コンキスタドール
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コンキスタドール (Conquistador) とはスペイン語で「征服者」を意味するが、とくに15世紀から17世紀にかけてのスペインのアメリカ大陸征服者、探検家を指す。
代表的なコンキスタドールとしては、ペルーのインカ帝国を侵略したフランシスコ・ピサロや、アステカ王国を侵略したエルナン・コルテスが挙げられる。彼らはキリスト教の正義の名においてアメリカ先住民を教化するという大義名分のもと、領土拡大を行いアメリカ大陸の固有文明を破壊し搾取し、黄金を略奪した。またインディオの大量虐殺を行い、インディオ女性を武力を背景に強姦したり、強大な社会的、経済的力を背景に妾にするなどの淫行にもふけった。(例 コルテスはマリンチェを妾とし、更に多くのインディオ女性と性関係を持った。)しかし従軍した宣教師の中には中南米での虐殺・虐待を告発した者もわずかながらいた。
「征服」初期には彼らの活動資金はスペイン王や神聖ローマ皇帝が拠出し、収奪収益の一部を国に納めるという形をとっていたが、のちには資金を彼ら自身が工面し、スペイン王らは形式的に征服の可を出す形になっていった。そのため略奪と同業者間の競争が激化した。奪える財宝がなくなると、原住民を徴用し、農場や鉱山の経営から富を得ようとした。16世紀後半にはコンキスタドールの世襲領主化を恐れたスペイン王が、副王を任命するなど直接統治に乗り出したため、コンキスタドール(とその後継者たち)はたびたび反乱を起こした。
彼等は、キリスト教文明により先住民を教化するとの美名でアメリカ大陸の諸地域を荒らしまわり、インディオたちを虐殺、強姦し、その文化を徹底的に粉砕した。インディオたちは人身供犠などを掲げる旧来の宗教の『悪習』からは解放されたが、その代わりにヨーロッパキリスト教文明への絶対的隷属を強いられた。
- ディエゴ・デ・アルマグロ(ペルー、チリ)
- ペドロ・デ・アルバラード(メキシコ、グアテマラ、ペルー)
- ルーカス・バスケス・デ・アイヨン(現アメリカ合衆国東海岸)
- バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア(パナマ)
- セバスティアン・デ・ベラルカサル(エクアドル、コロンビア)
- アルバール・ヌニェス・カベサ・デ・バカ(アメリカ合衆国南西部、南アメリカ)
- フランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバ(ユカタン)
- フランシスコ・バスケス・デ・コロナド(アメリカ合衆国南西部)
- フアン・デ・グリハルバ(ユカタン)
- ゴンザロ・ヒメネス・デ・ケサダ(コロンビア・ベネズエラ)
- フランシスコ・デ・モンテーホ(ユカタン、1527年 - 1546年)
- パンフィロ・デ・ナルバエス(フロリダ、1527年 - 1528年)
- ディエゴ・デ・ニクエサ(パナマ、1506年 - 1511年)
- クリストバル・デ・オリッド(ホンジュラス、1523年 - 1524年)
- フランシスコ・デ・オレリャーナ(アマゾン川、1541年 - 1543年)
- フランシスコ・ピサロ(ペルー、1509年 - 1535年)
- ゴンサロ・ピサロ(ペルー、1540年 - 1542年)
- ファン・ポンセ・デ・レオン(プエルトリコ、1508年・フロリダ、1513年及び1521年)
- エルナンド・デ・ソト(アメリカ南東部、1539年 - 1542年)
- マルチン・デ・ウルスア(グアテマラのペテン地域、1696年 - 1697年)
- ペドロ・デ・バルディビア(チリ、1540年 - 1552年)
- ディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャル(キューバ、1511年 - 1519年)
- エルナン・コルテス(メキシコ、1518年 - 1522年・ホンジュラス、1524年・バハ・カリフォルニア半島、1532年 - 1536年)
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