スダホーク
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性別 | 牡 |
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毛色 | 芦毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1982年4月6日 |
死没 | 2003年4月16日 |
父 | シーホーク |
母 | アヤベジョー |
生産 | 北海道浦河町 |
生国 | 日本 |
馬主 | 須田松夫 |
調教師 | 古川良司(美浦) |
競走成績 | 30戦6勝 |
獲得賞金 | 3億3474万5800円 |
スダホークは、日本の競走馬・種牡馬。80年代中盤に活躍した。重賞を4つ制しているがGI勝ちはなく、日本ダービー、菊花賞はともに2着であった。戦法は追込。主戦騎手は田村正光、田原成貴。
競馬ライターの須田鷹雄はこの馬にあやかってペンネームを付けた。
[編集] 戦跡
3歳の11月にデビュー。初戦はサザンフィーバーに大きく離されての3着に敗れるが、2戦目で初勝利を収め、続く400万下の葉牡丹賞を制し、一躍クラシック戦線の有力候補に名を連ねた。
4歳になり、弥生賞で重賞初勝利。だが3番人気で迎えたクラシック第一弾の皐月賞はミホシンザンの6着に敗れる。続く日本ダービーではデビューからずっと手綱を持っていた田村正光から田原成貴に乗り換わる。ライバルのミホシンザンは骨折でダービーを回避し、チャンス到来かと思われたが、重馬場の直線の大外を駆け抜けたシリウスシンボリから3馬身離されての2着だった。最後のチャンス・菊花賞も骨折の癒えたミホシンザンに1馬身及ばずの2着に終わった。
奥手の血統であるシーホークの産駒であることから古馬になってからの成長に期待がかけられる。その期待に応えるように5歳になったスダホークはAJC杯、京都記念と連勝した。サンケイ大阪杯ではサクラユタカオーにハナ差破れるが、続く天皇賞(春)ではシンボリルドルフやミホシンザンといった強豪が不在であったこともあり単枠指定の1番人気に押されたが7着に沈み、続く宝塚記念も5着に終わった。
5歳秋からは田村正光が再び騎乗することになったが凡走を繰り返し、次の勝利は6歳春の阪神大賞典まで待たなければならなかった。これが最後の勝利となり、7歳の宝塚記念でタマモクロスの3着に入ったのを最後に現役を引退した。
[編集] 引退後
スダホークは引退後、日高軽種馬農協浦河種馬場で種牡馬になったがこれといった産駒を出すこともなく、1994年に種牡馬登録を抹消され、去勢の上、乗馬に転向し、繋養先も門別町(現・日高町)の日高オーシャンファームに移った。
1995年夏、テレビ朝日製作のテレビ番組「さんまのナンでもダービー」で日高オーシャンファーム内のコースでスダホークやポニー馬(ナリタブラリアンなど)、アラブ系競技馬等と共に距離ハンデキャップ方式によるレースが行わた。このレースでスダホークはJRAの郷原洋司騎手の騎乗で現役当時を彷彿させる走りを見せたが、さすがに最後の直線では伸びなく、6頭立ての4着に終わった。
2003年4月16日早朝、胃破裂のため死亡。21歳だった。
[編集] 血統表
スダホークの血統 (ダークロナルド系/Blue Peter5x4=9.38% ) | |||
父
*シーホーク Sea Hawk 1963 芦毛 アイルランド |
Herbager 1956 鹿毛 |
Vandale | Plassy |
Vanille | |||
Flagette | Escamillo | ||
Fidgette | |||
Sea Nymph 1957 芦毛 |
Free Man | Norseman | |
Fantine | |||
Sea Spray | Ocean Swell | ||
Pontoon | |||
母
アヤベジョー 1973 鹿毛 |
*ファーザーズイメージ Fathers Image 1963 栗毛 |
Swaps | Khaled |
Iron Reward | |||
Cosmah | Cosmic Bomb | ||
Almahmoud | |||
オンワードホール 1966 鹿毛 |
*アポッスル | Blue Peter | |
Bellani | |||
ミスオンワード | Hard sauce | ||
*ホールドタイトF-No.5-h |
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