シャキーラ
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シャキーラ・イザベル・メバラク・リッポール(Shakira Isabel Mebarak Ripoll、1977年2月2日生まれ)は、コロンビアのラテンポップシンガーソングライター。一般的にはシャキーラという呼び名で親しまれている。彼女は"Whenever, Wherever"、"Underneath Your Clothes"、"La Tortura"、"Hips Don't Lie"などのヒット曲や、刺激的な踊り方で知られている。「尻はあるが、胸はない」。これはシャキーラ自身がイギリスのインタビューにおいて、自分自身の踊り方やセックスシンボルとしての役割について語った言葉である。彼女は、スペイン語、英語、ポルトガル語を流暢に話し、イタリア語とアラビア語を日常会話程度に操る(父親談)。
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[編集] 人物紹介
[編集] 幼年時代と初期
シャキーラはコロンビアのバランキヤ生まれ。母ニディア・デル・カルメン・リッポール・トラードはカタルーニャ系、父ウィリアム・メバラク・チャディドはアメリカ生まれのレバノン系マケドニア人である。彼女は7人兄弟で、兄弟のうちの一人は現在、彼女のマネージャーである。シャキーラは8歳のとき作詞作曲を始めた。彼女が作った初めての歌は「Tus Gafas Oscuras」というタイトルで、その歌詞に含まれるメッセージは、自動車事故で息子を亡くしたことで悲嘆する父を巡って展開している。10歳のとき学校の合唱団に入団したが、声が「強すぎる」と指摘され、放逐された。友人らは、彼女の声が山羊のようだとからかったという。山羊声の歌手(英語) その結果、シャキーラは他で歌う機会を模索し始め、テレビで毎週放送されていた子供向けの歌謡コンテスト番組Vivan Los Niñosに出場した。
10歳から13歳の間にバランキヤの様々なイベントに招かれるようになり、地元で有名になった。そんな時、彼女は地元の劇場プロデューサー、モニカ・アリザに出会う。アリザはシャキーラに感銘を受け、その結果、彼女の成功の手助けを試みた。バランキヤからボゴタへ飛ぶ飛行機の中で、アリザは偶然ソニー・コロンビアの役員、シロ・ヴァルガスと隣り合わせた。ヴァルガスはシャキーラのためにオーディションを開くことに同意し、そのオーディションは数週間後、あるホテルのロビーで行われた。ヴァルガスはシャキーラの才能に感動し、ソニーの社屋に戻ってシャキーラのカセットをあるプロデューサーに渡したが、彼は強い印象を受けず「見込み無し」であると思った。それでもヴァルガスはシャキーラの才能を信じており、ボゴタでサプライズ・オーディションを実行した。彼はソニー・コロンビアの役員達を騙してオーディションが行われる予定のバーに連れて行き、夜の12時頃にサプライズがあることを伝えた。シャキーラの登場である。彼女はそこで3曲歌い、そのパフォーマンスは成功のうちに終了。シャキーラは、3枚のアルバムを書き、レコーディングするという契約を結んだ。
1991年、15歳の時にソニー・コロンビアでレコーディングされた"Magia"("魔法")がデビューアルバムである。このアルバムは商業的にうまくいかず、世に出回ったのは1000枚以下であった。"Magia"の後、1993年に"Peligro"("危険")をリリースした。このアルバムは"Magia"よりは成功したものの、シャキーラは高校を卒業するためレコーディング活動を休止した。
[編集] 1995-2000:初期の音楽活動
シャキーラは1995年、三枚目のアルバム"Pies Descalzos"("裸足のままで")をひっさげて音楽業界に復帰、南米にて好評を博した。シングルである"Estoy Aquí"、"Pies Descalzos"、"Sueños Blancos"、"¿Dónde Estás Corazón?"によって、ポップカルチャー界のアイコンとなった。"Pies Descalzos"は世界中で400万枚以上売り上げ、ついでそのリミックスアルバム"The Remixes"がレコーディングされ、100万枚以上の売上を上げた。"The Remix"には広く知られている曲のポルトガル語版も収録され、それによってブラジル市場でも成功を収めるに至った。
彼女の四枚目のアルバム"¿Dónde Están Los Ladrones?" ("'泥棒はどこ?")は、1998年にリリースされた。それは、エミリオ・エステファンのプロデュースで、伝えられるところによると300万米ドルの費用が掛かったという。そして、"Pies Descalzos"よりも磨き上げられたサウンドであった。このアルバムはさらなる成功を収め、700万枚以上の売上を上げた。彼女はフランス、スイス、カナダ、そして特に米国などの非スペイン語圏でのファンを獲得し始めた。"¿Dónde Están Los Ladrones?"の11曲の中から"Ciega, Sordomuda"、 "Moscas En La Casa"、"No Creo"、"Inevitable"、"Tú"、"Si Te Vas"、"Octavo Día"、そして世界中で有名な"Ojos Así"を含む8曲がシングルとして売り出された。シャキーラの初めてのライブアルバム、"MTVアンプラグド"は"Estoy Aquí"と"¿Dónde Están Los Ladrones?"により構成されている。
2000年の3月には、三ヶ月掛けてラテンアメリカと米国を巡る"Tour Anfibio"を開始した。2000年の8月、彼女はMTV Video Music Awardsにて、投票で選ばれる"Favorite International Artist"(現在は廃止)を受賞した。
[編集] 2001-2004: 英語圏でのクロスオーバー
2001年、"¿Dónde Están Los Ladrones?"の成功に続き、シャキーラは英語でのクロスオーバーアルバムに取りかかった。グロリア・エステファンと共同で"¿Dónde Están Los Ladrones?"のトラックの英語版を書き、レコーディングした。また、アルバム"Laundry Service"のために、新しい曲が作られた。英語圏市場での販売を意図して作られたが、ロックとスペインのダンスの影響を受けたこのアルバムは、"Que Me Quedes Tú"("あなたが残る")を含んだスペイン語の歌も呼び物にされた。シャキーラの英語力では英語で作詞するのが厳しいと批評する評論家もいたが"Laundry Service"は成功を収め、世界中で1300万枚以上を売り上げ、"Whenever, Wherever"の世界的ヒット、"Underneath Your Clothes"(カナダで1位)、"Te Dejo Madrid"("マドリードを後にして")、"Objection (Tango)"および"The One"などのシングルをもたらした。このアルバムとシングルのおかげで、北米市場の主流にシャキーラの音楽的影響が確立したのである。
2002年にベストアルバムである"Grandes éxitos"をリリースした。また"Live & Off the Record"と呼ばれるDVDと10のトラックが収録されたアルバムも2004年に世界中で300万枚の売り上げに達した。これは、シャキーラが2002年から2003年にかけて行った世界ツアー、"Tour of the Mongoose"を記念して発売されたものである。
2002年9月に"Whenever, Wherever"のスペイン語版である"Suerte"でMTV Video Music Awardsの"International Viewer's Choice Award"(現在は廃止)を受賞した。そして、その年の10月には"MTV Video Music Awards Latin America"の5つの賞、すなわち最優秀女性アーティスト、最優秀ポップアーティスト、最優秀アーティスト(北部)、ビデオ・フォー・イヤー(「Suerte」によって)、アーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞した。また、同年のエアロスミスのMTV Iconにて「Dude (Looks Like A Lady)」を歌った。更にセリーヌ・ディオン、アナスタシア、シェール、ディクシー・チックスなどとも共演した。
[編集] 2005年から現在
Fijación Oral Vol. 1は2005年6月6日にヨーロッパで、2005年6月7日に北米とオーストラリアでリリースされた。代表的なシングル"La Tortura" (英語名: The Torture, featuring Alejandro Sanz) は結果的に、スペインで1位、アメリカで23位(ビルボード・ホット100にて)を獲得した。カナダでは、"La Tortura"がやはり、ヒットチャート内のスペイン語曲では初登場で1位にランクインし、 最終的に全チャートで21位をおさめた。世界のその他地域におけるランキングはまちまちだが、最高で10位に入るか入らないか、といったところ。 アメリカでは、"La Tortura" がビルボードチャートの、ラテン・ホット・トラック部門で25週連続1位を獲得した。
アルバムFijación Oral Vol. 1 はラテン・アメリカでも同時リリース。スペインでは初登場1位を獲得し、アメリカでは4位を獲得。(ビルボード200)非スペイン語国においても評価が高く、イタリアやドイツでそれぞれ1位を、オーストラリアで3位を、カナダとハンガリーで7位を獲得した。 アルバムFijación Oral Vol. 1から、 "No" 英語: No), は2005年9月にリリースされ、スペインとコロンビアで計14週1位を獲得。これまでのところの売り上げは、世界で500万枚。
シャキーラの英語版アルバムとしては2枚目となるOral Fixation Vol. 2は、カナダ、アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパ大陸でNovember 29, 2005 に発売された。 1番目のシングルカット曲"Don't Bother" のウケは悪くはなかったが、全米40位入りを逃した。2番目にシングルカットされた "Hips Don't Lie" (featuring Wyclef Jean) は、アメリカの Billboard Hot 100 、および、 UK Singles Chartで1位を獲得。 また、翌年には、Oral Fixation Vol. 2 をリリースしている。
April 3 2006にはPies Descalzos Foundation(コロンビアにおける、暴力からの子供保護のチャリティ基金)を設立したということで、国際連合式典において、、United Nationsから表彰をされた。 表彰式で、シャキーラは、「私達が今日、帰宅する頃には、今生きている960人の子供が、 死んでいる、ということを忘れないで欲しい。」と呼びかけた。 [1]
April 27 2006には、6つの、ラテン・ビルボード賞を受賞している。 (内訳:Female Latin Pop Album of the Year for Fijacion Oral Vol. 1 and Hot Latin Song of the Year for La Tortura. )
[編集] 映画
シャキーラは2007年に公開される映画"Dare to Love Me,"に出演している。この映画はタンゴ歌手カルロス・ガルデルに関するもので、他にロドリゴ・サントロ、パス・ヴェガ、ジョルディ・モリャが出演している。