須田鷹雄
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須田鷹雄(すだ たかお、1970年6月8日 - )は、競馬評論家(本人曰く「お笑い競馬ライター」)。本名は下坂 昇平(しもさか しょうへい)。東京都出身。麻布高校、東京大学経済学部卒業。ペンネームの「須田鷹雄」は競走馬のスダホークに由来する。旅打ちが趣味。競馬等の公営競技だけではなく、海外のカジノ(特にラスベガス)にも頻繁に出かける。尊敬する人は師匠である井崎脩五郎であり、共著で書物を執筆することもある。また鈴木淑子司会の「走れ!歌謡曲」のハガキ職人でもあった。
主に競馬ライター(競馬評論家)として各種連載や著作執筆のほか、テレビ、ラジオにも出演。また、競馬関係の番組や格闘技番組(K-1 JAPAN等)の放送作家を務めるなど、幅広い分野で活動している。
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[編集] 経歴
大学在学中の1990年に別冊宝島「競馬ダントツ読本」でライターとしてデビュー。1994年にはJR東日本に就職するが(本人は著作の中で「副業」と書いている。当時は西船橋駅に勤務し、大川慶次郎がその「副業」ぶりを観に行ったことがある)、1996年に同社を退社、血統評論家の田端到が社長を務める有限会社ドラゴンプレスに所属する。学生・サラリーマン時代はメディアに顔や本名を露出することは無かったが、退社後はライターだけではなくイベント出演やテレビ出演等を積極的にこなすようになる。2000年には自分の個人事務所として有限会社須田鷹雄商店を設立し取締役社長に就任。
現在の外見からは考えられないが、大学時代は馬術部に所属しており、騎乗技術に関する評論もある程度行える貴重な存在である。以前は競馬だけでなく競輪についても頻繁に記事を書いていた。ディープインパクトの薬物問題では、フリーの立場でありながらも日本中央競馬会(JRA)の対応を批判し話題になった。
師である井崎脩五郎との出会いはなんと同氏の愛息の家庭教師をしたことであったという(なお、学生時代の著作では家庭教師のことも「副業」と書いている)。また、大学時代にライターデビューの口利きをしたのも井崎脩五郎である。
[編集] 主な出演番組
- BSフジ競馬中継(BSフジ、独自放送時)
- ドラマチック競馬(北海道文化放送)
- 酔いどれない競馬(フジテレビ739)
- 競馬予想TV!(フジテレビ739)
- RIDE ON 22(グリーンチャンネル、2006年1月より)
- クラシックパーク(グリーンチャンネル)
[編集] 終了した番組
- 競馬大王(BSフジ)
- ウィークエンド・パドック(ラジオたんぱ)
[編集] 主な著作
- もうひとつのダビスタワールド(アスペクト) - ダビスタで「最強馬」作りが目標とされていたのに対し、この本では逆に「最弱馬」(ひたすら弱い競走馬)を徹底的に生産しようとする企画が行われた。
- 負け馬の遠吠え(双葉社)
- バンキシュ!(光文社)
- 須田鷹雄の新理論「ガラット」(東邦出版)
- POGの達人シリーズ(光文社)
[編集] 井崎脩五郎と共著
[編集] エピソード
- 体型や(酒好きで有名な)井崎脩五郎の弟子であることを考えると意外なことであるが、下戸であり酒を飲まない(体質的な理由なのか嗜好的な理由なのかは不明)。
- 一般の紳士服店では彼の体型のサイズのスーツがなかなか手に入らないため、サカゼンでスーツ等のテレビ・イベント出演時の衣装を買っている。
- 本命クラッシャーとして有名で、彼が日刊スポーツ(関西版)紙上で本命(◎)に指名した馬はことごとく4着以下に敗退している。これは須田の馬券に対するスタンスが「回収率重視」であることから、一番人気になるような馬をあまり本命に指名しないためであると思われる。その姿勢はディープインパクトに対してもほとんど本命の印を打たないほど徹底しており、そのせいか「アンチディープインパクト」と誤解されることも多いが、本人はこの点について「馬券の回収率が期待できないため本命を打たないだけで、馬としてのディープは決して嫌いではない」との姿勢を度々表明している。
- 馬術をやっていたせいか障害レースの大ファンでありポレールを好きな馬に挙げている。
- 阪急時代からオリックスブルーウェーブの大ファンであったが、合併を機にファンをやめたらしく、日記などでもプロ野球を話題にする数が激減した。
- 海外への移動にはスターアライアンス系列の航空会社を利用することが多い(ここ数年はスターアライアンスのゴールドメンバー。本人曰く「スタアラの奴隷」)。そのため国内でも飛行機での移動はほとんど全日空を使う。