アンソニー・レイド
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アンソニー・レイド(Anthony Reid、1957年5月17日-)はイギリス生まれのレーシングドライバー。
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[編集] プロフィール
[編集] デビュー
1957年にイギリス、スコットランドのグラスゴーで生まれる。イギリスにおける初級フォーミュラであるフォーミュラ・フォードを皮切りにキャリアをスタートし好成績を残す。その後1983年のイギリスF3選手権ではアイルトン・セナらと上位を争うなど頭角を現す。
[編集] 低迷期
その後は、1988年のル・マン24時間レースで日本のチームのポルシェ962をドライブし3位に入賞するなど活躍したものの、フォーミュラカーでの活躍は見られず、その後1990年から1991年にかけてはドニントンパーク・サーキットで行われるジム・ラッセル・レーシングスクールの講師を片手間で行うなど第一線の活躍からは離れてしまう。なお、この時の生徒には後にF1ドライバーとしてデビューするヤン・マグヌッセンらがいた。
[編集] 全日本F3選手権チャンピオン獲得
その後、ル・マン24時間レースにおける活躍を記憶していた日本のモータースポーツ関係者からの招きで1991年のシーズン途中に来日し、全日本F3選手権でチーム東名のラルト・RT35無限をドライブ。優勝を含む上位争いに食い込むなど頭角を現す。翌1992年には、その勢いを保ったままジャック・ヴィルヌーヴや高木虎之介ら、その後F1などのトップフォーミュラで活躍したドライバーを抑え、全日本F3選手権のシリーズチャンピオンを獲得した。
翌1993年は日本のトップフォーミュラである全日本F3000選手権と全日本F3選手権、全日本ツーリングカー選手権など複数の国内トップカテゴリーで戦うものの、マシンの戦闘力が劣ることからいずれのカテゴリーでもシリーズチャンピオンを獲得することはできなかった。
しかし、確実に上位に食い込む巧みなドライビングが高く評価され、以降1996年までの間は、全日本GT選手権(JGTC)や全日本ツーリングカー選手権(JTCC)などの全日本選手権格式のレースにおいて数回の優勝を勝ち取り、チャンピオン争いにも加わるなど、安定した好成績を収めていた。
[編集] 英国ツーリングカー選手権(BTCC)での活躍
日本での好実績が高く評価され、1996年より英国ツーリングカー選手権(BTCC)において日産チームのワークスドライバーに抜擢された。翌1998年までの3年間に数回の優勝を含む好成績を挙げ、1998年はドライバーズランキング2位を獲得した。1999年にはフォードのワークスチームに移籍、2000年にチームを離れるまで、フォード・モンデオをドライブした。
2001年から2004年にかけては、トップチームの1つであるウェストサリー・レーシングでMGZSをドライブ。優勝はするものの戦闘力不足からチャンピオン争いには絡めず、その上同チームが資金難のため2005年をもって撤退してしまう不運に見舞われた。
なお、2005年以降もル・マン24時間レース等にドライバーとして参戦を行っている。