オリベッティ
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オリベッティ(伊:Olivetti)は、北イタリアのイブレアでタイプライターの製造・販売会社として創業された会社であった。かつては、フィアット、モンテカチーニ・エジソン社と共に、イタリアを代表する企業であったが、現在はイタリアテレコムに買収され、その傘下にある。
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[編集] 概説
タイプライターの製造・販売で成功したオリベッティは、計算機の分野にも進出し、世界初の電動式記録卓上計算機の発売や、大型電子計算機「エレア9003(Elea 9003)」の発表を行なったこともあった。
現在の主な生産品目は、以下の通り。(Olivettiの公開しているページを基に記述)
- プリンタ(インクジェット型の多機能プリンタ、および写真印刷用プリンタ)
- ファックス装置
- 卓上計算機
- SOHO向けの極小型システム(PCなどを核とした事務処理システムの意か?)
- 写真複写機、および、レーザープリンタ
- 業務用専用プリンタ
- 以下の分野向けの専用装置
- 銀行業務
- 小売業
- 郵便局
- チケットの移動販売
- 宝くじ販売店舗
- サービスオートメーション(人気などの投票,MAAF)
[編集] 沿革
- 1908年 - カミロ・オリベッティにより創業される
- 1933年 - 長男 アドリアーノ・オリベッティが事業を継承する
- 1930年 - 最初の海外工場をアルゼンチンに設立した
- 1930年半ば - 製品輸出先が20数ヶ国に拡大するまで事業が拡大する
- 1940年代 - 計算機の分野に進出
- 第二次世界大戦中 - 経営者のアドリアーノ・オリベッティなどがユダヤ人迫害の対象となり、スイスに身を隠す。大戦終了後に再び積極的活動を再開する
- 1948年 - 世界最初の電動式記録卓上計算機を発売する(ディビィジュマ(Divisumma))
- 1954年 - コンピュータの開発を始める
- 1959年 - 大型コンピュータ「エレア9003(Elea 9003)」を発表
- 1959年 - アメリカのタイプライター会社アンダーウッドを買収する
- 1960年 - アドリアーノ・オリベッティ死去。コンピュータの開発費、アンダーウッドの経営不振、オリベッティ一族の不和が一度に噴き出し、次第にオリベッティ自体も経営危機に陥る
- 1964年 - イタリア財界の助力によるオリベッティの救済再建が実施される
- 1966年 - マリオ・ベリーニにより、ビデオディスプレー端末TCV-250が設計され、現在でもニューヨーク市にある近代美術館のデザイン収蔵品として保存されている。
- 1982年 - 最初のオリベッティー製パソコンM20が発表される (ザイログ社製プロセッサZ8000搭載)
- 1985年 - イギリスのエコーン・コンピュータ(英:Acorn Computers Ltd.)社、および、フランスのトムソン(Thomson SA)社と、資本提携を結ぶ。以降、エコーンおよびトムソンの製品を、オリベッティの商標で販売
- 1999年 - ルクセンブルクに拠点を置くベル社に買収される
- 1999年 - パソコン事業を売却する
- 2001年 - ベル社が経営支配権を、ピレリおよびベネトングループを含むコンソーシアムへ売却
- 2003年 - テレコムイタリアグループの一員に吸収される
[編集] オリベッティの救済再建
1964年に実施された、イタリア財界の助力によるオリベッティの再建救済の内容は、以下のようなものである。
- オリベッティ一族の持ち株比率を75%から35%に減らし、経営の実権も事実上一族から離れる
- 大型コンピュータ部門をGEの支配に委ねる
「オリベッティから大型コンピュータ部門の支配権を手に入れたGEが、後にコンピュータ部門をハネウェルへと売却して事業撤退してしまった」という事実は、技術の変遷が速いコンピュータ世界で開発費用を捻出し続けながら利益も計上し続けるのは、なかなか困難であるという事なのかもしれない。
[編集] 関連項目
ジェトロニクス (旧・日本オリベッティ)
[編集] 参考文献
- 『大日本百科事典 ジャポニカ 第3巻(えいき-おん)』(株)小学館 (昭和50年2月20日第2版13刷)