エルウェーウィン
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性別 | 牡 |
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毛色 | 黒鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1990年2月24日 |
死没 | - |
父 | Caerleon |
母 | Rustic Lace |
生産 | アーミン ホールディングス |
生国 | アイルランド |
馬主 | 雑古隆夫 |
調教師 | 坪憲章(栗東) |
競走成績 | 40戦5勝 |
獲得賞金 | 2億4689万4000円 |
エルウェーウィン(1990年 - )は日本の競走馬。アイルランド産で日本で調教を受けた外国産馬である。主な勝鞍は、朝日杯3歳ステークス、アルゼンチン共和国杯。
[編集] 戦績
1992年10月18日、京都芝1600mの新馬戦に出走し、岸滋彦騎手を背にハナ差の勝利を飾る。次走京都3歳ステークスはマルカツオウジャとの同着となり、連勝でGI朝日杯3歳ステークスへと駒を進める。もみじステークス、デイリー杯3歳ステークスを連続レコード勝ちのビワハヤヒデが圧倒的1番人気を集める中、エルウェーウィンは3番人気に支持された。岸がビワハヤヒデを選択したため、代打騎乗となった南井克巳の豪腕にも助けられ、ビワハヤヒデをハナ差抑えて優勝、JRA賞で最優秀3歳牡馬のタイトルを獲得する。
4歳となった1993年だったが、脚部不安を発症し春シーズンを棒に振ってしまう。11月のカシオペアステークスで復帰し2着と長期休養明けとしては上々の結果を残したため、次走に有馬記念を選択するが13着と大敗する。
これ以降マイル~中距離のレースに出走していくが、まったく勝てなくなってしまう。マイラーズカップ3着などたまに好走も見せたが勝ち切るには至らず、歳を重ねるに連れそれもなくなり、早熟、朝日杯はただのフロックとの声も大きくなり、引退するタイミングさえも逸してしまいずるずるとレースを重ねる日々が続いた。
7歳となった1996年11月、有馬記念以来久々に距離を伸ばし芝2500mのアルゼンチン共和国杯に出走することになった。朝日杯からここまで出走したのは27戦、3年11ヶ月もの間エルウェーウィンは負け続けていた。そんな馬に人気が集まるわけもなく18頭立ての14番人気だった。この日は、ナリタブライアンの引退式が行われたこともあり、大勢のファンが詰め掛けていた。鞍上には久々に、ナリタブライアンの主戦騎手でもあった南井を迎え、素晴らしい差し脚を見せ見事に復活の勝利を飾る。朝日杯から実に1434日振りの勝利となり、これは2006年2月の小倉大賞典でメジロマイヤーが1457日振りの重賞勝利を飾るまで、JRAの最長重賞勝利間隔記録だった。(ちなみに、メジロマイヤーの場合その間に2勝しているので、間に勝利を挟まない記録となるとエルウェーウィンが最長である)
勢いのまま有馬記念に出走するが、さすがに厳しく13着と大敗。明け8歳となった1997年3月の芝2200mのブラッドストーンステークスでも勝利を収め、長距離路線で活躍を期待されたが脚部不安を発症。翌年復帰するがさすがに9歳となっては厳しく、7戦して1度も掲示板に乗れないまま引退、種牡馬入りすることが決まった。活躍馬は出せないまま既に種牡馬登録を抹消されており、現在は越田牧場で功労馬として生活している。
[編集] 血統表
エルウェーウィンの血統 (ノーザンダンサー系/Bull Page4×5=9.38%) | |||
父
Caerleon 1980 鹿毛 |
Nijinsky 1967 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Flaming Page | Bull Page | ||
Flaring Top | |||
Foreseer 1969 黒鹿毛 |
Round Table | Princequillo | |
Knight's Daughter | |||
Regal Gleam | Hail to Reason | ||
Miz Carol | |||
母
Rustic Lace 1981 芦毛 |
Rusticaro 1975 芦毛 |
Caro | *フォルティノ Fortino |
Chambord | |||
Rustica | Ribot | ||
Ruthin | |||
Lacy Brief 1973 鹿毛 |
Roi Dagobert | Sicambre | |
Dame d'Atour | |||
Mizzen | New Providence | ||
Reply F-No.4-g |
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