ウスリースク
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ウスリースク(Уссурийск)は、ロシア連邦沿海地方南部、ウラジオストクの100kmほど北に位置し、シベリア鉄道と中国からの鉄道(旧・東清鉄道)・北朝鮮からの鉄道が合流・分岐する交通の要衝である。Yak-40級の飛行機が離着陸できる飛行場が存在する。人口は約16万人。沿海地方の農業の拠点、交易の拠点、そして陸軍の極東における重要拠点である。
主な産業は農産物を利用した食品産業であり、ほかに金属工業や軍需産業がいくつかある。また、中国からの商品などを扱う卸売センターなど交易機能もある。一方、対中国戦用の地上部隊が多数集結しており、軍に依存した都市でもある。
名所としては、
- ソ連崩壊後多くのロシア正教教会が再建されているが、市内中央の「Saint Intercession Church」は1914年に建設されて以降、1917年以来一度も手を加えられず、本来の教会のまま使われた沿海地方唯一の教会である。
- ほか、ソ連らしい巨大なパレード用広場があるほか、ロシア革命後の日本のシベリア出兵に伴う赤軍戦闘の記念碑などがある。
- また、市の北方には、北東アジア最大級の湖でラムサール条約にも登録されている渡り鳥の楽園、ハンカ湖(興凱湖)がある。
- 市内のウスリースク・ドラマ劇場は1937年に建てられた、ロシア陸軍が保有する二つの劇場の内の一つである。(もう一つはモスクワにある。)
交易都市だけに中国・北朝鮮との密輸や日本車密輸、売春斡旋を行うマフィアの活動が盛んである。2004年には、ウスリースクを根拠にするマフィア幹部が自らの武勇伝や犯罪、投獄を「当事者」に演じさせた実録ドラマを地元テレビ局で放映させ、生々しい実話や実弾発射を用いたアクションなどで注目を集めた。
[編集] 歴史
かつては清国領で「双城子」と呼ばれていた。1866年、この地が清国領からロシア領になって6年後、ニコライ1世の名をとってニコリスコエ村が置かれた。東清鉄道との連絡を図るウスリースク鉄道の建設後、この村の重要性は増大し、1898年、ニコリスク・ウスリースキー市となった。1935年、スターリンの側近の名を取りヴォロシロフ市に改称された。スターリンの死後ヴォロシロフは失脚し、1957年、現在のウスリースク市に改称された。
1988年、ロシア連邦政府決定により、市は、歴史都市に編入された。
なお、ウスリースクはウスリー川沿岸地方に経済的影響力を持つが、その名に反してウスリー川やその支流は流れていない。