ジョン・ハーシェル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョン・フレデリック・ウィリアム・ハーシェル(Sir John Frederick William Herschel, 1st Baronet, 1792年3月7日 - 1871年5月11日)は、イギリスの天文学者、数学者。
天王星を発見した天文学者ウィリアム・ハーシェルの息子。ウィンザー郊外のスローで生まれる。
1813年、ケンブリッジ大学セントジョーンズカレッジを卒業。
1834年から4年間、南アフリカのケープタウンで、北半球からは観測できない南天の天体を観察、記録を残した。1838年に帰国し、1847年に準男爵に叙される。
1等星の明るさは、6等星の100倍であることを発見、発表したことでも知られる。
1849年の著書『天文学概要』("Outlines of Astronomy")で、日数や時間の計算にユリウス通日を利用する方法を考案。これが広まり、世界中の天文学者が日数計算にユリウス通日を用いるようになった。
著作に『自然哲学研究に関する予備的考察』、『1834-38年のあいだに喜望峰でなされた天文学的観測の結果』、『天文学概要』などがある。 土星の衛星(ミマス、エンケラドゥス、テティス、ディオネ、レア、タイタン、イアペトゥス)、天王星の衛星(アリエル、ウンブリエル、ティタニア、オベロン)の名付け親としても知られる。
また、写真の研究も行って「写真」"Photography"、ネガ、ポジという名称を提案し、現像にチオ硫酸ナトリウムを用いることを提案した。そして、1842年に青写真を発明した。
なお、息子のウィリアム(William Herschel、1833-1917)は、指紋による個人識別の研究で有名。彼の弟であるアレクサンダー(Alexander Stewart Herschel,1836-1907)は天文学者となり、彗星と流星の関係について研究を行った。
カテゴリ: 自然科学関連のスタブ項目 | イギリスの天文学者 | 19世紀の自然科学者 | 1792年生 | 1871年没