さんまのナンでもダービー
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『さんまの ナンでもダービー』(さんまの なんでもだーびー)は、1993年4月13日から1995年9月26日にかけて日本時間の火曜日19:00から1時間枠でレギュラー放送されたテレビ朝日のスポーツバラエティ番組である。司会は明石家さんま。
競馬の要領で、パネラー(解答者)はレース(競技)に勝ちそうな人に賭け、レースを行い、そのレースの勝者に賭けたパネラーには得点が支払われる。最終的にその得点が最も多かったパネラーが優勝というシステムである。行われるレースの殆どは人間が競うユニークなものばかりで、そこから人気競技(企画)が生まれた(後述)。
番組は高視聴率で人気も高かった為、レギュラー化以前はパイロット版として数回、レギュラー時にも期首毎に、レギュラー番組終了後にも数回、それぞれ特番として放送された。特番では、1996年春の特番の最終レース終了後のインタビューで江頭2:50が下半身露出をしスタジオから悲鳴を浴びせられた。その件だけでなく、後述の打ち切りの経緯によって発生したさんまとテレ朝上層部との確執も相まって、この時の特番が事実上最後の放送となり、更に江頭はその後、「「ぷっ」すま」までテレビ朝日系の番組には出演が許可されなかった。
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[編集] 出演者
[編集] 司会・進行
他にテレビ朝日の男性アナウンサー(真鍋由、国吉伸洋、田畑祐一...他)が最終レース以外のナレーターと実況を担当した。また特番では、当時はまだ関西テレビに在籍していた杉本清が、(当然テレ朝・関テレ双方同意の元ではあるが)局の垣根を越えて実況を務めた事もあった。
[編集] レギュラーパネラー(解答者)
基本的に毎回、ゲストも含めて5人(組)がパネラーで登場。特番では2人(以上)1チームの5チームによる対抗戦、更には番組対抗の特番としてこの番組が用いられる事もあった。
- 他
[編集] マスコットキャラクター
番組途中よりマスコットキャラクターとして“ドンピー”が登場。このキャラクターは“ドンキーくん(仮)”として登場し、その後一般公募でドンピーと決まった。あまり知られていないがこのキャラクターは風貌から太った馬だと思われているが、実際はペガサスという設定である(ドンピーの背中には退化したような羽根が二枚付いていた)。
[編集] 余談
- 番組アシスタントの一人に華原朋美(当時は遠峯ありさ名義)がいた。
- イジリー岡田が一般応募で出場したことがある。
- お笑い事務所対抗レースで優勝した渡辺プロ(現・ワタナベエンターテイメント)チームには、現在のネプチューンのメンバーがいた。
[編集] 基本的なルール(レギュラー放送時のルール)
- 最初に、各パネラーが10万S$(サンマドル:番組独自の単位)を持った状態でスタート。(特番時は20万S$から開始)
- パネラーは、レースの説明やパドック(各選手の紹介)のVTRと競馬新聞風の資料(後述「予想紙」)、スタジオで行われる明石家さんまの予想、そしてオッズ(倍率:街頭でのアンケートなどによって決定される)を参考にしてS$を賭ける。
- パネラーの掛け金の桁数が6桁までで最大99万9999S$まで賭けられる。初期は電光掲示板で表示したが、後期にはコンピューターの画面で表示された。
- 1R→2R→ボーナスレース(ダブルアップ一発勝負)→最終レースの順番に行って、最終的に最も多い得点を持っているパネラーが優勝。更に、100万S$以上獲得した場合は、世界一周旅行を獲得(但し、100万S$万以上獲得したパネラーが複数いた場合は、優勝者のみ)
- 特番時は、世界3周(最大で世界5周)にグレードアップした。(ただし、番組内でさんまが「おいしい世界一周」などとコメントしており、実際は焼肉屋への招待のようなものだったらしい)
- 初期は準優勝にも賞品があり、視聴者のには、来週放送回のパネラーの中で、優勝者と準優勝者を予想するプレゼントクイズも出題された。
[編集] 1~2R
- 連勝複式で、3点まで賭けることが出来る。予想が当たった場合は、掛け金とオッズに応じて配当が払い出される。予想が外れた場合は当然没収。
[編集] ボーナスレース
- 着ぐるみレース(後述)を、枠番による複勝式で予想。(S$は賭けない)
- 最下位のパネラーから順番に、1人1頭を選択。但し、既に他のパネラーが選んでいた選手を選ぶことが出来ない。
- レース後、1位又は2位の選手を予想したパネラーにはボーナスとして規定のS$(1位3万S$,2位1万S$)が支払われる。
- 後に『ボーナスレース』に代わって、『ダブルアップ一発勝負』と題した二択クイズを1問出題。正解すれば所持しているS$が2倍に倍増するが、不正解だったら半減する。
- クイズに解答するか否かは各パネラーの任意で決められた。
[編集] 最終レース
- ニッカ池・ダービー池を用いたがまんカップ(後述)の結果を、枠番による連勝単式で予想。このレースのみ、4点まで賭けることができる。
[編集] 主なレース(競技・企画)
※実際の競馬同様にグレード制が採用されており、特に、特番では「明石家記念」や「テレビ朝日杯」などのGI(Iはローマ数字の1の代用)レースが催された。
※レースの勝者には賞金が出た。当然重賞レースは賞金が高かった。
※基本的にレースは6枠6頭(チーム戦であっても1頭2頭と数えた。)立て。但し、一部重賞では6枠7頭立て(6枠のみ2頭)で行われた事もあった。
[編集] 一般レース
- 計算ハンデトロフィー・・・レギュラー化以前から実施。コース上に置かれた簡単な計算問題を解きながら進んだ。ハンデ頭(100問)の1枠はちびっ子のそろばん名人や暗算名人で、他に芸能人も参戦していた。
- 超人パワートライアル・・・たった1人で、トラックや人をいっぱいに乗せたバス等をゴールへ運ぶレース。「スタート後の第1歩で勝負が決まり止ったら終わる」と言う格言が有った程にペース配分も要求された。
- 10人11脚・・・レギュラー化以前から実施。後の小学生クラス対抗30人31脚の原点。
- 人間ばん馬・・・ばんえい競走と同様、荷物を載せたそりを引っ張るレース。但し、馬ではなく複数の人間がそりを引っ張るチーム戦。
- 鉄人イカダ・・・数名のチーム戦。レースの前半はイカダを漕ぎ、後半は水に飛び込んでいかだを引っ張って泳ぐ。主にGI、GIIレースとして開催された。
- 廃車転がし・・・数名のチーム戦。廃車となった自動車を横から押すなどして転がし、途中の障害を越えつつゴールまで運ぶ。
- 風船割りステークス・・・コースに設置された風船をお尻で割っていく。
[編集] 着ぐるみレース
- 色んな名物着ぐるみ(大幸薬品の正露丸や日本食研のキャラクター「バンコ」等の番組スポンサー企業の着ぐるみやセーラームーン、野原しんのすけなどのアニメ、特撮のキャラ等)が様々なレースで勝負した。番組のキャラクターのドンピーも参戦した(ドンピー登場以前は、さんまのまんまのまんまちゃんが放送局の垣根を越えて出場していたこともある)。
[編集] ダービー池(ニッカ池)でのがまんカップ
- 番組の最終レースに行われた、生き残り方式の恒例レース。テレビ朝日の旧社屋の池(ニッカ池、番組中期以降ではダービー池と呼称)の中や池の上を舞台に、数々の死闘を繰り広げた。
- 潜水がまんカップ・・・一斉に池に沈められた後、水面に浮き上がらない様に潜り続ける。浮き上がってしまった人から、6位、5位、……と順位が付けられ、池に最も長く潜っていられた選手が優勝。手入れがあまりされていないドブ状態の池の中に潜る為、過酷さが増している。初めてダービー池が使用されたレース。
- セミ人間抱きつきがまんカップ・・・池の上に吊り下げられた円柱に抱きつき、噴水などの障害から耐える。落ちてしまった人から、6位、5位、……と順位が付けられ、最後まで柱に抱き付いていた選手(ペア)が優勝。個人戦だけではなく、ペア戦の場合や、柱の太さを変えたハンデ戦の場合もあった。
- ぶらさがりがまんカップ・・・池の上に吊られた鉄棒にぶら下がって、噴水などの障害から耐える。落ちてしまった人から、6位、5位、……と順位が付けられ、最後までぶら下がり続けられた選手が優勝。
- ※過酷なレースであるにも関わらず、あっぱれさんま大先生で教え子だった山崎裕太、当時若手であったココリコや極楽とんぼ、特番ではSMAPの香取慎吾・森且行ペアと、様々な芸能人も出走した。
- ※また、テレビ朝日系列局のアナウンサー対抗で、円柱ではなく特大マイクをどれだけ長く抱きつけることが出来るかを競う「マイク抱きつきがまんレース」する等、亜流の形式を実施する事もあった。
- ※特番ではGIレース(テレビ朝日杯など)として開催され、優勝者にはカップが寄贈された。
[編集] 名物選手
- ロッククライマー松島
- 番組最強の選手だという声が多いロッククライマー。当時中学生であり、最終レースのダービー池に準レギュラーで出演。綱のぼり企画にも登場した。優勝回数が非常に多く、いつも一番人気であった。対戦者の中には渡辺二郎、タイガーマスク、おさるなどがいたが勝利をする。1度はおさるに負けて苦汁を飲み、逆に当時無名であったおさるの知名度が全国区になったほどだった。
- 日本女子体育大学ダンス部
- 10人11脚などに出走。真紅のレオタードで注目を浴びた。
- 初出走時(前述・鉄人イカダ)、予想屋のさんまに「ボディービルダーは見せる筋肉だから、絶対勝てない」と酷評されたものの、その予想を裏切る大活躍を見せ、さんまは反省して考えを改めた。さらに外見に似合わないオカマ口調の個性キャラクターが視聴者を大いに喜ばせた
- また、東京大学出身の知力を買われて、計算ハンデなどの頭脳系レースにも出走し、活躍した。
- ナリタブラリアン (ポニー) と主戦騎手・森安輝正(当時JRA騎手)
- 放送当時、三冠馬になったナリタブライアンにあやかり名づけられたポニー。ナリタブライアン同様にシャドーロールを装着していた(ただし赤色。ナリタブライアンは白色のもの)。森安騎手の調教により、ポニーから「競走馬」へと成長。ポニーや人間、自転車などの異種混合レースで活躍。後に、ポニーのみのレースも(いわゆるポニー競馬)開催。最終的には、1995の秋と年末で連覇を達成するまで成長。
- アムリット・マラカー
- ネパールの星。最終のダービー池レースを中心に出走。レギュラー化以前の初の特番時、予想屋のさんまが大きな期待を寄せて対抗に推したが、惨敗。以降かませ犬キャラとして定着するが、一度2着に入り、万馬券を演出し、また引退レースでも勝利を収めた。弟のビモール・マラカーも一緒に出場したこともある。
- 實原邦之
- 元死体役者。最終のダービー池レースを中心に出走。
- おさる (当時) -現・モンキッキー
- レスキュー隊員や自衛隊員、ロッククライマーらが出走した障害物レース(壁を乗り越えるなど、自衛隊の訓練のような障害)で、芸人にも関わらず2着に入る。それ以降度々出走、顔がそっくりと言われる薬師寺保栄と対決した事もあった。
- 大穴要員として活躍。ハンデ付きの中距離走レースで1km近くのハンディがありながらナリタブラリアンに敗れる等の活躍(?)を見せた。
- ダービー池のペア抱きつき我慢カップにおいて父親のショー・コスギと一緒に出生して優勝した事から、以降はほぼレギュラーで出走(基本的に大外の6枠である事が多く「ショー・コスギの息子」と枕詞がつく)。また、この当時ケインが出演していた忍者戦隊カクレンジャーの出演メンバー5人で出走した事もある
- 中務明貴
- 自転車少年と言われ日本縦断・世界各国を自転車で旅をした。当時中学生で最終レースのダービー池に準レギュラーで出演したが松島に比べて優勝には恵まれなかった。自番組出演以前フジテレビ系列タイム3で自転車の旅企画で話題になっていた。
[編集] 予想
この番組で放送される出走表・レース予想(井崎脩五郎らによる)が、テレビ雑誌(ザテレビジョン→TVガイド)と、ファンファーレ(週刊競馬報知:廃刊)に掲載されていた。
[編集] 打ち切りの経緯
1995年頃、某監督夫人がゲスト出演。あまりのワガママぶりだったため、明石家さんまが激怒。そして激怒された監督夫人が収録中にも関わらず途中で楽屋へ帰ってしまう。その後、その事がテレビ朝日内部で問題となり、本来なら明らかに某監督夫人が悪いのだが、テレビ朝日の上層部はさんまに対し某監督夫人に謝罪するように要求。もちろん、さんまは激怒し「もうテレビ朝日には一生出ない。」と心に決める。そのような経緯があり打ち切りになったと言われている。またこの一件は、当時のテレビ朝日の社内体質を表していると言える。その後さんまは上記の1996年春の特番以来、「ま。いっか、」、「ミュージックステーション」、くりぃむしちゅー初の冠番組「くりぃむしちゅーの一度だけいい夢見させてスペシャル」(2003年9月26日放送)に出演しただけで、ほとんどテレビ朝日制作の番組に出演しなくなった。とはいえ、朝日放送等の系列局制作番組は別。
[編集] スタッフ
- 企画:杉本高文、笠博勝
- 構成:堀田延、鈴木弘康
- ナレーション:国吉伸洋
- 美術:黒田信彦
- 美術進行:内村和裕、宮内佳子
- 大道具:高田一則
- 小道具:長谷川剛
- 電光板:テルミック
- メイク:杉山和子
- タイトル:安田達夫
- マルチ:HIBINO
- 効果:中山孝継
- TK:吉条雅美
- 技術協力:TSP、テレテック
- 協力:リップ
- 制作進行:丸山博一
- ディレクター:杉村全陽、瀬戸口修、小林巌(NAVI)、河口勇治/梅沢文也、志岐誠、守屋吉謙、太田淳一
- プロデューサー:河口義輝/見山欣也(NAVI)
- 制作協力:NAVI
- 制作著作:テレビ朝日
[編集] 関連項目
- ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャーこれができたら100万円!! (後番組)
- 小学生クラス対抗30人31脚 (30人31脚の原型となった競技が行われた)
[編集] 提供スポンサー
[編集] 放映ネット局
[編集] 番組の入れ替わり
テレビ朝日系 火曜夜7時台 | ||
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クイズ!純粋男女交遊 | ウッチャンナンチャンの 炎のチャレンジャー これができたら100万円!! |