サカ
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サカ(Saka)は、古代中央アジアのイラン系遊牧民。紀元前6世紀のアケメネス朝期以降に古代ペルシア語でその名前が用いられるようになり、歴史上に存在が明らかとなる。ギリシャ語ではサカイと呼ばれたが、ギリシャ語でスキタイと呼ばれた黒海北岸のイラン系遊牧民と民族系統、名称がよく似ており、サカとスキタイは同じ民族であるという説もある。
サカ族はスィル川以東、フェルガナ地方から現在のカザフスタンにかけての草原地帯に居住しており、「とんがり帽子のサカ」などいくつかの集団に分かれていたことが知られる。一部はアケメネス朝に服属し、ペルシア戦争にも参加した。中国史料には後漢の時代にあらわれ、塞(そく)という名前で記録されている。なお、別名をシャカといい、漢字では釈と書くが、釈迦を出したインド・ネパールの釈迦族(シャーキャ)との関係はない。
紀元前2世紀頃、その一派が中央アジアから南下してバクトリアを滅ぼし、さらに南下したものは現在のアフガニスタンからインド亜大陸に進出、パキスタンのタクシラ、北西インドのマールワ、カチャワール、グジャラートなどに小国を建国した。これらのインドのサカ族は「インド・スキタイ族」と呼ばれる。彼らはたびたびパルティアに侵入したが、1世紀前後にクシャーナ朝に征服された。その後も一部は、西クシャトラパ国としてグジャラートで勢力を保つが、4世紀末から5世紀初め頃にグプタ朝のチャンドラグプタ2世に滅ぼされた。
中央アジアでも、遊牧民の言語的なテュルク化が進み、サカと呼ばれたイラン系の言語を話す遊牧民は消滅していった。しかし、かなり後の時代までサカの言葉はタリム盆地の西部で使われていたことが知られており、またバクトリアの滅亡後にトハラ地方に居住していた人々がサカの末裔であるという説がある。