ジョニー・ウィンター
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ジョニー・ウィンター(Johnny Winter、本名はJohn Dawson Winter III、1944年2月23日生まれ)はアメリカ・テキサス州ボーモント出身のギタリスト、シンガー。(一時期は父親の故郷ミシシッピ州・リーランドで生活していた。)「100万ドル」のギタリストの異名を持つ。アルビノで斜視であることも知られている。
白人でありながら黒人音楽のブルースをプレイし続け、ブルースの巨人マディ・ウォーターズが「義理の息子」と呼ぶほど彼に気に入られた。彼のスライドギターはエリック・クラプトンをも影響したといわれている。
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[編集] 活動・キャリア
幼少期はクラリネットを演奏していたが、歯の噛み合わせが悪くなり断念。その後ウクレレを経て、ギターを弾くようになる。少年期に弟エドガーとコンビで数々のコンテストに出場しては腕を上げていき、15歳の時にバンドを組んで地元レーベルから「スクール・デイ・ブルース」をリリース、彼の音楽キャリアのスタートとなる。
1962年、エドガーとともに初のバンド、ジョニー・アンド・ザ・ジャマーズを結成。複数の地元のレーベルからシングルをリリースし活躍する。1968年、トミー・シャノン(ベース)、アンクル・ジョン・ターナー(ドラムス)らを迎え、デビュー・アルバム「The Progressive Blues Experiment」をリリース。
翌1969年、CBSと契約しアルバム「Johnny Winter」をリリースした。CBSとの契約金が巨額であったことから「100万ドルのギタリスト」の名で呼ばれるようになった。このアルバムはウィリー・ディクスン、ウォルター・ホートンらブルース・ミュージシャンが参加したストレートなブルース・アルバムであった。しかし続く作品、「Second Winter」(1970年)、「Johnny Winter And」(1971年)とロック色を強めていった。特に後者はストレートなブルース・ナンバーは皆無のロック・アルバムである。ジョニーはドラック中毒に陥っていったが、1973年、「Still Alive And Well」リリースし復活を宣言した。
1980年に「Raisin' Cain」をリリースするまで、CBSへの在籍は10年以上に及んだ(1975年以降はCBS傘下のブルースカイから作品をリリースした)。CBS時代のジョニーは、前述のジョニー・ウィンター・アンドに象徴されるように、ロック色の強い作品が多いが、ファースト・アルバムや「Nothin' But The Blues」(1977年)、マディ・ウォーターズのアルバムにおける競演など、正面からブルースに向き合う一面も見せている。
80年代に入ると、ジョニーはアリゲーター・レコードと契約。3枚のアルバムをリリースした。ブルース・レーベルからのリリースということもあってか、いずれの作品もブルース色が濃い内容となっている。
MCA傘下のボイジャー・レーベルからの「The Winter Of '88」(1988年)を経て、ポイントブランクと契約したジョニーは「Let Me In」(1991年)を始め3枚の作品をリリースするが、徐々に体調が悪化し、演奏活動から遠ざかっていく。一説によると愛用のギブソン・ファイヤーバードを自力で持ち上げられないほど体力が弱ってしまったという。また視力も弱ってしまい、殆ど見えない状態といわれている。
2004年リリースの「I'm A Bluesman」は、スタジオ録音の新譜としては実に12年ぶりとなるものであった。現時点では、このアルバムが最新作である。
[編集] 家族
父親はサクソフォンとバンジョーの奏者であり、教会の聖歌隊に参加していた。母親はピアノ奏者という理想的な音楽一家の下で育った。前述の実弟エドガー・ウィンターはキーボード兼サックスの奏者として有名である。
[編集] プレイ
彼のプレイは、テクニカルで速いリフが多く、ピックはサムピック、人差し指と中指、そして薬指を使ったフィンガーピッキングが彼のスタイル。リフの種類は他に類を見ないほど豊富である。彼の速く弾きまくるリフは代表曲「Be Careful with a Fool」などで聞ける。また、彼のギターにはヘヴィなディストーションが効いていることが多い。
スライドギターをプレイするときには、特にオープンEやオープンAを好んでいるが、他にオープンDやオープンGも使用する。彼のスライド・ギターが聞ける代表曲は「TV Mama」や「Walkin' by Myself」である。レギュラーチューニングでの演奏もしているが、アリゲーター・レコード在籍以来、1音下げで演奏することが多くなった。
[編集] 来日
長いキャリアにも関わらず、ジョニー・ウィンターの来日公演はいまだ実現していない。M&Iカンパニー招聘により1990年に初の日本ツアーが組まれたことがあるが、チケット発売後、公演は中止となってしまった。理由は不明。因みに、弟エドガーは度々日本公演を行っている。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] 公式アルバム
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- 1968年 The Progressive Blues Experiment (Liberty)
- 1969年 Johnny Winter (CBS)
- 1970年 Second Winter (CBS)
- 1971年 Johnny Winter And (CBS)
- 1973年 Still Alive And Well (CBS)
- 1974年 Saints And Sinners (CBS)
- 1975年 John Dawson Winter III (Blue Sky) (おれは天才ギタリスト!)
- 1977年 Nothin' But The Blues (Blue Sky)
- 1978年 White, Hot & Blue (Blue Sky)
- 1980年 Raisin' Cain (Blue Sky)
- 1984年 Guitar Slinger (Alligator)
- 1985年 Serious Business (Alligator)
- 1986年 Third Degree (Alligator)
- 1988年 The Winter Of '88 (MCA/Voyager)
- 1991年 Let Me In (Pointblank)
- 1992年 Hey, Where's Your Brother? (Pointblank) (ブルースは絆)
- 2004年 I'm A Bluesman (Virgin)
[編集] ライブアルバム
[編集] 主な参加アルバム
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- 1977年 Muddy Waters "Hard Again"
- 1978年 Muddy Waters "I'm Ready"
- 1979年 Muddy Waters "Muddy "Mississippi" Waters Live"
- 1981年 Muddy Waters "King Bee"
- 1984年 Sonny Terry "Whoopin'"
- 1986年 Lonnie Brooks "Wound Up Tight"
- 1991年 John Lee Hooker "Mr. Lucky"
- 1993年 Bob Dylan "30th Anniversary Concert Celebration"
- 2001年 Eric Sardinas "Treat Me Right"