ザダル
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緯度 | 44.12°N |
経度 | 15.24°E |
市長 | Dr.Zivko Kolega |
面積 (km²) | ? |
人口 (2006) |
81,688 [1] |
タイムゾーン (UTC) | UTC+1 中央ヨーロッパ時間 |
ザダル(Zadar)はクロアチア西部、ダルマチア地方の都市。約115キロほど南東にスプリトが位置している。イタリア語ではザーラ(Zara)と呼ばれる。
目次 |
[編集] 歴史
紀元前9世紀ころより、イリュリア人の集落が形成されており、徐々に都市へと発展していった。前4世紀にはヤデル(Jader)と称されていた。ローマが前3世紀頃より地中海世界の征服を本格化させ、前1世紀までにこの地を征服し、ローマ風の都市が建てられてた。多くの建造物は現存していないが、中央広場付近にローマ時代の柱が残されている。地勢上、カトリック世界とビザンツ世界の中間点付近に位置していたため、中世になるとフランク王国やビザンツ帝国の影響下におかれた。その後、10世紀よりクロアティアに編入された。12世紀後半にハンガリー王国が領有するが、1202年、第4回十字軍を事実上率いていたヴェネツィア共和国に占領され、街は破壊と略奪に見舞われた。その後、ヴェネツィアはこの地を中継地としてビザンツ帝国のコンスタンティノープルを陥落させ、東地中海の商業覇権を握ることになった。
1797年ナポレオンによりヴェネツィア共和国が滅亡し、カンポフォルミオの和約の結果、他のヴェネツィア領と同様にフランスからオーストリアに譲渡された。 1805年のプレスブルクの和約ではイタリア王国の一部となる。 ナポレオンの失脚後は、オーストリア帝国に分配された。 第一次世界大戦でオーストリア・ハンガリー帝国が敗れたため、新たに建国されたユーゴスラヴィア王国の一部となるが、ラパッロ条約によりイタリア王国に譲渡された。 第二次世界大戦後の1947年、イタリアと連合軍の平和条約でユーゴスラヴィア領となる。 1991年のクロアチア独立戦争では、セルビア軍の攻撃で大きな打撃を受けたが、復興が進んでいる。
[編集] 観光
- 聖ドナット教会
- 聖ストシャ大聖堂
- 聖クルシェヴァン教会
- 聖母マリア教会
- キリスト教美術博物館
- 考古学博物館
- 海の門
[編集] ザダル出身の人物
- ゲオルク・フォン・トラップ:オーストリアの軍人、サウンド・オブ・ミュージックのモデルとなった。
- ジョーイ・ディドゥリツァ:サッカー選手
- ルカ・モドリッチ:サッカー選手
- ダド・プルショ:サッカー選手
- ゾラン・プリモラッツ:卓球選手
[編集] 姉妹都市
パドヴァ、イタリア
ダンディー、スコットランド
レッジョ・エミリア、イタリア
Romans-sur-Isère、フランス
フュルステンフェルトブルック、ドイツ
セーケシュフェヘールヴァール、ハンガリー
イキケ、チリ
バンスカー・ビストリツァ、スロヴァキア
[編集] 外部サイト
- 旅行者のためのサイト(英語)
- ザダルの公式サイト(クロアティア語)
- ザダル空港(英語)
- ザダル大学(英語)
- 世界飛び地領土研究会‐ザーラ
カテゴリ: クロアチアの都市 | アドリア海東岸の都市 | ローマ都市