コンスタンツァ
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コンスタンツァ(Constanţa)はルーマニアの都市。コンスタンツァ県の県都。人口は約31万人(2002年)。
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[編集] 歴史
紀元前7世紀にギリシア人によって建てられた植民市であるトミスが、コンスタンツァの起源となった。古代ローマ帝国の時代に、オクタヴィアヌスの怒りをかった詩人のオヴィディウスが、この地に追放された。4世紀、コンスタンティヌス1世が妹の名にちなんでコンスタンツァと改称し、大規模な街の改築を推進した。1413年、オスマン帝国の支配下に入ると、街は衰退へとむかった。1878年、露土戦争をめぐり国際関係が紛糾することを懸念したドイツのオットー・フォン・ビスマルクによって開催されたベルリン会議において、ドブロジャ地方北部(コンスタンツァを含む)がルーマニアに帰属することが認められた。その後はルーマニアの統治下で港湾都市として繁栄を取り戻していった。
[編集] 地勢・産業
ルーマニア東南部、黒海沿岸に位置するルーマニア最大の港湾都市。都のブカレストは約200キロ西。ブルガリアとの国境が約50キロ南、ウクライナとの国境が約50キロほど北に位置している。
[編集] コンスタンツァ出身の人物
- カタリナ・ポノル:体操選手
- シモナ・アマナール:体操選手
- アンドレイ・パベル:テニス選手