インディペンデンス (CVL-22)
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艦歴 | |
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起工: | 1941年5月1日 |
進水: | 1942年8月22日 |
就役: | 1943年1月14日 |
退役: | 1946年8月28日 |
その後: | 1951年に兵器実験で沈められる。 |
性能諸元 | |
排水量: | 11,000 トン |
全長: | 622.5 ft |
艦幅: | 71.5 ft |
全幅: | 109.2 ft |
吃水: | 26 ft |
最大速: | 31 ノット |
乗員: | 士官、兵員1,569名 |
兵装: | 40mm機銃26基 |
艦載機: | 45(?) |
インディペンデンス(USS Independence, CV/CVL-22)は、アメリカ海軍の航空母艦。インディペンデンス級航空母艦のネームシップ。その名を持つ艦としては四隻目。
艦は軽巡洋艦アムステルダム(USS Amsterdam, CL-59)として起工する。1942年8月22日にはニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船所でCV-22としてローリー・ワーナー夫人によって進水され、1943年1月14日に初代艦長G・R・フェアラム・ジュニア大佐の指揮下就役する。
巡洋艦から設計変更された最初の艦として、インディペンデンスは慣熟訓練をカリブ海で行う。その後太平洋艦隊に加わるためパナマ運河を通過し1943年7月3日にサンフランシスコに到着、7月14日に真珠湾に向けて出航し、マーカス島攻撃のための二週間に及ぶ訓練演習をエセックス、ヨークタウンと共に行った。攻撃は9月1日に行われ、島の施設70パーセント以上が破壊された。続く作戦は10月5、6日のウェーク島攻撃であり、その間に艦種がCVLに変更される。作戦は1943年7月15日に行うよう再度指定された。
インディペンデンスは10月21日にエスピリトゥサントに向けて真珠湾を出港した。11月11日のラバウル攻撃ではインディペンデンスの砲手は6機の日本軍機を撃墜している。この後エスピリトゥサントで燃料を補給し、ギルバート諸島に向かいタラワ上陸に先駆けて11月18日と20日に攻撃を行っている。20日の日本軍による反撃でインディペンデンスは6機の日本軍機を撃墜したが、5発の雷撃を受けそのうち一発が右舷に命中した。船体を破損したインディペンデンスは11月23日にフナフティ島に向かい修理を受ける。ギルバート諸島攻略戦は太平洋における日本本土進攻の第一歩であったが、インディペンデンスは1944年1月2日に本格修理のためサンフランシスコに帰還する。
インディペンデンスは修理完了後1944年7月3日に真珠湾に戻る。その修理ではカタパルトが増設され、ハワイ水域に到着すると夜間発着訓練を開始する。インディペンデンスはこの先導的訓練をエニウェトクで8月24日から29日まで継続する。その後パラオ攻略戦参加のため8月29日に出航し、フィリピン攻略のための作戦活動を行う。インディペンデンスは第38機動部隊のため夜間偵察および夜間戦闘警戒飛行を行った。
9月に高速空母機動部隊はフィリピン侵攻に向けて連日の攻撃を行った。この期間に日本軍の本格的な反撃はなかったため、インディペンデンスは夜間の作戦活動から昼間作戦活動に移動し、ルソン島の日本軍拠点を攻撃した。10月初旬にウルシー泊地で補給を受けた後、10月6日に沖縄攻撃に向けて大規模な配置替えが行われる。その後空母部隊は沖縄、台湾、フィリピンに対して攻撃を行った。日本軍の航空反撃はインディペンデンスの艦載機による昼間攻撃および夜間偵察、攻撃によって撃退された。
空母部隊は10月23日にフィリピンから東に向けて出航した。後にロバート・カーネイ提督が「壮大な規模の何かが進行中だった」と回想したように、アメリカ軍の攻勢は明白な物であった。ボーガン少将指揮下の第38.2任務部隊に属するインディペンデンスの航空団は10月24日のシブヤン海海戦で栗田艦隊に対して攻撃を開始する。インディペンデンス艦載機を含むアメリカ軍部隊は戦艦武蔵を撃沈し、巡洋艦を航行不能とした。
1945年7月から8月にかけてインディペンデンスは日本本土に対する最終攻撃に参加、8月15日の日本降伏後は艦載機による捕虜収容所の捜索飛行を継続し、上陸部隊への航空支援を行った。インディペンデンスは9月22日に東京湾を出港し、サイパンとグアム経由で10月31日にサンフランシスコに到着した。
インディペンデンスはマジック・カーペット作戦に参加し、1945年11月15日から復員兵輸送に従事する。1946年1月28日にサンフランシスコに到着、その後ビキニ環礁での原爆実験、クロスロード作戦の目標艦に指定された。7月1日の爆発、ABLEでは爆心地から1.5マイルの地点に係留されたが沈没せず、7月25日の爆発、BAKERではインディペンデンスはクェゼリン環礁に係留された。インディペンデンスは1946年8月28日に退役し、放射能に汚染された船体は真珠湾、サンフランシスコに運ばれ調査された。船体は1951年1月29日にカリフォルニアの沖合で兵器実験に供用され沈没した。
インディペンデンスは第二次世界大戦での戦功により8つの従軍星章を受章した。