赤軍
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ソビエト連邦 |
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思想 最高指導者 場所 組織 |
赤軍(せきぐん;ロシア語Красная Армияクラースナヤ アールミヤ)は、1918年から1946年にかけてロシアやソビエト連邦などに存在した軍隊である。赤は、革命によりソビエト国家が誕生するまでに流されてきた労働者の血を意味している。
なお、赤軍とは厳密には1918年に組織された労働者・農民赤軍(ろうどうしゃ・のうみんせきぐん;Рабоче-крестьяеская Красная Армияラボーチェ・クリスチヤーンスカヤ・クラースナヤ・アールミヤ、略称:労農赤軍;РККАエールカーカーアー)のことを指すが、広義には革命直後から存在した赤衛隊(Красная гвардияクラースナヤ・グヴァールジヤ)も含めて「赤軍」と呼び習わす。特にロシア内戦期には、赤軍という名称はボリシェヴィキの軍隊を指す代名詞としてしばしば用いられることがある。
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[編集] 概要
1917年に発生したロシア革命後の1918年1月28日(ユリウス暦1月15日)、人民委員会議は、それまでにあった赤衛隊を基に、「労働者・農民赤軍(労農赤軍)」の創設を布告した。2月23日には、ソビエト・ロシアに対する干渉戦争において、赤軍がドイツ軍に勝利しており、ソ連の陸海軍記念日となった。
ロシア内戦中の赤軍創設を指揮したのが、1918年から1925年にかけて軍事人民委員(軍事大臣に相当)であったレフ・トロツキーである。初期の赤軍は、志願兵によって構成されたもので、階級やそれを表す記章がなく、将校は民主的な選挙によって選ばれていた。のちには、軍隊への参加が義務となり、またすべての部隊に政治将校が割り当てられた。帝政時代の遺物として廃止されていた職業軍人による将校制度も、1935年復活した。1937年から1939年の大粛清では、ほとんどすべての高級将校が追放されるか、粛清されるかしている。そのために近代化が遅れ、有能な指揮官が殆どいなくなったため、第二次世界大戦初期には敗北が続いた。
ナチス・ドイツ軍のソビエト連邦侵攻時、赤軍は約150万人であった。続く第二次世界大戦中は、1500万から2000万人にまで膨れ上がっている。その内、700万から1000万人が死亡した。第二次世界大戦後は、約500万人に減少し、冷戦の終結時には、300万人になっていた。
1946年、「赤軍」から「ソビエト連邦軍」という名称に変更された。第二次世界大戦後、ソビエト連邦軍は、ソビエト連邦の構成国や衛星国に駐留したが、ソビエト連邦の政治の道具として使われるようになった。スターリンによる大粛清時に加えて、ハンガリーやチェコスロバキアへの軍事介入におけるソビエト連邦軍の残忍さは、国際社会から非難を浴びた。ソビエト連邦の崩壊と東欧の革命に伴って、1991年から1993年の間に、各国から徐々に撤退している。
日本では、赤軍といえば直ちに60年代新左翼運動、学生叛乱期に尖鋭化したことで知られる共産主義者同盟赤軍派とその分派をさす。
[編集] 組織
[編集] 統制機構
[編集] 軍事行政単位
- アルハンゲリスク軍管区
- レニングラード軍管区
- 沿バルト特別軍管区
- 西部特別軍管区
- キエフ特別軍管区
- オデッサ軍管区
- 北カフカーズ軍管区
- ザカフカーズ軍管区
- モスクワ軍管区
- 沿ヴォルガ軍管区
- 中央アジア軍管区
- ウラル軍管区
- シベリア軍管区
- ザバイカル軍管区
- ハリコフ軍管区
- オリョール軍管区
- 極東戦線
[編集] 海軍
海軍は、海軍人民委員部に所属していた。
[編集] 戦歴
- ロシア内戦(1918年~1922年)
- ポーランド・ソビエト戦争(1919年~1921年)
- 中ソ紛争(1929年)
- 張鼓峰事件(1938年)
- 第二次世界大戦(1939年~1945年)
[編集] 関連項目
- ソビエト連邦軍
- ロシア革命
- 白軍(白衛軍)
- 緑軍(サヴィンコフ派)
- 黒軍(黒衛軍、アナキスト)
- 青軍(ポーランド軍)
- クロンシュタットの反乱
- マフノ運動
- ミハイル・トゥハチェフスキー
- ゲオルギー・ジューコフ
- スメルシ
- 日本赤軍
- 赤軍罪
- 西ドイツ赤軍
[編集] 外部リンク
- Рабоче-Крестьянская Красная Армия(「労農赤軍」、ロシア語)