ウィリアム・S・バロウズ
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ウィリアム・S・バロウズ(本名、William S. Burroughs ウィリアム・シュワード・バロウズ、男性、1914年2月5日 - 1997年8月2日)は、米国の小説家、俳優。合衆国ミズーリ州セントルイース生まれ。実家は比較的裕福な資産家だった。ハーヴァード大学卒業(英文学専攻)。T・S・エリオットについて学ぶ。 卒業後は定職に就かず、米国内、欧州、南米を点々とした。ビート世代と呼ばれるケルアックらと知り合った。 1949年にメキシコ・シティに定住。1953年に、『ジャンキー』を書く。これがデビュー作となったが、まったく顧みられず一時は作家を断念する。
モルヒネ、ヘロイン等ドラッグの常習者として有名で、若い時分にはドラッグを妻と共に多量服用し酩酊状態となり、ドラッグを断とうとすると深酒に走るという悪循環を繰り返す。ふられたあてつけに小指を詰めたり、泥酔状態でウィリアム・テルごっこをした結果、妻を誤って射殺したなど逸話は数多い。
その後、モロッコのタンジールに移住。40代のときに15年以上浸ったドラッグと決別、以後はドラッグに反対する姿勢も見せる事となる。そしてギンズバーグらのすすめにしたがって書きためていた断片をまとめ、『裸のランチ』として発表する。これが同性愛を含むグロテスクナンセンスな描写のために書評で批判されたり発禁処分になったりしたためにかえって話題をよび、実験小説の雄として一躍有名となった。
文章を書いた後、それをバラバラに切ってランダムにつなげる、いわゆる「カット・アップ技法」という独自の文体を作り上げ、駆使したことでも有名。だがその後、1980年代に入ってストーリー性も重視したスタイルへと移行している。
『裸のランチ』は、カナダの映画監督・デヴィッド・クローネンバーグにより映画化された。部分的な映像化に留まっており、原作以外のバロウズ作品からの引用・解釈も見られた。
日本語訳は主に山形浩生や柳下毅一郎、鮎川信夫らが行っている。
[編集] 主著書
- 『ジャンキー』(Junkie)
- 『裸のランチ』(The Naked Lunch)
- 『おぼえていないときもある』(Exterminator!)
- 『おかま』(Queer)
- 『ノヴァ急報』(Nova Express)
- 『ソフト・マシーン』(The Soft Machine)
- 『爆発した切符』(The Ticket that Exploded)
- 『ワイルド・ボーイズ』(The Wild Boys A Book of Dead)
- 『バロウズという名の男』(The Adding Machine: Collected Essays)
- 『ダッチ・シュルツの最後のことば』(The Last Words of Dutch Schultz )
- 『内なるネコ』(The Cat Inside.)
[編集] Video
カテゴリ: アメリカ合衆国の小説家 | 1914年生 | 1997年没