ゲルマン人
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ゲルマン人(ゲルマンじん、German)は、現在のドイツ北部・デンマーク・スカンジナビア南部地帯に居住していたインド・ヨーロッパ系を祖先としインド・ヨーロッパ語族 - ゲルマン語派に属する言語を話す諸集団の事を指す。古代時代にはローマ帝国を脅かす蛮族として、中世にはローマ人(ラテン人)・キリスト教文化との混合によって中世ヨーロッパ世界を形成した。
現代においては、ドイツ・オーストリア・オランダ・スウェーデン・ノルウェー・デンマーク等に住む人々、イギリスのアングロ・サクソン人・ベルギーのフラマン人・フランスのアルザス人・イタリアの南ティロル人がこの集団の系譜を引いているが、何れの勢力も長い歴史の中で他民族や異民族との混血を繰り返しており、古代のゲルマン人と同一の存在とは言えない。
因みに狭義としてドイツ人(オーストリア人、ドイツ語圏スイス人をふくめる)の意で用いることも多い。ゲルマン人の一分派であるイングランド人が英語でドイツをGermanyと呼ぶのは、この狭義解釈に基づいている。
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[編集] 起源
元来はローマ帝国によるゲルマニア地方に居住する諸部族に対する他称であり、彼ら自身が「ゲルマン人」としての同族意識を持つ民族共同体を形成していたわけではない。後述する通り「アングロ・サクソン人」や「ゴート人」という部族名こそ、いわゆる民族名であり、ゲルマン人というのはそれら複数の民族を総称したものに過ぎない。しかし近代ドイツにおける民族主義の勃興に伴い、古代の時点で「ゲルマン民族」という統一された民族共同体が存在しており、ドイツ民族はそのゲルマン民族の血統を継ぐ優秀な民族であるとする説が唱えられる様になった(ドイツナショナリズム)。この明確な根拠を伴わない政治的イデオロギーに満ちた「ゲルマン民族」は第二次世界大戦期のナチス時代に最も盛んに喧伝され、アーリアン学説と並んでナチスの人種政策の根幹を成した。
また先述の勃興期のドイツナショナリズムの指導者等は、ゲルマン人をこそインド・ヨーロッパ語族に属する諸民族の典型であるとし、本来はこの語族に属した集団のうち、イラン高原とインド亜大陸に進入して歴史的諸政権を打ち立てた大グループに属する諸集団の、「高貴な者」を意味する自称であったアーリア人なる呼称を、ゲルマン人の正統な末裔たる自分達こそが名乗るにふさわしいと考え、この思想の影響を受けた者はゲルマン人をアーリア人とも呼ぶ。
[編集] 歴史
その存在は古くは古代ローマ時代のガリア戦記・ゲルマニアに著されている。ゲルマン民族は傭兵や同盟兵としてラテン人の古代ローマと関係を持ったが、ケルト人とは違い一定の距離を保ちローマと同化しなかったとされる。古代末期にローマが衰退するとゲルマン人達は大移動を繰り返し欧州各地に進出、現在のゲルマン系民族の伝播に寄与し、中世ヨーロッパ世界の形成に影響を与えた。
[編集] 年表
- 紀元前80年頃 - ゲルマン人に関する記述がはじめて現れる。
- 紀元前58年~紀元前51年 - カエサルのガリア遠征。
- 「ガリア戦記」の中でゲルマン人について記した。
- 9年 - トイトブルクの戦いでローマ帝国がゲルマン人に大敗。
- 以後、この地域でのローマ帝国の拡大がとまった。
- 98年 - 古代ローマの歴史家タキトゥスが「ゲルマニア」を著す。
- 2世紀頃 - 最古のルーン文字成立。
- 375年 - ゲルマン民族の大移動がはじまる。
- 451年 - カタラウヌムの戦い。ローマ軍団の傭兵となり、共にフン族を撃退する。
- 5世紀 - グレートブリテン島 (現在のイギリス) にゲルマン部族の一派アングロ・サクソン人が侵入。
- ローマ帝国の後退と同じ頃にブリテン島に侵入し、七王国をうちたて覇権を争った。
- 476年 - 西ローマ帝国がゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって滅亡。
- 481年 - フランク族のクロヴィスがメロヴィング朝を創始。
- 732年 - トゥール・ポワティエ間の戦い
- フランク王国カロリング朝・カール大帝の時代 (在位768年-814年)
- フランク王国の最盛期。
- 8世紀~9世紀頃? - 叙事詩ベオウルフが成立。
- 843年 - フランク王国が分裂。
- 8世紀後半~11世紀 - ノルマン人、デーン人の活動が活発化。
- ヴァイキングとして知られる。
- 11世紀後半には、ノルマンディー公ウィリアムがイングランドを征服してノルマン朝を創始。→ ノルマン・コンクエスト
- 8世紀~10世紀 - アイスランド、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの国家が成立。スカンディナヴィア三国、王国を形成。
- ? - サーガが成立。
- アイスランドに伝わる伝承。ノルウェーでも成立。
[編集] 外見上の特徴
- 長身
- 金髪
- 青色の目
- 白色の肌
- 角ばった頬
- 毛深い
等があげられるが、一方でヴァイキングには黒髪や赤髪の者も多く含まれていたと言われる。
またゲルマン民族の直系を自負するドイツ民族も金髪より黒髪や茶髪の方が割合として多い。(アドルフ・ヒトラーも黒髪である)
[編集] ゲルマン部族の一覧
言語により東ゲルマン、北ゲルマン、西ゲルマンの三つに分類される。東ゲルマン語はすでに死滅している。→ ゲルマン語派参照。
[編集] 東方ゲルマン
[編集] 西方ゲルマン
[編集] 北方ゲルマン
- デーン人(デンマーク人の祖)
- ノルマン人(スウェーデン・ノルウェー人の祖) ※スウェーデン(Sverige)人の祖先は、故ドイツのスヴェリ族とも言われている。
- ノール人(ノルウェー人)
- スヴェーア人(スヴェリ族→スウェーデン人)
- ノース人
[編集] 南方ゲルマン
- 詳細不明。
[編集] 不明
- マルコマンニ人※北方からのローマ帝国侵入を図り、マルクス・アウレリウスとのマルコマンニ戦争でやぶれた
- フリース人(オランダ人の祖) ※現在フリース人は少数民族で、今のオランダ人を形作るのは、ドイツ系の住民である。
- ロンバルド人(ランゴバルドとも) ※ランゴバルド史では、今日のデンマークの北方、スカンディナヴィア半島から移住して来たと記されている。
- ユート人(ジュート人とも) ※現在のデンマークからイギリスに移動し、アングロサクソン人と同化した。英国人とユダヤ人を同祖とみなす空想的な人々は、このユート人を、イスラエルの失われた10支族の末裔と考えた。
[編集] 関連項目
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