サロモン・カルー
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サロモン・カルー (Salomon Kalou, 1985年8月5日 - )は、コートジボワール、オウメ出身のサッカー選手。ポジションはフォワード(CF、WG)。 兄のボナベントゥル・カルーもサッカー選手である。
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[編集] プレイスタイル
優れたスピードと、狭いスペースでも苦にせず、独特のリズムで器用に突破していくなど、 ドリブル、テクニックに優れた選手。フェイエノールト在籍時にはセンターフォワードとしてディルク・カイトと共に得点を量産したが、チェルシーFCに移籍後は、センターフォワードとしてはもちろんのこと、ウィンガーとしての活躍も期待される選手である。
[編集] 経歴
元フランス代表のジャン=マルク・ギユーがコートジボワールに設立したアカデミーの出身。コートジボワール代表でもある兄のボナベントゥル・カルーの勧めで、2003年に当時兄の所属していたフェイエノールトに移籍するが、結局兄とは入れ替わる形での入団となってしまう。
その後すぐにフェイエノールトと提携関係にあるエクセルシオール・ロッテルダムへのレンタル移籍を経て、2004-05シーズンにレギュラーポジションを獲得。その年は31試合に出場して20得点をたたき出し、一躍その名をオランダ中に轟かせ、オランダの年間若手最優秀選手に贈られるヨハン・クライフ賞を受賞。
翌2005-06シーズンも34試合に出場し15得点と安定した活躍を見せる。2006-07シーズンはチェルシーFCに移籍。
[編集] 帰化騒動
カルーはコートジボワールの出身だが、オランダ代表でのプレーを望んでおり、帰化の申請をしていた。A代表のマルコ・ファン・バステン監督もカルーを絶賛し、何度もカルーのプレイを視察に来ていた。カルー自身もコートジボワール代表のオファーを断り続け(A代表の出場歴がある選手は他の国のA代表としては出場できない。ただし、年齢制限のある代表しか出場歴がない場合は、他のA代表としての出場は可能)あとは移民局からの判断を待つだけとなる。
しかし移民に寛容な政策をとってきたオランダだが、EU統合後は移民に対して厳しい処置を取るようになってきていた。そんな中で、サッカーにはあまり興味のない女性大臣のリタ・フェルドンクが、カルーの帰化を簡単に認めなかった。通常なら帰化には最低でも5年の月日が必要だが、カルーは2年しかオランダでのプレイ経験しかない。ファン・バステン監督も公式に反論し「申請が通れば、必ず代表に招集する」とまで言い、一時は再検討となったが、結局帰化は認められず、2006 FIFAワールドカップの出場はならなかった。
カルーは今後は母国コートジボアール代表としてプレイすると語っている。そのことは、帰化のためにオファーがあってもオランダから離れなかったカルーが、イングランドに移籍したことからも明らかである。
[編集] 所属チーム
[編集] 関連項目
チェルシーFC - 2006-2007 |
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