ジョン・グレン (議員)
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ジョン・ハーシェル・グレン・ジュニア(John Herschel Glenn Jr., 1921年7月18日 - )は、アメリカの元戦闘機パイロット、宇宙飛行士、政治家。
[編集] 経歴
オハイオ州のニュー・コンコード生まれ。マスキンガム大学(Muskingum College)において工学の学士を取得後、1942年に海軍の航空士官養成過程に入隊、1944年に海兵隊VMO-155航空群に配属される。F4Uコルセア戦闘機を操縦し、主にマーシャル諸島において、対地攻撃を行っていた。1945年には、メリーランド州のパタクセント・リヴァー基地にあるアメリカ海軍のテストパイロット養成学校に入校し、第二次世界大戦の終戦時には大尉であった。
戦後しばらくの間、グアムを基地として中国本土における偵察飛行を行っていたが、1948年にはテキサス州コーパスクリスティ基地において飛行教官となった。そこで、水陸両用戦やスタッフ管理などを担当していた。朝鮮戦争が勃発すると、海兵隊の一員として朝鮮半島で戦闘任務に付いたが、軍種間の人材交流により、空軍の機体に搭乗する機会があった。彼はF-86セイバー戦闘機を操縦し、3機の敵戦闘機(ミグ)を撃墜している。これらの成果により、幾つかのメダルを授与されている。
朝鮮戦争の後、パタクセント・リバー基地に帰還し、新型機のテストパイロットとなった。武器の担当であり、飛行中におけるテスト機の機銃発射実験などを担当した。1957年7月16日には、超音速としては初めてのアメリカ大陸横断飛行に成功した。これはF8Uクルセイダー戦闘機を用いたものであり、所要時間は3時間23分8秒。ロサンゼルスからニューヨークまで飛行した。そのとき、生まれ故郷の上空を超音速で飛行し、ソニック・ブームの大きな音により、故郷の人々を驚かせている。
1958年より宇宙飛行士として、NASAのマーキュリー計画に従事。1962年のマーキュリー6号(フレンドシップ7)により、アメリカ初の地球周回軌道を飛行した宇宙飛行士となる。これは映画『ライトスタッフ』のモデルになっている。
1964年にはNASAを辞し実業家に転進。1974年より1999年までオハイオ州代表としてアメリカ議会上院議員を務める。1984年には民主党大統領予備選挙に出馬したが、途中で敗退した。
1998年10月29日、スペースシャトルディスカヴァリー号で再び宇宙へ出て9日間滞在した。このとき77歳であったが、これは宇宙飛行の最年長記録であり、高齢者の可能性を示したと評された。一方で宇宙開発の業界では、NASAを支援してくれる議員に宇宙旅行をプレゼントしたという批判もある。
クリーブランドにあるNASAの「ジョン・H・グレン研究センター」は彼を記念して名づけられた。