サッカーフランス代表
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国または地域 | フランス |
---|---|
協会 | フランスサッカー連盟 |
愛称 | Les Bleus |
監督 | レイモン・ドメネク |
最多出場選手 | リリアン・テュラム(126試合) |
最多得点選手 | ミシェル・プラティニ(41得点) |
初の国際試合 | 1904年5月1日対ベルギー 3-3 |
最大差勝利試合 | 1995年9月6日対アゼルバイジャン 10-0 |
最大差敗戦試合 | 1908年10月22日対デンマーク 0-17 |
W杯出場回数 | 12回 |
W杯初出場 | 1930 FIFAワールドカップ |
W杯最高成績 | 優勝(1998) |
サッカー欧州選手権出場数 | 6回 |
サッカーフランス代表(Équipe de France de football)はフランスサッカー連盟によって編成されるサッカーのナショナルチームである。愛称はレ・ブルー(仏語で「青」の意味)。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 概要
初めての国際試合は、1904年5月1日にベルギーのブリュッセルで開催されベルギー代表との試合で、3-3の引き分けであった。ベルギーとは1917年の第一次世界大戦の終戦以降、その同盟を記念して長らく定期戦が実施されていた関係の深い間柄である。
ワールドカップへは、ヨーロッパのナショナルチームとしては珍しく第1回大会から出場している。優勝回数は、地元開催となった1998年フランス大会での1回のみである。
ヨーロッパ選手権での優勝は2回。地元開催となった1984年のフランス大会と、ワールドカップで優勝した翌々年の2000年大会である。
[編集] チーム構成
1998年のワールドカップに出場したチームからは、見た目で分かる変化を遂げている。アフリカや、カリブ海などのフランスの海外県、若しくは旧植民地からの移民、若しくはその子孫の選手が増えたのである。それまでのフランス代表は白人主体のチーム構成であったが、このチームを境にして有色系が混じり始めた。
地元開催の前回大会となる1994年アメリカ大会の出場を逃すと、フランスは危機感を強め代表監督にエメ・ジャケを据えた。ジャケはそれまでの伝統的な白人主体のチーム構成に、アフリカやカリブからの移民、その子孫を入れ始めた。その象徴となったのが、新フランス代表の中心選手となったベルベル人の子ジネディーヌ・ジダンである。
フランス代表にはそれ以前に移民やその子孫が存在していなかったわけではなかった。「将軍」とあだ名されたミシェル・プラティニはイタリア系の移民であった。しかしこの目に見えるフランス代表の変質はフランスの国粋主義者によって罵倒されることになった。この代表格である極右政党国民戦線のリーダージャン=マリー・ルペンは「ラ・マルセイエーズを歌えない者にフランス代表が務まるか」と発言して物議をかもした。またジャケのもとには彼等を代表から外すようにとの脅迫が舞い込んだ。
この批判をかわしたのが、1998年のワールドカップでの優勝である。1998年7月12日、スタッド・ド・フランスで優勝を決めたフランス代表がシャンゼリゼ通りに凱旋すると、通りはトリコロールで埋め尽くされ、熱狂の渦と化した。以降ジダンを初めとするフランス代表の移民の子孫たちは、フランス社会における移民の成功者、代弁者として扱われるようになった。2002年の日韓大会を直前にして、フランス大統領選挙でのルペンの躍進に際してジダンが政治的なメッセージを発したことにも関連する。
[編集] 黄金期とその終焉
1998年ワールドカップの優勝後チームはエース・ジダンの不調などで精彩を欠き、EURO2000予選も苦戦の連続であったが、突破を果たすとEURO2000本大会では安定した試合運びで勝利を重ね、決勝では「ロッテルダムの奇跡」と呼ばれる終了間際の逆転劇でイタリアを下し、プラティニを擁した1984年以来2度目の欧州チャンピオンに輝いた。このEURO2000ではティエリ・アンリ、ダビド・トレゼゲなど若手のFW陣が完全に一人立ちし、攻撃の破壊力は格段にアップした。今日でも「98年のチームより2000年のチームの方が強い」という声は多い。
このEURO2000の優勝により、フランス代表は黄金期を迎えた。日本をスタッド・ド・フランスで5-0で破ったのもこの時期である。日本と韓国で開かれたFIFAコンフェデレーションズカップ2001でもジダンを欠くチームで優勝。翌年の日韓ワールドカップの優勝候補筆頭に挙げられていた。
しかし日韓ワールドカップではジダンの負傷やディフェンスラインの高齢化などもあり全く精彩を欠き、まさかの1次リーグ敗退に終わる。EURO2004予選では余裕の突破を果たし、FIFAコンフェデレーションズカップ2003で同大会の連覇を果たすものの、本大会ではまたもベスト8に終わった。
大会後ジダンら主力選手が引退するとチームはさらに迷走。ドイツワールドカップ予選突破すら疑われるようになった。一度代表引退していたジダンやリリアン・テュラム、クロード・マケレレといった選手が復帰するとたちまち連勝して本大会出場を決め、本大会でも彼らベテラン勢が尻上がりに調子を上げて決勝まで駆け上がったが、このことは、あらためて黄金時代のメンバーの存在の大きさを印象付けると同時に、彼らの後継者選びという避けては通れない問題を先延ばしする結果にもなった。
黄金期メンバーが最後の輝きを見せ、予想外の躍進を見せたドイツ大会だが、代表選手の平均年齢は30歳で大会最年長であった。大会最大の発見ともいわれたフランク・リベリーの活躍などの明るい材料もあったが、日韓大会後に試されてきた若手選手は総じて伸び悩んでおり、世代交代は進んでいない。ジダンらの抜けるドイツワールドカップ後のチームをどうするかという難問の解決は、大会後に委ねられることになった。
[編集] ワールドカップの成績
- 1930 - グループリーグ敗退
- 1934 - 1回戦敗退
- 1938 - ベスト8
- 1950 - 予選敗退
- 1954 - グループリーグ敗退
- 1958 - 3位
- 1962 - 予選敗退
- 1966 - グループリーグ敗退
- 1970 - 予選敗退
- 1974 - 予選敗退
- 1978 - 1次リーグ敗退
- 1982 - 4位
- 1986 - 3位
- 1990 - 予選敗退
- 1994 - 予選敗退
- 1998 - 優勝
- 2002 - グループリーグ敗退
- 2006 -準優勝
[編集] 欧州選手権の成績
- 1960 - 4位
- 1964 - 予選敗退
- 1968 - 予選敗退
- 1972 - 予選敗退
- 1976 - 予選敗退
- 1980 - 予選敗退
- 1984 - 優勝
- 1988 - 予選敗退
- 1992 - グループリーグ敗退
- 1996 - ベスト4
- 2000 - 優勝
- 2004 - ベスト8
[編集] 選手
[編集] 現在の選手
[編集] GK
[編集] DF
- エリック・アビダル(オリンピック・リヨン)
- フランソワ・クレルク(オリンピック・リヨン)
- セバスティアン・スキラッチ(オリンピック・リヨン)
- リリアン・テュラム(FCバルセロナ)
- ジュリアン・エスキュデ(セビージャFC)
- フィリップ・メクセス(ASローマ)
- ウィリアム・ギャラス(アーセナル)
- ウィリー・サニョル(バイエルン・ミュンヘン)
[編集] MF
- ジェレミー・トゥララン(オリンピック・リヨン)
- リオ-アントニオ・マヴバ(FCボルドー)
- サミル・ナスリ(オリンピック・マルセイユ)
- クロード・マケレレ(チェルシーFC)
- ラッサナ・ディアッラ(チェルシーFC)
- アブー・ディアビ(アーセナル)
[編集] FW
- ニコラ・アネルカ(ボルトン・ワンダラーズ)
- シドニー・ゴヴ(オリンピック・リヨン)
- フローラン・マルダ(オリンピック・リヨン)
- カリム・ベンゼマ(オリンピック・リヨン)
- シルバン・ヴィルトール(オリンピック・リヨン)
- フレデリック・ピキオンヌ(ASモナコ)
- ジブリル・シセ(オリンピック・マルセイユ)
2007.3.15発表
[編集] 1998年W杯優勝メンバー
[編集] GK
- 1 ベルナール・ラマ (フランス領ギアナ出身)
- 16ファビアン・バルテズ
- 22リオネル・シャルボニエ
[編集] DF
- 2 バンサン・カンデラ
- 3 ビセンテ・リザラズ (バスク人)
- 5 ローラン・ブラン
- 8 マルセル・デサイー (ガーナ出身)
- 15リリアン・テュラム (フランス領グアドループ出身)
- 18フランク・ルブフ
[編集] MF
- 4 パトリック・ヴィエラ (セネガル出身)
- 6 ユーリ・ジョルカエフ (アルメニア系移民の孫)
- 7 ディディエ・デシャン (バスク人)
- 10ジネディーヌ・ジダン (ベルベル人系アルジェリア移民の子)
- 11ロベール・ピレス (父がポルトガル人、母がスペイン人)
- 13ベルナール・ディオメド (フランス領グアドループ出身)
- 14アラン・ボゴシアン (アルメニア系移民)
- 17エマニュエル・プティ
- 19クリスティアン・カランブー (ニューカレドニア出身)
[編集] FW
- 9 ステファーヌ・ギヴァルシュ
- 12ティエリ・アンリ (グアドループ出身)
- 20ダビド・トレゼゲ (アルゼンチン出身)
- 21クリストフ・デュガリー
[編集] 過去の主な選手
[編集] GK
- ジョエル・バツ
[編集] DF
- マリウス・トレゾール
- バシール・ボリ
- マニュエル・アモロス
- マキシム・ボッシ
[編集] MF
[編集] FW
[編集] キャップ
位 | 名前 | キャップ数 | 期間 |
---|---|---|---|
1 | リリアン・テュラム(#) | 126 | 1994- |
2 | マルセル・デサイー | 116 | 1993-2004 |
3 | ジネディーヌ・ジダン | 108 | 1994-2006 |
4 | ディディエ・デシャン | 101 | 1989-2000 |
5 | パトリック・ヴィエラ(#) | 100 | 1997- |
6 | ビセンテ・リザラズ | 97 | 1992-2004 |
6 | ローラン・ブラン | 97 | 1989-2000 |
8 | シルヴァン・ヴィルトール(#) | 92 | 1999- |
9 | ティエリ・アンリ(#) | 91 | 1997- |
10 | ファビアン・バルテズ(#) | 87 | 1994- |
[編集] 得点
位 | 名前 | 得点数 | キャップ数 | 期間 |
---|---|---|---|---|
1 | ミシェル・プラティニ | 41 | 72 | 1976-1986 |
2 | ティエリ・アンリ(#) | 39 | 91 | 1997- |
3 | ダビド・トレゼゲ(#) | 32 | 66 | 1998- |
4 | ジネディーヌ・ジダン | 31 | 108 | 1994-2006 |
5 | ジャン=ピエール・パパン | 30 | 54 | 1986-1997 |
[編集] 外部リンク
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