イサベル・ペロン
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イサベル・マルチネス・デ・ペロン(Isabel Martínez de Perón,1931年2月4日 - )は、アルゼンチンの政治家、大統領(在任1974年-1976年)。独裁者フアン・ペロン大統領の3番目の夫人。
[編集] 来歴
イサベルはスペインラ・リオハ州で生まれ、ナイトクラブの歌手をしていたが、パナマで亡命していたペロンと知り合う。二人は1961年に結婚してスペインで暮らしていたが、ペロン派の復権により夫婦でアルゼンチンに向かった。
1973年に大統領選挙に当選したペロンは、副大統領にイザベルを指名するが、帰国1年で病死したため、イザベルは世界初の女性大統領として就任した。イザベル政権は2年続くが、既にペロン党自体が分裂状態にあり、石油ショックによって300%を超えるインフレに見舞われ、経済危機に立たされる。左翼テロと政治的混乱によって統治能力を失ったイザベル政権に対して、1976年3月24日、ホルヘ・ラファエル・ビデラ将軍がクーデターを起こして権力を奪った。逮捕されたイザベルは横領罪で5年間収監された。釈放されるとスペインに帰国して余生を過ごしていた。
しかしアルゼンチン連邦当局は、クーデターの1月前に活動家エクトル・ファガッティの身柄を拘束してその失踪に関与した容疑で、2007年1月11日にイサベルに対する国際逮捕状を発行した。これを受けてスペイン警察当局によって翌日、マドリード西部の自宅で逮捕された。彼女は、腰の骨折で入院していた。取り調べ後、高齢のため15日おきに出頭することを条件に保釈された。今後、アルゼンチンへの引き渡しの可否をめぐる審理が行われる見通しである。
[編集] 外部リンク
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カテゴリ: アルゼンチンの政治家 | 1931年生