カール・ピアソン
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カール・ピアソン Karl Pearson(1857年3月27日-1936年4月27日)はイギリスの数理統計学者、優生学者で、記述統計学の大成者である。
[編集] 生涯
弁護士の子としてロンドンに生まれた。名はもとCarlであったが、のちに自らKarlと変えた。キングス・カレッジ (ケンブリッジ大学)で数学を学んだ後、ベルリンとハイデルベルクに留学し中世ドイツ文学やローマ法などを学んだ。帰国後は法学を学んだり文筆活動を行ったりしたが、再び数学に転じ、1884年にユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの応用数学教授となった。
ここで動物学者ウェルドンW. F. R. Weldonと知り合って生物測定学と進化論の共同研究を行い、またフランシス・ゴルトンにも紹介され、ピアソンはゴルトンの後継者となった。1911年にゴルトンが死んだ後、ピアソンは大部のゴルトンの伝記を著している。ピアソンはゴルトンの希望に従い創設された優生学部の初代教授となり、また応用統計学部も創設して研究を続け、1933年に退官した。
1890年に結婚し、娘2人と息子1人をもうけた。息子のエゴン・ピアソンEgon Sharpe Pearsonも統計学者で、父の後を継いで応用統計学教授となった。
彼は個人的には社会主義的な自由思想の持ち主で、そのため1920年には大英勲章を、また1935年にはナイト叙勲を辞退している。しかしピアソンによる優生学の考え方は「劣等人種との戦い」を公言するなど、現在からみると人種差別主義といわざるを得ない。
1930年代には統計学の基本的な考え方をめぐって小標本理論を重視するロナルド・フィッシャーと論争し、フィッシャーはピアソンの死後も息子エゴンと論争を続けることになる。
科学思想家としても有名で、著書として「科学の文法」(1892年初版)が特に知られる。この本では、科学とは方法論であってあらゆる現象が科学の対象となりうるという持論を展開し、特に統計学を科学という言語における文法に例えて説明している。アルベルト・アインシュタインも若い時にこれを読み強い影響を受けたという。日本では、夏目漱石、寺田寅彦も影響を受けた。
[編集] 業績
彼の統計学における主な業績には次のものがある。
- 線形回帰、相関とピアソンの積率相関係数:彼はゴルトンによる「平均回帰」データを用いて数学モデルを構成し、以後これらの理論の発展に中心的役割を演じた。
- 確率分布関数の分類:以後の統計学理論の基礎となり、特に指数型分布族は一般化線形モデル理論の基本となっている。
- ピアソンのカイ二乗検定:カイ二乗検定のうち最も基本的なものである。
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