シャーンドル・ジェルジ
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シャーンドル・ジェルジ、ジェルジ・シャーンドル(Sándor György, 1912年9月21日 - 2005年12月9日)は、ハンガリー・ブダペスト出身のピアニスト。シャーンドル(アレクサンダーに相当)が姓。バルトークの弟子で友人であり、また彼のピアノ曲の演奏および解釈の第一人者でもある。
リスト音楽院にてバルトークにピアノを、コダーイに作曲を師事し、1930年に演奏家としてデビューする。1930年代はコンサートピアニストとして演奏旅行を行い、1939年にはカーネギーホールでのデビューを飾った。
彼はピアノの師であったバルトークの生涯よい友人であり、1945年のバルトークの葬儀に出席した10人のうちの1人であった。そして1946年にはバルトークが遺したピアノ協奏曲第3番の世界初演を行っている。
戦後はコンサート活動を再開する。彼はハンガリーおよびロシアの作品を主要なレパートリーとしていた。コダーイ、プロコフィエフ、バルトークのピアノ作品の全曲録音を行っており、またバルトークの録音において、1965年にグランプリを獲得している。 温かみのある独特な演奏が特徴。
シャーンドルは南メソジスト大学、ミシガン大学、及びジュリアード音楽院において1982年まで教鞭を執り、また80歳を超えてもピアニストとしての活動を続け、ニューヨークにおいて心不全により亡くなった時は94歳と言う長命であった。
著書としては、『シャーンドル ピアノ教本』(英:On Piano Playing)がある。バルトークとその音楽についての原稿も遺しているが未出版である。