マーキュリー計画
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マーキュリー計画(Project Mercury)は、アメリカ合衆国初の有人宇宙飛行計画であり、有人宇宙船の打ち上げ、軌道飛行および回収と、宇宙における生命維持を主要目的とした。1959年に開始され、1963年に終了した。
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[編集] 概要
ソビエト連邦が1957年10月4日初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げたことに対抗して1958年に開始。陸海軍から宇宙飛行士候補者を選抜(第一次はライトスタッフ―“素質ある者達”と呼ばれた7名 計画を描いた映画のタイトルにも)し、訓練を行うとともに、ロケットの開発、マーキュリー宇宙船の開発を進めた。名前は、ローマ神話の神メルクリウス(あるいは水星)から取られた。また、宇宙船名の末尾に付けられた"7"は、上記の宇宙飛行士候補者が7名だったことにちなんだものである。
また、同1958年10月1日、アメリカ航空宇宙局(The National Aeronautics and Space Administration:NASA)を設立、以後軍事を除く宇宙開発は陸海空軍から引継ぎ、国の総力をあげて有人宇宙飛行を推進する体制を構築した。
しかし、ソ連の宇宙開発計画はさらに進み、ユーリ・ガガーリンによる人類初の有人宇宙飛行(1961年4月12日)を成功させた。アメリカは同年5月5日、アラン・シェパードの搭乗するマーキュリー3号(フリーダム7)による約16分間の弾道飛行を実施したが、軌道飛行はソ連に遅れること10ヶ月、1962年2月20日にジョン・グレンの乗ったフレンドシップ7が4時間56分の飛行が初めてである。以後1963年のフェイス7までの全6回の有人飛行をもって計画を終了した。宇宙船は一人乗りで、あまりの窮屈さに「乗る」のではなく「着る」のだとまで評された。
ジョン・F・ケネディ大統領がフリーダム7の打ち上げ成功直後の1961年5月15日に行なった有名な演説の中で、“1960年代中に月への有人飛行を行う”と宣言しており、本計画の成果は次世代のジェミニ計画およびアポロ計画へと引き継がれた。
本計画の過程で20回の無人飛行も行われた。宇宙に達しないものもあり、期待された目標を達成できなかったものもあった。1959年に実施された第5回打ち上げ(LJ-2)ではサムという名の猿が弾道飛行し、他に猿のミス・サム(LJ-1B)とチンパンジーのハム(MR-2)が弾道飛行を、チンパンジーのイーノス(MA-5)が軌道飛行をした(括弧内はミッション名)。MR-2はのちに童話「ひとまねこざる」(現「おさるのじょーじ」)シリーズの「ろけっとこざる」の原案になっている。
劇画「ゴルゴ13」では、ゴルゴがこのタイプのロケットに乗り、宇宙空間で人工衛星を狙撃するという話があった。
[編集] 計画の概要
(有人飛行のみリストアップ)
打上年月日 | ミッション名 | 宇宙船名 | 打上機(ロケット) | 飛行時間 | 宇宙飛行士 | 備考 |
1961年5月5日 | MR 3 | フリーダム7 | レッドストーン | 15分28秒 | アラン・シェパード | 弾道飛行のみ |
1961年7月21日 | MR 4 | リバティ・ベル7 | レッドストーン | 15分37秒 | ヴァージル・グリソム | 弾道飛行のみ。宇宙船が回収時に沈没 |
1962年2月20日 | MA 6 | フレンドシップ7 | アトラスD | 4時間55分23秒 | ジョン・グレン | 米国初の軌道飛行 |
1962年5月24日 | MA 7 | オーロラ7 | アトラスD | 4時間56分5秒 | スコット・カーペンター | 着水地点が大幅にずれた |
1962年10月3日 | MA 8 | シグマ7 | アトラスD | 9時間13分11秒 | ウォルター・シラー | |
1963年5月15~16日 | MA 9 | フェイス7 | アトラスD | 34時間19分49秒 | ゴードン・クーパー | 計画最終号機 |
- 注:MR=Mercury Redstone, MA=Mercury-Atlas