デルポイ
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デルフィの古代遺跡 |
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競技場跡 | |
(英名) | Archaeological Site of Delphi |
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(仏名) | Site archéologique de Delphes |
登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | 文化遺産(1),(2),(3),(4),(6) |
登録年 | 1987年 |
拡張年 | |
備考 | |
公式サイト | ユネスコ本部(英語) |
地図 | |
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デルポイ(ギリシア語:Δελφοι、デルフォイとも)はギリシア本土、パルナッソス山のふもとにあった古代ギリシアの都市国家(ポリス)である。現在は遺跡となっており、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
デルポイの遺跡は、アポロン神殿を中心とする神域と、都市遺構からなる。神域に隣接して、有力な各諸都市の財産庫も築かれていた。 古代ギリシアにおいてデルポイは世界のへそ(中心)と信じられ、ギリシア最古の神託所であるボイポス・アポロンの神殿の神託で有名であった。デルポイの神託はすでにギリシア神話の中にも登場し、人々の運命を左右する役割を演じる。デルポイの神託が登場する神話には、オイディプス伝説がある。
神がかりになったデルポイの巫女によって、謎めいた詩の形で告げられるその託宣は、神意として古代ギリシアの人々に尊重され、ポリスの政策決定にも影響を与えた。また時には賄賂を使って、デルポイの神託を左右する一種の情報戦もあったといわれる。デルポイに献納する便のために、ギリシアの各都市はデルポイに財産庫を築いた。これは一種の大使館の役割を果たしたとも考えられる。
史実において有名なデルポイの神託には、ヘロドトスの『歴史』が伝えるアテナイへの二つの神託がある。ペルシア戦争時にアテナイは初め滅亡を暗示する神託を得たのち、再び使者を立て、以下の神託を得た。
これをアテナイ市街を焼き払って当時は木造の壁に守られていたアクロポリスに籠城すると解釈するものがあったが、テミストクレスは「木の壁」を船を指すものと解釈し、三段櫂船を造らせて、サラミスの海戦にペルシア軍を破った。
またソクラテスの友人はデルポイで「ソクラテスより賢い人間はいない」という神託を得て、その哲学的探求を促した。この神託に疑問を持ったソクラテスは当時知者とされた人々を訪ねてまわり、結果として、真の知者はおらず、ただ「知っていると思っている」人ばかりがいることを見出し、「知らないと思っている」点でのみ、わずかに自らがそれらの人々より賢いと思うに到った、と、プラトンの『ソクラテスの弁明』他の古代の証言は伝えている。
その後ギリシアの政治的地位の低下と伝統的宗教の衰微とともに、キリスト教を待たず、古代末期にはすでにデルポイの神託はかつての地位を失った。プルタルコスは、デルポイの神託について、その衰微を中心として数篇の著作を残している。
[編集] 交通
・アテネより高速バス
[編集] 登録基準
この世界遺産は、世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
- (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
- (2) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (3) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または少なくとも稀な証拠。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する、建築様式、建築物群、技術の集積、または景観の優れた例。
- (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または、明白に関連するもの。(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている。)