニョ・ネトの指導の下にゲリラ闘争を開始。1975年に独立を勝ち取ったが、直後に反共派政党のアンゴラ民族解放戦線(FNLA、ホールデン・ロベルト指揮)、アンゴラ全面独立連合(UNITA、ジョネス・サビンビ指揮)が蜂起し、内戦となった。MPLAはソビエト連邦とキューバの、FNLAはザイール(現コンゴ民主共和国)、UNITAはアメリカ合衆国と南アフリカ共和国およびソ連と対立する中華人民共和国の支援を受けた。
FNLAは早期に降伏したが、UNITAはその後も戦い続け、一時首都ルアンダに迫ったが、キューバが義勇兵を派遣して反撃し、1976年1月にはUNITAが臨時政府を置いていたフアンボ市を陥落させた。1979年ネトは死去し、ジョゼ・エドゥアルド・ドスサントスが後を継いだ。
1983年、MPLAは党名に労働党(Partido do Trabalho)を付け加えた。
2002年、MPLAはUNITAと和平協定を締結し、内戦は終わった。
独立以来、党の柱である社会主義を放棄したり、また複数政党制を導入しながらも、一貫して政権の座にある。現在は社会主義インターナショナルに加盟している。
党首に相当する議長はジョゼ・エドゥアルド・ドスサントス。