ザ・テレビ演芸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ザ・テレビ演芸は、テレビ朝日系列で1981年4月12日から1990年9月30日まで毎週日曜15:00~15:54に放送された番組。1990年4月1日からは「日曜ワイド・第1部」の開始に伴い12:00~12:45の放送となった。司会は横山やすし(1989年1月頃より西川きよし)・アシスタントに林紀恵(後に清水由貴子、迫文代、堀江しのぶ、荒木由美子、松居直美ら)が務めた。後番組は「人生クイズ 冠婚葬祭」。
[編集] 内容
- テレビ朝日系日曜午後の二大演芸番組であった「大正テレビ寄席」と「日曜演芸会」の後継番組とされる。直接的には「日曜演芸会」を時間帯移動の上改題した「末廣演芸会」の後番組の位置付けだった。このため、毎回必ず寄席・新宿末廣亭からの中継録画を挟んでいた。
- 構成は三部構成で、第一部は旬の芸人による「激突!ナウ演芸」「フレッシュ演芸」。
- 第二部は新宿末廣亭の高座中継(おおむね落語)。
- 第三部は「とび出せ笑いのニュースター・ホップステップジャンプ」(後に「~・無制限勝ち抜き戦」に変更)と題した勝ち抜き新人オーディションであった。この「とびだせ笑いのニュースター」コーナーは、糸井重里・神津友好・大野桂・大島渚・高信太郎・花井伸夫・山本益博ら錚々たるメンバーが審査員に名を連ねていたが、司会者であるはずの横山やすしの辛辣な意見が審査に大きく影響していた。なお、このコーナーから竹中直人やダチョウ倶楽部、中村ゆうじ、B21スペシャル、浅草キッド、AKIKOらが世に出た。ダウンタウンも現在のコンビ名になる以前に「ライト兄弟」として出場し、やすしから「テレビに出るような漫才とちゃうねんぞ!」「お前らはなめとんのか!そんなもん漫才やない!チンピラの立ち話やないか!」と怒鳴られ酷評を受けたことは有名である。
- 現在、関根勤・優香の司会によって放送されている特番「笑う○○○」シリーズが「ザ・テレビ演芸」の流れを汲む番組とされている。
[編集] その他
- 青森放送や琉球放送等ではANN単独局で象印クイズ ヒントでピントが野球中継等で休止された場合に穴埋め番組として放送していた(象印マホービンのスポンサーつきで放送)。
- 近畿地方では朝日放送が吉本コメディを放送していたこともあってネット受けしなかった。その為サンテレビジョンと近畿放送(後のKBS京都)で時差放送されていた。なお後継番組については近畿地方では一切放映がされなかった。
- 長寿番組だった当番組の歴代最後のプロデューサーは現在「ロンドンハーツ」などを手掛けている板橋順二。彼は当時26歳で、ゲスト出演した桂三枝から「日本一最年少のプロデューサーですな。」と言われた。なお、前述した後継番組とも呼べる「関根・優香の笑うシリーズ」も担当している。
[編集] 前後番組の入れ替わり
テレビ朝日系 日曜午後3時台 | ||
---|---|---|
前番組 | ザ・テレビ演芸 | 次番組 |
(?) | 日曜ワイド・第1部 | |
テレビ朝日系 日曜正午 | ||
大正週間漫画 ゲラゲラ45 | ザ・テレビ演芸 | 人生クイズ 冠婚葬祭 |