イライアス・コーリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イライアス・コーリー(Elias James Corey, 1928年7月12日-)はアメリカの有機化学者である。1990年、「有機合成理論および方法論の開発」、特に逆合成解析[1][2]における功績で、ノーベル化学賞を受賞した。現在存命の最も偉大な化学者の1人であり、多くの人々の尊敬を集めている。コーリーは数々の合成試薬や方法論を開発し、有機合成の分野の発展に大きく寄与した。
マサチューセッツ工科大学において1948年に学士号、1951年に博士号を取得した後、すぐにイリノイ大学の研究員となった。1959年にハーバード大学に移り、現在は有機合成講座の名誉教授になっている。また2004年、アメリカ化学会で最も名誉あるプリーストリー賞 (Priestley Medal) を受賞した。
世界各国から留学生を受け入れ、その多くが現在有機化学界を牽引する研究者として活躍している。日本人化学者にもコーリーの薫陶を受けた者は多く、この面での功績も計り知れない。野依良治は2001年のノーベル賞受賞記念講演において、「コーリーがいなければ現代の有機化学は存在しなかっただろう」と彼を賞賛している。
目次 |
[編集] 主な業績
[編集] 試薬
いくつかの新規な合成試薬を開発している。
- クロロクロム酸ピリジニウム (pyridinium chlorochromate, PCC): アルコールのアルデヒドへの酸化に広く使われる[3]。
- t-ブチルジメチルシリルエーテル (t-Butyldimethylsilyl ether, TBDMS): 一般的なアルコールの保護基[4]。
[編集] 反応
コーリーの研究室で開発された反応は、現代の有機化学系の研究室では馴染み深いものになっている。いくつもの反応が彼の名を冠している。
- コーリー・バクシ・柴田還元 (Corey-Bakshi-Shibata, CBS reduction): ケトンの不斉還元。
- コーリー・フックス反応 (Corey-Fuchs reaction)。
- コーリー・キム酸化 (Corey-Kim oxidation)。
- コーリー・ウィンターオレフィン合成 (Corey-Winter olefin syntheis)。
- コーリー・チャイコフスキー反応(硫黄イリドを用いたケトンからエポキシドへの変換)
- コーリー・ハウス・ポスナー・ホワイトサイド反応 (Corey-House-Posner-Whitesides reaction)。
[編集] 全合成
コーリーの研究グループは数多くの天然物全合成を完成させている。1969年のプロスタグランジン類の全合成はまさに芸術的である[5][6]。
他に有名なものを以下に示す。
- ロンギフォレン (Longifolene)[7][8]
- ラクタシスチン (Lactacystin)[9]
- ミロエストロール (Miroestrol)[10]
- エクテナサイジン743 (Ecteinascidin 743)[11]
2006年には抗インフルエンザ薬のタミフルの短工程での全合成を発表し、「世界のための研究であるから」としてあえて特許を取得しなかったことで話題を呼んだ。
[編集] 大学院生の死
コーリーは化学界において、悪い面でも定評がある。1人の大学院生が、そのような状況に追い込んだ指導教官(コーリー)を非難しながら自殺したのである。彼の研究室で第2の自殺者も出たが、その学生はハーバードに来てまだ1週間しかたっていなかったにもかかわらず、コーリーのために働くのが耐えられなくなったのである。
そのジェイソン・アルトム (Jason Altom) という名のハーバード大学博士課程の学生は、1998年、青酸カリを飲んで自殺した。彼は遺書の中で、自らの命を絶つ理由の1つに「研究指導教官の罵倒」を挙げていた。アルトムのテーマは非常に複雑な天然物の合成で、その化合物の合成をやり遂げることに、研究生活が始まる前から非常に重いプレッシャーを感じていた。
アルトムの自殺は、博士課程の学生に与えられるプレッシャー、大学における孤立の問題、そして指導者と学生の間の軋轢(あつれき)の原因を浮き彫りにした。この事件により、多くの大学は、博士課程の学生に主指導教官に加え相談できる副査をつけることを強く主張するようになった。ハーバード大の化学科長になった ジェームズ・アンダーソン (James Anderson) は、「ジェイソンの死を教訓として、この学科が生徒の命を守るために果たすべき役割を検討しなければならない」と宣言した。アンダーソンはまた、学科が費用を持つことにより無料で受けられる、「内密でシームレスなカウンセリング」を用意することを学生に約束した。しかし、2004年現在、このサービスは打ち切られている。
コーリーは彼の遺書について、「理解できない。ジェイソンは激しい思い違いをしていたか、全く理性を失っていたに違いない」と述べている。コーリーはアルトムの能力について疑問を持ったことはない、と明言したという記録も残っている。 また、「ジェイソンの指導にはベストを尽くした。山岳ガイドが山登りする人をガイドするのと同じだ。全てにおいてベストを尽くした。後ろめたいことは何もない。ジェイソンのしたことは全て、我々の協力関係から外れたことだ。すれ違いは少しもなかった」と述べている。
ハーバード大学のコーリーのオフィスは、ドアの外についている赤信号・青信号でも悪名高い。
[編集] ウッドワード・ホフマン則
プリーストリー賞を受賞した際、コーリーはロバート・バーンズ・ウッドワード (Robert Burns Woodward) にウッドワード・ホフマン則 (Woodward-Hoffmann rules) のヒントを与えたのは自分だ、と主張して物議をかもした。この件については Angewandte Chemie 誌上でロアルド・ホフマンに反駁されている[12]。
[編集] 参考文献
- ^ Corey, E. J.; Cheng, X.-M. The Logic of Chemical Synthesis; Wiley: New York, 1995, ISBN 0471115940.
- ^ Corey, E. J. Angew. Chem. Int. Ed. Engl. 1991, 30, 455.
- ^ Corey, E. J.; Suggs, W. Tetrahedron Lett. 1975, 31, 2647-2650. DOI: 10.1016/0040-4039(90)80150-K
- ^ Corey, E. J.; Venkateswarlu, A. J. Am. Chem. Soc. 1972, 94, 6190-6191. DOI: 10.1021/ja00772a043
- ^ Corey, E. J.; Weinshenker, N. M.; Schaaf, T. K.; Huber, W. J. Am. Chem. Soc. 1969, 91, 5675. DOI: 10.1021/ja01048a062
- ^ Nicolaou, K. C.; Sorensen, E. J. Classics in Total Synthesis; Wiley-VCH: New York, 1996, ISBN 3527292314.
- ^ Corey, E. J.; Ohno, M; Vatakencherry, P. A.; Mitra, R. B. J. Am. Chem. Soc. 1961, 83, 1251-1253. DOI: 10.1021/ja01466a056
- ^ Corey, E. J.; Ohno, M; Mitra, R. B.; Vatakencherry, P. A. J. Am. Chem. Soc. 1964, 86, 478-485. DOI: 10.1021/ja01057a039
- ^ Corey, E. J.; Reichard, G. A. J. Am. Chem. Soc. 1992, 114, 10677-10678. DOI: 10.1021/ja00052a096
- ^ Corey, E. J.; Wu, L. I. J. Am. Chem. Soc. 1993, 115, 9327-9328. DOI: 10.1021/ja00073a074
- ^ Corey, E. J.; Gin, D. Y.; Kania, R. S. J. Am. Chem. Soc. 1996, 118, 9202-9203. DOI: 10.1021/ja962480t
- ^ Hoffmann, R. Angew. Chem. Int. Ed. 2004, 43, 6586-6590. DOI: 10.1002/anie.200461440
[編集] 外部リンク
カテゴリ: アメリカ合衆国の化学者 | ノーベル化学賞受賞者 | プリーストリー賞 | 1928年生